サンホラに人生狂わされて14年経ったのでドイツで聖地巡礼した⑦
クヴェトリンブルク(Quedlinburg)
ハルツ山地北部のクヴェトリンブルクにやってきました。
日本での知名度はイマイチですが、中世のままの街並みが世界文化遺産に登録されている美しい街です。
この街を訪れることが今回の旅行の一番の目玉でした。
※以下オタクの早口語りが始まるので興味のない人は高速スクロール推奨です!※
このクヴェトリンブルクは宮廷議会が開かれたり、王家の婚姻が執り行われたりと、中世以来ザクセン王家にとって重要な場所でした。サンホラのオタク的に特筆すべきは女子修道院の存在。
時は遡ること10世紀、ザクセン朝の東フランク国王ハインリヒ1世の死を悼み、遺された妻マティルダがクヴェトリンブルク女子修道院を設立しました。以来、この女子修道院は高位貴族の未婚の女子が修道生活を送る場所とされてきました。
ピンと来たオタク達もいると思いますが、この女子修道院はサンホラの9th story CD『Nein』収録の楽曲『忘れな月夜』の舞台なのではないか、と筆者は推測しています。
『忘れな月夜』の曲中でエリーザベトは「修道院長の姉」と呼ばれています。ということはエリーザベトの妹に当たる人物が女子修道院の院長であるということ。
エリーザベトのモデルの一人として考えられるのが、ヴェッティン家のザクセン選帝侯クリスティアン1世(1560-1591)の娘、エリーザベト。このエリーザベトは史実では1588年に生まれ、わずか1年で夭折しています。もしエリーザベトが蘇生して生き延びたら…という歴史のIFが『イド森』『Märchen』だと筆者は捉えています。
(1583年生まれで5歳上のクリスティアン2世には子どもがいなかったので、妹エリーザベトを自分の娘ということにしたかったのでしょう)
そしてこのクリスティアン1世の娘、エリーザベトの姉にあたる人物に、ドロテーアという女性がいます。このドロテーアは1610年からクヴェトリンブルク女子修道院の院長を務めていました。
以上のことから、このクヴェトリンブルク女子修道院が『忘れな月夜』の舞台だろうと筆者は考えています。
蛇足ですが、『忘れな月夜』は1617年の出来事ではないかと予想しています。ちょうど1617年に修道院長のドロテーアはドレスデンを訪問しており、そこで病を患い11月17日に26歳の若さで没してしまいます。
『忘れな月夜』は「院長の所用による外出」の間の出来事です。つまりドロテーアがドレスデンに訪問中で死去するまで、1617年1月から11月までの間の出来事だと考えられるのではないでしょうか。
なにより、161「7」年ですしね…
※オタクの早口終わり!!!!※
目指すクヴェトリンブルク修道院(聖セルヴァティウス教会)は、クヴェトリンブルク城と並んで城山(Schloßberg)の上に建っています。駅から歩いて20分ほどの距離です。
世界遺産のエリアに入る前から、素敵な邸宅が建ち並んでいます。
このあたりから世界遺産エリアでしょうか。
明らかに中世そのまま!な石壁や木組みの家並みが目に入るようになってきました。
確かに、中世の街並みがよく残っています。世界遺産に登録されているのも納得です。
可愛らしい小道を進むと、クヴェトリンブルク城が見えてきました。
城の外壁に何かついてる?と思ってよく見ると…
ザクセン選帝侯の紋章!!!!
やっぱりこの街はザクセン候の街なんだ…!
この時点で、「「「正解」」」を感じてテンションが爆上がりしました。
城山を登ります。
クヴェトリンブルク城はしばらくの間補修工事を行っているそうです。
お城は工事中で見学できませんでしたが、聖セルヴァティウス教会は入場できました。
いよいよ、エリーザベトの過ごした修道院へ…!