水のこと、自動筆記で
自動筆記スタイルで。
自動筆記とすると、途端にスピードを速めなきゃという思い込みがあったことに気づいたので、今日は少しスローに、でも頭の思考が割り込めないくらいの速さで。
水
とにかく、水だ!
そう思いながら何もしないまま、何でなのかも知らないまま、水のことを。とっかかりがないから、とりあえず出先で湧き水があれば汲んでくる。家の中で、口に入るものはなんでも湧き水で用を足して、トイレは汲み取りぼっとんだから水はいらなくて、お風呂の水も湧き水ならいいな。と思うけど、家の敷地に井戸か川があればそれもできる、飲める水がそこにあるってのはそこ、と決めて生活をするのにまっ先にあることかもしれない。
そういう場所を望むと当たり前のように森や山にはいることがまず浮かんでくるが、街でなんとかしたいという思いもある。街をなんとかしたい、ではない。難しくてやりがいを感じてもいるらしい。
でも、この間開店すぐにいつも珈琲豆を買いに来てくれる五十川さんが家の上の敷地を人に売った。立地がうわ県道沿いのわりかし急な斜面じゃなければ僕もいいな、と思ったところで、五十川さんは
井戸も埋めることにするというから、宮司さんにお願いしたんですよ
井戸まであったなんて!えぇ、しくったなぁ!でもそもそもお金ないからな、と思いながら話を聞いていると井戸を埋める時は感謝と祟りを畏れて地鎮祭のようなことをするらしい、地面の息抜きもつくる、ガスなのか、溜まるものを抜いて元井戸が地中でなんか起こしたりしないように、そんなことも知らないでいたから面白い、
この辺は5メートルも掘ればどこでも水が出てくるらしいから、必要になったらまた掘ればいいで、ということでした
なんだ、それじゃそんな難しいことでもないのかもしれないな。そういえば飯田の旧中心市街地「丘の上」も、つい数十年前まではそこかしこに井戸があったそう。数年前に見せてもらったお宅にも井戸があって、まだ水が溜まっていた(そこはもう駐車場になった)。
一週間後、なんとなくの流れで郡上八幡に行くことにして、いつも面倒くさいので前情報を探ったりしないから、行ってみて郡上八幡が水が溢れるように家々のすぐそこに流れているのを目の当たりにした。家の裏手の用水路、建物の下を抜ける水路、それらの生活用水と暮らしとの近さ、大量の水。雨も降った。飯田ではもうない、あるいは道路の下に隠された水が、しかも飯田のそれの何倍も多いだろう、水。街中に観光客にもわかる湧き水が一つ、あって、僕以外にそれを飲んでる人は見なかったけど、飲めると書いてあるから飲んだ。クセのない、表情が薄い水だったので、街中を流れる水の勢いとのギャップに少し驚いた。
クセがなくて表情が薄い、としたのは郡上八幡に行く前に石徹白に行って湧き水を二箇所、汲んで来ていたからだ。次の日にも二箇所、糸白の湧き水を汲みに行ってこの2日で結局、5箇所の湧水の水を汲んで、飲んだ。郡上八幡から石徹白とは逆の方向で進んであった円空岩の目の前の山の川の水は、飲まずに入った。誰もこなさそうだったし、円空もここで行水した日がいないと思ったら入りたい気持ちが強くなって、素っ裸で。
石徹白は白山の麓で、山のてっぺんに近いからなのかな、水が鮮烈で、澄んだものが多くて、去年行ったときには雪の中に埋まってたのか気づかず素通りした「またたびの水」が、僕にはいちばん甘さを感じて美味かった。水が汲めるように設えてある車道の脇、その水辺にはセリも生えていて、何つったっけ、赤い小さな花を咲かしたなんとかという花も生えていて、それらの甘さかもしれない。
びっくり仰天!して、こんな風に水を汲むところは、僕が行った水汲み場では初めてでこの何でもない感じがいいなぁ!と思ったのは石徹白の集落の中にある、ほんの少し奥の水が沸くところからくの字に曲がるようにため池みたいに囲ってあるその池の中は水草がびっしりで、写真に撮ると綺麗すぎて水があるのがわからないくらい、でもその水草のとこにペットボトルとかコップを突っ込んで水を汲む。地中やパイプから流れ出てくる水に口をつけて溜めるのではなく、溜まっている水を汲む。それがすごい。
虫とか入ったりしないかな、目に見えないものを気にしてるわけじゃない、と思ったが飲んでみると、むしろ澄んで澄んで、こう言うと悪い言い方のように自分で聞こえてしまうけれど、命の数が少ないような味わいだった。山のてっぺんに近いからなのかな。
命がそこに集まるには、少し淀み、不純物、混じり気のあるものが必要なのかもしれない。
水と共に、木にも触れてきた旅だったけれど、それはまた今度にしよう。
水、とにかく水。
大地の再生、土中環境の通気浸透水脈や風の通り道は、人間の身体では気血じゃなかろか。血管ではなくて。自身の身体の水、を感じてみる。水道の水は口に入れた瞬間は、まだまだ他所様、の感じがする。そのせいとは気づかなかったけれど、小さい時から水を口に含むとずっとそのままコノロコノロと転がしているのが好きで、笹井信吾さんという人が武術やスポーツの経験から?発見した「#口に水を含む」と身体の先走りや後遅れがなくなったり、互いに感応が深まったり、結果、演奏の音色が変わったりいろんなことが起こる、それは心地よさの方に振れているような、何十年も繰り返しながらそのことを知覚しないまま、ずっと感覚していたのだなぁと気づいた。
手が止まってしまったので、今日はこれでおしまい。
水のことでした。