「有馬記念と雪と聖夜と」(その1)
低い空だった。
雨とも雪ともつかないものが時々パラパラとくるものの、降りきらない天気が続いていた。
一面のガラスに灯りが反射している。正面には大きなターフビジョンやゴール板が見える。四階の高さから見下ろす馬場には、突き棒で芝を叩く、グリーンやピンクの服を来た作業員の姿が見える。次のレースまでの限られた時間で、めくれ上がった芝を戻したり、叩いてコースを平坦にしたりといった芝コースの補修を行うのだ。馬場はかなり回復したものの、まだ良い状態とまではいえない。
その日、佐伯俊彦は、馬主として中山競馬場の馬主席に座っていた。ゆっくりと辺りを見渡しながら、佐伯は言う。
「やっぱり懐かしいですねぇ……あぁ、懐かしくはないか、東京ちゃいますもんね」
前日、晩まで断続的に降り続いた牡丹雪は、少し積もりはしたものの、夜中の間に概ね溶けてしまい、朝にはすっかりなくなっていた。地面は濡れていた。ところどころに水たまりができていた。
午前中はまだ、時々日がさすこともあったが、午後になるとそれもなくなってしまった。
馬主席のラウンジにある煉瓦色のソファに腰かけ、時折スマートフォンの画面を見ながら、佐伯はぽつりぽつり語る。関西訛りを抑えるように、慎重に、言葉を選びながら。
決して若作りではない。
仕立ての良いスーツから覗く、ロールの美しい真っ白なイタリアンカラーのシャツ。サックスブルーのドット柄のアスコット・タイ。テンプルに木を使用したツーポイントのリムレス眼鏡。髪こそ白髪交じりだが、豊かで艷やかだ。とても還暦には見えない。
直前のレースで、二着に入った馬の進路妨害があったようで、長らく審議が続いていたが、着順通り確定した旨が場内にアナウンスされた。歓喜と落胆の混ざったゴォッという外の歓声が、ラウンジまで届いた。
すっきりしない天気のまま、競走馬たちが馬場に姿を現した。十数年前と同じように、少し遅れて本馬場入場が始まった。
ファンとしての競馬歴も長い佐伯だが、ギャンブルとしての競馬にはあまり興味がなく、馬券はほとんど購入しない。
しかし、その日は珍しく購入している。
「実は心に決めている馬がいましてね、それを軸に馬単総流し。人気ないみたいんで、当たればそこそこ(配当が)つくんちゃいますか。
馬連を買うことはあっても、馬単なんか絶対買わないんですけど、今日は、なんか、ちょっと、そういう気分なんですかね」
一着と二着になる馬の、馬番号の組合せを当てる「馬連」は、比較的シンプルで昔から多くのファンに親しまれてる馬券である。一方、「馬単」は、一着と二着になる馬の、馬番号を着順通りに当てる必要があるため、馬連よりも難易度が高い。その分、高配当になりやすい。「総流し」とは、軸馬(軸となる一頭)と他の全ての馬との組み合わせによる馬券の買い方のことである。
そんなちょっとした勝負をしたくなる程度に、その日の佐伯の心は高揚していた。
年末、中央競馬の一年を締めくくるレースとして中山競馬場で行われる「有馬記念」は、ファン投票上位馬に優先出走権が与えられる。成績だけでなく、ファンの「夢」が反映されるため、ドリームレースと表現されることも多い。
馬主である佐伯の所有馬は、この日開催される有馬記念には出走していない。「夢」を乗せて走る十六頭の中に、佐伯の所有馬はいないのである。
雲に覆われた空は暗く、重く、相変わらず低い。風は冷たく、少し強くなってきていた。
「ようやく帰ってくることができたんですね、有馬記念に」
その日、他の大勢の競馬ファンとは異なり、佐伯だけは、十数年にわたる長い長い「夢」の中にいたのかもしれない。
そろそろですかねといいながら、佐伯はソファーから腰を上げた。外ではついにみぞれが降り出した。
今年も有馬記念が始まろうとしている。
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