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伊那谷縄文week2 週末縄文人のお話

そういうわけで、2/1(土)に伊那の赤石商店で、たてよこ文化研究所が企画した「伊那谷縄文Week vol.2」に、珈琲の出店。
ひなみ文庫での出張喫茶の際、本棚にあった『週末の縄文人』を何気なく手に取って読んでいたところに、小森さんからメッセージが届いた。「週末縄文人のお二人のトークがあるんですが、珈琲の出店いかがですか?」という、ものすごいタイムリーなお誘いのメールで、すぐに「こちらからお願いしたいくらいです!」と、この偶然に興奮した。

縄さんと文さんの話は知識の正しさではなく経験の深さと示唆に富んでいて、話を聞いている間も僕自身が触発されるようにいろんなことが閃いたり浮かんだり、じっとしていられなくなった。本を読んでいても勝手に映像が浮かんできたり文言が現れたりするものは僕にとっていい本で、そんなだから読書は捗らない。読むと書きたくなり、書くと読みたくなる。絵もそうだ。自分でも何かしたくなる気にさせる、というのはもっとも難しくてすごいことじゃないかしら?
トークの中で二つ前の投稿で綴った「土器の底が平ら」問題にも触れられ、二人の実地の体験を通した話が出てきて、

尖形土器は地面を掘って使ったとされているが、そして僕も二つ前の投稿で地面を真っ平らに均すよりいろんな丸がはまるように適当に掘るほうが楽だし色んなものが置きやすいんじゃないかな、と思っていたのだけど、20時間もかけて石斧を磨いたり、二ヶ月かけて火おこしをしたり竪穴式住居も作っている二人からすると、「均せばいいんだから、そっちの方が楽だしね」ということで、体験からくる言葉は説得力がある。それに長細い?かまどに差し込む形で底が先細りする尖形土器は底が平のものより明らかに熱効率が良いそうで、しかも窄まったかまどなら薪の量も体感で1/5で済むんだって。
しかも、ここからが重要なのだが、そうして縄文時代の暮らしを想像して試していると、やっぱり平らな面に憧れが生まれるらしい。自然には真っ直ぐ、が本当に少ない。希少であることと人為が及ばないところに神聖さや特別さを見出すことは現代と同じでも、観念ではなくて暮らしから生まれていることが重要なポイントだと思った。頭(前頭葉)ではなく、身体(脳なら後頭葉とか。一つ前の投稿、奥のことにもつながるな)から生まれているということ。トークが終わった後に少しおしゃべりできたとき、縄さんが「身体性もものすごく重要だと思ってます」という風なことを言ってくれてたことを思い出す。

そして、縄文人も効率を求めてたんじゃないか、という話。
去年の夏、因島で風くんと話したことを思い出した。僕は「縄文時代に釘があったなら、やっぱり釘を使ったんじゃないかなぁ。」と言ったら、風くんは「そうですよね、僕もそう思う」と返した。現代の社会に違和感を感じると、昔の自然の法則に則らざるを得なかった暮らしを良しとする視点が生まれるし、僕も今の社会はあまりに不自然だと思うが、昔の人はたまたま巨大な機械を持っていなかっただけかもしれない。人間は、やっぱり人間。というところがあり、そこから「さりとて」となること。言ってしまえば、伝統工法で建てられた日本家屋にも、不自然さは織り込まれている。特に、市井の庶民が果たしてみんな、あんな金と資材と技術が必要な家に暮らしてただろうか。アニメ「平家物語」の一話目に出てきた、ヒョロイ柱と筵の屋根の掘立て小屋は、長い時間残るはずがない。今触れられるものの多くは、当時の社会では上流階級と呼ばれていた人たちの暮らしであったことは想像に難くない。つい数十年前の、「テレビ、洗濯機、自動車」があって当たり前になったのはいつからか。風呂や、家の中に便所や、一人一部屋が当たり前になっているのは、そうでなければ貧乏、が浸透してるのはいつからか。今の僕らは、時代が時代なら王侯貴族である。しかし、さりとて、だ。縄文人は、たとえ現代の技術が現前したとしても、それを使わなかったんじゃないだろうか。(言語学者の本、『ピダハン』に同じような話が出てくる)そこで技術を手にするものとしないものの差は、どこから生まれてくるのか。僕は、身体が感じる「快」ではないかと、思っている。

