時刻表に乗る~西九州編~ vol.3
3. 島原へのみち
八代市は、熊本県第2の都市で、江戸時代以来の干拓事業で農業が盛んな街なのだそう。明治時代に入り、港湾が整備され、セメント業を皮切りに製紙業も盛んになり、工業都市としても発展したようだ。駅前の日本製紙の大きな工場はその一端なのであろう。
八代駅は、JR鹿児島本線、JR肥薩線、肥薩おれんじ鉄道が集う交通の要衝であるが、人吉方面に向かう肥薩線は令和2年7月の豪雨災害で不通が続いているため、列車の走っている気配はない。
線路があるのに、列車の気配がしないのは、なんとなく寂しさを感じる。早期に全線復旧することを祈りたいと思う。
●鹿児島本線熊本方面への次の列車は、10時5分発区間快速鳥栖行である。
車内は50%程度の乗車率で、乗客は思い思いに立ったり座ったり、自分のエリアをキープしている。のどかな田舎の列車に揺られてきた身としては、急に都会の近郊にやってきた感覚についていくことができない。
●定刻10時5分に発車。すぐに隣の新八代に到着する。
ここは、九州新幹線との乗り換え駅である。
新八代を出ると、田園風景の中を一直線に熊本方面にひたすら走る。千丁(せんちょう)、有佐(ありさ)、小川(おがわ)、松橋(まつばせ)、JR三角線の分岐する宇土(うと)、と各駅に止まり、こまめに乗客を拾ってゆく。
40分ほど、同じような風景の中をなかなかのスピードで走りぬく。
●定刻10時45分に熊本に到着した。
熊本は言うまでもなく、熊本県の県庁所在地であり、熊本県第1の都市である。熊本は古くは、隈本という地名であったが、豊臣秀吉の重臣加藤清正が隈本を与えられた際に、「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)という字を含むため、武将の居城として相応しくないとのことから、熊本に改称したといわれているそうである。
肥後半国25万石を与えられた加藤清正は、関ケ原後に肥後一国52万石を与えられた。熊本城は、慶長6年(1601年)から築城を開始し、慶長12年(1607年)に完成した平山城である。西南戦争では薩摩軍の進軍を阻み、熊本城の堅牢さを世に知らしめた。
しかし、平成28年(2016年)の熊本地震で大きな被害を受け、いまだに復旧作業中である。
人のエネルギーの力を西南戦争でまともに受け、自然のエネルギーの力を熊本地震で受けなお、立ち上がろうとする熊本城の姿は、なんだかとても尊いもののように感じた。
復旧工事の完了予定は令和7年(2025年)8月を予定しているそうである。
復旧作業中の熊本城への表敬訪問を終え、熊本駅に戻る。
駅に到着したものの、実は不安要素が何点かあった。熊本港から船で島原港まで渡ろうと考えているのであるが、熊本駅から、熊本港までの交通手段をどうするかというのが一点。天候が海を渡ろうとするまさにその時間帯に一番悪くなりそうな予報になっているのがもう一点。
まあ、なんとかなるさと、高を括ってここまできたが、いざ現地に着くとやはり不安である。
昼食を船の中で食べようと考えているので、熊本駅で弁当を物色する。それにしても熊本のゆるきゃらくまモンさんの本場とあって、いたるところにくまモンさんがおられる。。目についたお弁当屋さんで鶏肉の照り焼きが入ったとり弁当を購入することにした。
次は、バス乗り場の捜索である。いざとなれば、タクシーに乗ってしまえばいいやとはおもっているが、できれば、バスを探したい。港へいくバスぐらいあるだろうと、路面電車が走っている通り側を徘徊する。
バス停が何か所かあり、無事、熊本港へ向かうバスが停車するバス停を発見する。駅から港までは直線距離で10㎞ほどに見えるので、2.30分もあれば着くだろうと、船の時刻を確認する。船は13時発の船に余裕で間に合いそうである。慌ててバスに乗り込んでしまったので、もう少し熊本観光でもしてくればよかったかなと後悔したが、バスは熊本港に向かって走り出した。
バスは熊本市内の郊外へ向かってちまちまとバス停に停まっては走りを繰り返しながら港へ向かう。この先に本当に港があるのだろうかと思うような、普通の住宅街や郊外ショッピングセンターのあるようなエリアを通る。乗るバスを間違えたかなと、いささか不安に感じ始めたころ、港へ向かう熊本大橋を渡る。バスで熊本港までやってきたのは私一人であった。
熊本港の待合スペースはとてもきれいで、お腹もすいてきたので、そこで弁当を開くことにした。鶏肉によく味が染みており、とてもおいしく、満足度の高いお弁当であった。
まだ、船が出るまで余裕があるため、喫茶スペースでもないかと建物内を徘徊する。幸いなことに、まだ雨は降っておらず、船は出港予定とのことで、安堵した。
出航時間が近づくと、乗船の案内が流れる。少し雨がぱらついてきたようだ。
●13時ちょうど、船は熊本港を出港した。
雨も降り始めたため、視界は最悪で、窓の外は真っ白だ。天気が良ければ、正面に島原半島、左手側には宇土半島が見えそうだが、この天気では無理のようだ。
乗船時間の30分をおとなしく自席で過ごすことにする。乗客は私のほかに、家族連れが1組、他に、島原観光へ向かうと思われる老夫婦が2.3組程度乗船している。
30分はあっという間で、正面に島原港が見えてくる。
下船して、島原鉄道の島原港(しまばらこう)駅方向に歩いているのは私一人だけであった。現在時刻は13時40分過ぎ、次の諫早行の列車は14時4分の予定だ。
雨の降る島原港駅は、先まで伸びている路線を途中で切り捨てたような配線の中途半端な終着駅で、まだ先まで続いていそうな雰囲気の駅であった。
駅の待合室で一人、乗車予定の列車が到着するのを待つことにした。
次回へつづく
[参考文献]
・JTB小さな時刻表 2021年秋号 JTBパブリッシング
・全国鉄道地図帳 昭文社
・ビジュアルワイド図解 日本の城・城合戦 小和田泰径著 西東社
〔表記の分け方について〕
※太字表記した部分については時刻表や地図帳などの事実に基づいた内容である。
※時刻表の羅列だけでは寂しいのでフィクションで私の行動や周囲の乗客の様子や風景を書き加えた。その部分は細字表記となっている。また、歴史的背景の描写や街の紹介などは事実に基づく内容である。その部分は時刻表には無関係のため、細字表記となっている。
【今回のマップ】