時刻表に乗る vol.8
東京-大阪各駅停車の旅 No.6
6.豊橋-米原②
●熱田の手前で、右から名鉄名古屋本線、左から名鉄常滑線が合流し、大きな流れとなって、愛知県の県都である名古屋に定刻12時40分に到着した。ここでも快速との接続待ちのため10分程停車する。
尾張地方の中心は戦国時代までは織田信長で有名な清須であり、その隣地である那古野は那古野城が廃城になってからは荒廃した土地となっていた。
そこに現在の中心地の礎となる名古屋城を築いたのは、徳川家康である。
清須が地形的に水害に弱いことや、大阪の豊臣氏を抑える防御拠点とすることを目的として、家康は清須から名古屋への都市機能の移転も行った。このことが、現在の名古屋市の礎となったそうである。
名古屋城は、当時の築城技術の粋を結集して築かれており、縄張り、石垣、天守、御殿のいずれもが当時の最高傑作の城といわれている。
まさに
「尾張名古屋は城でもつ」
である。
●名古屋駅で停車している間に、隣のホームに金沢からの特急しらさぎ6号が到着し、高山方面へ向かう特急ワイドビューひだ11号が11番線ホームから出発していった。
名古屋近隣には、いまだに新幹線の恩恵を受けていない地域が多く、在来線特急が多く活躍している。
いろいろな種類の列車が出たり入ったりしており、あの列車はどこへ行くのだろうとか、どこから来たのだろうとか忙しく時刻表と照らし合わせをしているだけで楽しくなってくる。
●定刻12時50分に名古屋を発車する。
昼下がりの車内は客の多さにも関わらず、のんびりとした空気感が流れている。アインシュタインの「一般相対性理論」を身近に感じる瞬間なのだろうか、私はこの感覚がとても好きだ。
買い物袋を提げ、友人たちと話をしたりする人がいれば、あくびをしながら、スマホを一人眺めたりする人もいる。
まるで時間の流れが止まってしまったかのような感覚に陥る。
そんな車内の状況をよそに、稲沢の貨物駅を通過するのを眺める。
●尾張一宮に到着。尾張一宮を出ると木曽川を渡り、いよいよ岐阜県に入る。
木曽川にかかる橋梁を渡る列車の轟音が、車内のざわつきをかき消す。
川面に反射する日の光は午前中の浜名湖とは異なり、少しやわらかい光のように感じた。
●岐阜のシンボル金華山山頂の岐阜城天守閣を眺め、右手側から高山本線が合流し、この列車の終点である岐阜に定刻13時16分に到着する。
岐阜はもともと井ノ口という地名であったが、織田信長が美濃を平定した際に、「岐阜」という名前に改称した。
これは中国の故事にならったもので、周の時代に周が「岐山(きざん)」という所に都を置き、そこを拠点にして殷(いん)の国を滅亡に追い込んだ縁起のいい地名であったことから、岐阜という地名を選んだと言われている。自らも天下布武を標榜した織田信長の面目躍如といったところであろうか。
●次の列車は豊橋から岐阜までは快速であり、岐阜から終点大垣までは各駅停車となる13時19分発の列車(3221F)に乗り換える。岐阜から大垣までは約10分程度であり、13時32分に大垣に到着する。
大垣と言えば、鉄道ファンにはなじみのある駅名であろう。東京-大垣間を普通夜行列車として結んでいた「大垣夜行」である。のちに、「ムーンライトながら」という列車名称が与えられ、夜行快速列車となった。
しかし、夜行高速バスの発達などから利用客が減少し、平成21年(2009年)に定期運用が終了し、多客期にしか運転されない臨時列車に格下げされた。それでも、青春18きっぷ利用者に利用され続けたが、令和3年(2021年)に完全に廃止されてしまった。
一度は乗車してみたい列車であったが、ついにその機会を得ることなく廃止されてしまったのは残念でならない。
●大垣発13時42分発米原行(231F)に乗り込む。大垣を出て15分程で関ケ原に到着する。
関ケ原までくると、四方を山に囲まれ、かつてここで天下分け目の大合戦が行われたのだなどと想いを馳せながら、車窓を眺める。
関ヶ原は、近江、美濃、伊勢の国境で、交通の要衝であり、大合戦の行われる条件が整った、孫子の兵法でいうところの「衢地(くち)」であるのだなとの想いがよぎる。
●右手に伊吹山を眺めながら、20分ほど走ると、右手側からJR北陸本線が合流し定刻14時17分米原に到着した。
いよいよ次に乗る列車が今回の旅の最終ランナーである。旅の終わりが近づいてくるのを感じると妙に寂しくなってくる。
発車まで10分程余裕があるので、トイレなどを済ませ、飲み物などを買い込み、万全の体制を整えて最終ランナーの待つホームへ向かうこととする。
次回へつづく
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〔表記の分け方について〕
※太字表記した部分については時刻表や地図帳などの事実に基づいた内容である。
※時刻表の羅列だけでは寂しいのでフィクションで私の行動や周囲の乗客の様子や風景を書き加えた。その部分は細字表記となっている。また、歴史的背景の描写や街の紹介などは事実に基づく内容である。その部分は時刻表には無関係のため、細字表記となっている。
【今回のルート】