僕の持論、「文化と経済というもともと一つであったものが、交通の発展によって二つに分かれ、経済を船のとも(舵取り)とすることで、土を均すことで土地という天井(有限性)を突破し、経済発展がなされた。同時に、土地をアスファルティックにすることはその土地らしさを失うことになるから、閾値を超えて経済が発展すれば文化が衰退するのは必定だ」が重なってくる。
ちなみに文化=経済=交通は、それぞれナショナリズム=グローバリズム=コミュニタリズムにも対応する。ので、交通=コミュニタリズムは道路や車の発達だけではなく、人間の関係のあり方、徒歩圏内かネット環境での繋がりかとか、が関わってくる。
平らに均す、というのは僕にはとても重要な観点なのです。

効率を求めつつ、やりすぎない。そのポイントはどこか。少なくともそのポイントは僕らの側にはなく、自然に伺いを立てるしかないのは間違いない。そして、一番身近な自然は、この身体だ。その身体すら思い通りにしたいとしてるのが現代医学や科学の生活技術への反映だけど、本来は身体がどこまでの揺れを許容できるかや、何をしてくれているのかを探ることが科学の役割だったんじゃないか、そしてそうであれば、それこそ現代人なんかよりよっぽど身体が存在していた縄文人の人たちは科学していた。トーク後のお喋りで「身体の内(奥?)に(で?)宇宙を観ていたんじゃないか」という話で盛り上がったこと。

閾値、この身体一つではどうしようもないものに直面するとき。週末縄文人の二人は、拾ってきた石を何時間もかけて壊れないように磨くとき、そこにあるものだけで火を熾そうとして着くかつかないか、土器が焼けるか割れてしまうか、自分ではどうしようもないとき、「祈っていた」。
文さんの話。たった4cmの木を切るのも、ハンドアックスでは数時間かかる。その木を切り、棒にしてまた何時間もかけて穴を開けて、何時間もかけて磨いた石斧をはめる。取手のついた斧なら、同じ木が10分弱で切れる。でもチェーンソーや現代の斧やノコギリなら、もっと短い。それが直径1mとかの大きな木になったらどうだろう。
斧を振うとき、春先の水をいっぱい吸い上げている木からは「血飛沫のように」水が顔に飛んできたんだって。木も生きていることを実感したそうだ。
そうして東京に帰ったら、ある場所でまさに樹齢100年はあるだろう木がチェーンソーで切られているところに出会した文さんは、「悔しかった」。
そんな太さの木を磨製石斧で切ろうとしたら、それこそ村中総出で何日かかけて切り倒したことだろう。それはやっぱり特別なことで、それだけ時間と労力がかかる大木に、昔の人々は畏敬の念を覚えていたはずだ。それが今では技術の発達によって躊躇なく切り倒すことができる。それは果たして、手放しで喜んでいいことなのだろうか。
そんなことが語られていた。

二人が話す「祈り」や「神聖さ」は、現代のそれとは存在してるところが違う気がする。行為自体が体を動かす中での必然さを持っているし、それを向ける対象が、なんというか具体的で祈る人と分断されていない。
web上のどこかにある、能楽師の安田登さんが、昔々は神はすぐそこにいて、願いを口にするとき(ねがふ、も元々はねぎらうであった)すぐそこにいる神には囁きで届いていた。それが次第に離れていき、今では人は神を失い、その代わりに得たのは私は病だと思う、と書いていたのをずっと覚えている。

