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時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #03   宗谷本線③

美幸線・興浜北線

美幸線(びこうせん)
●概要
美深(びぶか)ー仁宇布(にうっぷ) 21.2㎞
開業:昭和39年(1964年)
廃止:昭和60年(1985年)→バス転換
興浜北線(こうひんほくせん)
●概要
浜頓別(はまとんべつ)ー北見枝幸(きたみえさし) 30.4㎞
開業:昭和11年(1936年)
休止:昭和19年(1944年)
復活:昭和20年(1945年)
廃止:昭和60年(1985年)→バス転換

宗谷本線関係路線図(令和6年(2024年)現在)
凡例:ピンク(現存路線),青(廃止路線),青点線(未成路線)

《壮大な計画もあった悲劇の路線》

 路線の全てが美深(びぶか)町内にあった美幸線(びこうせん)【①】は、昭和50年代日本一の赤字路線として話題になり、当時の町長がそれを逆手に取って「日本一の赤字路線にの乗って行こう美深町」のスローガンのもと、東京や大阪で大いにPRを行ったことが有名になりました。
 美深線は元々、オホーツク海沿岸の北見枝幸(きたみえさし)を目指し建設が計画されましたが、その大部分が計画凍結となり、名前にその爪痕を残したまま(美深の"美"と北見枝幸の"幸"で美幸線)その赤字が原因で昭和60年(1985年)に廃止となってしまいました。

 興浜北線(こうひんほくせん)【②】は、天北線の浜頓別を起点とし、北見枝幸までの路線でしたが、この路線も、南側にあった興浜南線(こうひんなんせん)【③】と共に、南北から、オホーツク海沿岸を結ぶ興浜線(浜頓別の"浜"と興部(おこっぺ)の”興"で興浜線)となる予定でしたが、ついに実現することなく、南北両線とも赤字を理由に廃線となってしまいました。
 完成していれば、オホーツク海の雄大な眺めを楽しませてくれる壮大な路線になっていたかもしれません。
 ちなみに、「斜内桟道」と称された急峻な神威岬【④】のがけ下を走る列車が、撮り鉄さんたちの心を大いに惹きつけたそうです。1970年代旅客列車は1日6往復、貨物列車が1往復走っていました。

 どちらの路線も、石炭産業が盛んだったころに計画され、北海道の石炭輸送網の一部として計画されていたのかもしれませんが、時代の経過が速く、産業が衰え、右肩下がりとなってしまった時期に入り、完成に至らなかったというところでしょうか。

宗谷本線の現在地

 令和の時代となった現在、日本の北端稚内に鉄道で行くためには、宗谷本線しか残っていません。
 その宗谷本線も名寄(なよろ)から先、稚内までの路線は平成28年(2016年)発表の資料によれば、輸送密度200人以上2000人未満の線区となっており、JR北海道単独では維持することが困難な線区に挙げられています。
 ただ、北海道庁や沿線自治体は、存続は重要なことと考えているようで令和3年(2021年)春のダイヤ改正の際に、JR北海道が宗谷本線の12駅を廃止しましたが、それ以外にも廃止予定だった17駅を地元自治体へ管理移管したのです。そして、年間管理費用100~200万円を地元で負担してでも、地域の足を残す、あるいは、「秘境駅」として観光資源とするという判断をしたのです。
 しかし、音威子府(おといねっぷ)以北では、特急3往復、普通列車2.5往復(区間運転除く)であり、非常に厳しい状況であることに変わりはありません。
 今後、さらに人口減が続いていく中で、北海道の北端の地で、どうやって宗谷本線が生き残っていくのか、厳しい現実が突きつけられています。

 最後に少し寂しい話題になってしまいましたが、雄大な自然の絶景を見せてくれる「宗谷本線」。機会があればぜひ乗りにいってみたい路線のひとつですね。

宗谷本線編 了


〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
・鉄道ジャーナル 2021年4月号



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