久しぶりに読み通した。途中からだけど
久しぶりに、一つを読み通せた。山下澄人『私は強ク・歌う』
タイトルを口に出して言ったらこの通りだけど、文字ではひらがなとカタカナと漢字で書かれていて、どれがどうだったか、さっきまで読んでいたのにもう忘れてしまった。読んでいたのはタイトルじゃなくて中身の方だから、別に物忘れが酷いわけでもないだろうけど、さすがにそれは「読んだ」というけど「読んだ」なのかと不安になった。何しろ、すぐに数行飛ばす。
先が気になって飛ばすのではなく、面白いから何度も読み返す、それもまだ一度も最後まで読んでないのに、『わたしは強ク・歌ウ』はもう何ヶ月か前に買って、文芸誌に載っているので、他の作品は試してみたけどほとんど数行で読めなくて、とても好きなのが山下澄人さんが書くもので、小説じゃなくても読むのだ、一番好きな作家は?と言われたらすぐ答えられるくらい好きだのに、それも初めて読む作品なのに飛ばし読みをする、数ページ読んでじっとしてられなくなる、
今日も何回か、10回くらいは中断したし、随分飛ばした。それで「読んだ」と言えるのか。飛ばしたところは勝手に補正するか、飛ばしたところは飛ばしてかまわないわけじゃない、読まなきゃ飛ばしていいかもわからない、飛ばしていいと書いた者が思ったらそもそも残さないのではないか?
面白いと思って読むのに、どうして飛ばすのか?
読みながら、ただ書かれた文字を、「あいうえお」の表を読むときの、文字が指す意味ではなくて音がわかるから読めているという意味での読み方でただ進んでいることに気づくことがある、どこからだったか数行戻って、もう一度読み直す。そんな読み方だから、余計にもう僕が私が誰がママでパパでムェイドゥが誰が僕なのか全然わからない、わからないけど誰がどうなって今そうしてるのかわからなくても、今読んでるところが、なんでこんな書き方できるのかとか的確で簡潔に言葉が置かれてるようで、出てくる人物がみんないい、そうじゃない奴もいる、そうじゃない奴はそうじゃない奴じゃない人物たちのおかげでそうじゃなくても読める、出てくる人物がみんなそうじゃない奴だったらすぐ飽きる、書いてる人物、作者ではなくて地の文のほう、がそうじゃない奴だったらもっとすぐ飽きる、書かれたものを読んで、現実に生きてる自分はそうじゃない奴になってないかが気になる。僕がそうじゃない奴だったら、作中の人物は僕から離れていくだろう、離れる前に殴ったり呆れられたりするかも、そしたらもうその続きは見られない。
今日は
5
から読み出して、最後まで読んだ。店でだから、途中でお客さんが来たらダメだったけど今日は暇で全然人が来ないから最後まで読めた。何回か読み続けられなくなって、立って動いたりトイレに行ったり自分用に珈琲を淹れたりした。
読みながら色々なことが現れた、夢さえ見た、でもそれは忘れてしまった、今すぐ思い出せるのは
吾ノイマダ中気ヲ受ケテ以ッテ生マレザル前、スナハチ心ハ天ニ在リテ、五行ノ運行ヲ為セリ。吾ノスデニ中気ヲ受ケテ生マルル後、スナハチ天ハ吾ノ心ニ依リテ、五亊ノ主宰ヲ為セリ。
古井由吉の小説に出てきた昔の中国の医者の李廷、間違ってるかもしれない、の言葉。古井由吉の作品も一つも読んだことがない、ならなぜ覚えてるのか、家に二冊本はある、あるけどほとんど読んでないはずで、というか二冊の中にもこれはない、これも文芸誌に載っていたものをぱらぱら開いて途中から読んだときにあった文章だった、はず。何度か探したけれど、どこに書かれていたのか見つけられなかった。文章を暗記しているわけではなくて、メモにしてスマホに保存してある。
いまは昔より頭をいっぱい使うようになった、識字率も上がって、個人の知識量も格段に増えた、とかいうけどつい二十年前ならひとんちの電話番号は十人くらい平気で覚えてた。読んだ本の数は少なくても結構暗記してる人がいた。もうたった数行のこれを覚えていられない、これは僕個人の話だ。暗記って、頭でしてるのだろうか。
ついさっき読み終えた『私は強ク・歌ウ』の、たった一行も暗誦できないが、こうして書いてるとすぐ読みたくなってきた。読むとすぐ言葉が浮かんで書きたくなってくる。
古井由吉の話だった、『私は強ク
打つのが面倒なタイトルだ、を読んでいるとき
古井由吉の本は二冊、買ったのに読んでない。買って、満足した。いや、満足してはいない、買ったときは読みたい気持ちがあった、のにすぐ読み始めなかったから気持ちがすぎてしまった。気持ちがすぎるのと、満足するのは違う。
という言葉、言葉というより音のない声、が読みながら浮かんできた。この声を覚えておきたくて、いま打っているこの文章を打ち始めた。読んでいるとすぐ飽きるか、別の衝動が起こるかして先を読み進めなくなってしまう。衝動が起こるものは、僕にとって、面白いもの。だから好きなのに、なかなか文字を進められない。が、その衝動が、同じところを読み直しても起こらない、前読んだときには起こらなかったところで起きもする、
飽き性。体力がない、というのも確実にある。が、同時に、それもまた僕にとっては「読む」ことで、本に限らず。だから別の何か言葉を探し当てる必要があるのかもしれない。
と書き始めて、ぷつっと止まったので、これはここまでにしよう。