今、そのことがわかった気がする。あれを読んだのはたぶん10年近く前でそこからずっと、なんで神を失ったら病を得るのか、わからなかった。僕はわからないことをそのままストックしておくのが苦痛じゃない。というか、わからないことは考えたりしないでわからないままにしておくと、いつか応えがやってくる。答え、じゃなくて応え、であるところがミソなのだと思う。応え、も人為でないのである。
身体はわたしだけど、僕のものではなく、僕が自覚できないところで自身のバランスや外界との関係で揺れ動き続けている自然だ。数日前、あぐらをかいてじっと身体を観ていたら、この心臓の鼓動に僕自身の体が揺れ動かされているところに出会った。
自然をコントロールすることはできない。人類はコントロールしたくて、いろんなことをしてきた。でもその限りを自然に委ねている限り、というか本当は熱だって身体が熱を出す能力があるから熱が出るのであり、痛みを感じる働きがあるから痛いし、いくら薬を飲んだり傷口を縫合したところで、身体にその働きがなかったら何も起こらない。本当は、この自身の体の働き、お腹すいたとか眠くなったとか目が覚めたとかうんこしたくなったとか、それだけじゃない感情も、自然に湧いてくるものだ。
自分達ではどうにもできない領域に触れたとき、人は「祈る」。生まれること、死ぬこと。自由を、

コントロールすること=「自ら(みずから)を由(よし)とする」

ではなくて

自然に委ねる=「自ずから(おのずから)を由とする」

としたとき、究極の自由はなんだろう。応えは「死ぬべきときに死ぬこと」だった(これは、自分で創作を書いてたときに登場人物が教えてくれたことだ。)
死ぬべきときに死ぬのは早くても遅くてもダメで、それがいつかは考えたってわからない。
人類の歴史は、もともと内にあった能力(熱を出すとか傷を塞ぐとか寒さ暑さに対応するとか)を外在化し、外在化した能力で人為を増やすことをもって発展としてきたんじゃないだろうか。そうして人為が増えれば、そのぶん祈る機会は減ってゆく。祈りという行為が減ることは、そのまま神が薄らいでゆくことになる。祈りに必要なのはきっと具体的なベクトルがあったんだと思う、たとえば炎の中で焼成されてゆく土器をひび注目し続けるその眼差しであり、何時間も何時間も割れないように研いで磨いてゆく石の変化に触れるその手と指や耳。その時間というか、状態。状態なので、それは観念でない、身体に起こることであり、それを観ることしかできない。
それがいつしか機能がとって変わってゆく。機能と捉えれば、自身である身体は、自分がコントロールできる。常に変化している状態を、原因と結果、区切りをつけ固定することで人為が介入できるようにした。でも変化がなくなったわけじゃない、区切りの外を見れば、また別の境を作り、その外にまた状態が見え、また枠を・・・病気が増え続けるのは、もしかしたらそういう仕組みなのかもしれないな。でも、そこで分けられる原因、結果、区切り、境、枠、はあくまで自分が認識できる中だけのことだ。自分の認知が変われば世界もまた変わって見えることを僕らは忘れかけている。そして、外の、言語化された情報のなかに答えを求めていやしないだろうか。エビデンスがない神がいない世界が、果たして本当の世界だろうか。

自分自身で、現代の道具を使わず、そこにあるものでなんとかしていくうちに、週末縄文人の二人は、それまで漠然と森だ、木だ、草だ、としか見えてなかったものが、車窓から眺めてるだけでも、パッと、あれは火熾しにいい植物、斧に適した石だ、薬草や食用になる葉っぱや果実、自然と見分けがつくようになっていったそう。あの木が生えてるってことは、あそこにはきっとあれがあって、こんな獣が集まってくるだろう。木を切るために、まず行くのはあのあたりだ。今の時期じゃないと、あの葉っぱ、木の実は収穫できないぞ。

宇宙や量子=マクロとミクロを研究する科学だって、人間の認知が関わっている。
顕在化された認識=言語化された情報は、それを感覚できたからこそ計測できる。あることに気づいてないものを、人はどうして計測しようとできるだろうか。そこに何かある、感じる。なんとなく。そこから始まるしかないじゃないか。
ただし、感じる、が身体で生じているかがカギだ。たとえば社会的階層の差とかは、身体では感じられないことじゃんね、つまりそれは観念だ。
きっと、ここが現代人と縄文人、同じ人間だけど違う人類の、一番の違いなんじゃないかなぁ。
自身の身体を使って暮らす、世界と繋がってる週末縄文人の二人が眩しくて羨ましく見えて聴こえていたのは、そこだったんだなぁ。



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