勉強の順序
アマラくんと多分初めて、二人でちょっとじっくり話をした。今、外国語に興味があってSNSで18ヶ国語くらい話せる人、あ!あの人すごいよね、どうやってあんな喋れんだろうね、そうなんですよ。それで今、他の人ので顔の筋肉を鍛えて英語の発音できるようにって、でもなかなか難しくて、わかる僕もアメリカ行ったとき友達が先生やってくれてズーーっと「リフリジレイター」って、冷蔵庫の発音延々とさせられた。だけどさ、一人だとむずいよねだって「あ、それ違う」「そう、それ!」って先生に言われたけど自分じゃ何が合ってて何が違うのかそもそもわかんないんだもん
僕、今になって勉強したくなってて、あのときもっとやっとけば良かったなぁって
それはそのときじゃなくて、やっぱり今が勉強するときなんじゃん?というか、興味ないのに勉強なんて本当はあり得ないでしょう。
どういうことですか?
だって、学校の授業て、順序だって教わるでしょ、でそれが順序立てられてるから迷わず効率よく学習できるって思うじゃん。でも順序って、ゴールが設定されて初めて並べることができるじゃん。
はぁ。
つまり教えるときに、教える側は生徒をどこに連れていきたいかが実はあるんだよ、学校の先生がそれに気づいてるかどうかは知らんけど、少なくとも学校というものを作ってる意識はそれがある、日本の学校で6年間も英語を習うのに喋れるようにならないのは僕らが怠慢なんじゃなくて、目的がそこにないからだよ。で、今アマラくんは先のゴールはないわけじゃん、あるとすれば英語の発音よくしゃべりたい、とかでしょ。学校で教わる英語のゴールとは違うとこにあるわけだから、あの順序で勉強してもけして効率良いとは限らないっていうか、多分むしろ悪い。
そうかぁ。
ていうか、そもそも未来って未知じゃん?明日のことだって、自分が何をしたいかなんて本当のところ誰にもわからないわけで、よく僕も学校行ってたときは行ったことあったんだけど
「この勉強が一体、なんの役に立つんですか?」
この質問ならまだいい、でも
「こんな勉強、役に立たないじゃないか」
って生徒どころか大人でもいう人いるけど、役に立つ立たないってわかる人はそれこそ未来がわかる人じゃなかったら誰も言えない言葉だ。つまりは、ほとんど誰にもそんなことは言えないってこと。しかも、勉強が役に立つ立たないって、勉強の意味が。いま興味あることを知ろうとすることが勉強になれば、役に立つ立たないは関係ないよね。役に立つ立たないだとその後の目的に使用されなければ、勉強した時間は無駄なことになっちゃうけどその時間だって「生きている」時間じゃないか、そしたら「生きている」ことに注目したら、いま興味あることに向き合うことそのものが「生きている」になる。
僕の経験談ではだけど、そうやって興味の赴くままやることは、バラバラのままで一個一個のままだから全然進歩したように思えない時が続くけど、10年続けたら、あるとき、一気に結びつく。しかも自分では思ってもいなかったような結びつきを見せてくれる、しかもその網目は、文字通り網みたいにかなり形を変えて応用が利くようになるよ。僕、自分が好きな味だけ求めて珈琲の焙煎を誰にもきちんと教わらずにやってたけど、そのせいで一時期はずいぶん遠回りしてるなぁって思ってたけど、今はそのおかげでお店でコーヒー飲んだら、大体どんな味にしたくてどんな焙煎してるのかなんとなくわかるようになったもの。
本もわからないのを読むのが楽しくて、一読しても全然わかんないことばかりだけど、何年か経って読み直したらスラスラ読めるようになってたってこと何度もある、そんでさらに時間経って忘れた頃に読み直したらさ、内容忘れてるから、読みながら
「あ、この人同じ考え方してるなぁ。」
って思う、
「あ、違うわ。この本読んで僕、こう考えるようになったんだった」
とかってなる。多分、それが勉強の形なんじゃないかなぁ