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息子のことと、嫌悪感
『ここに集まっているのは、みんな、同じ悩みを持った十八人の友だちです。
ふだんは一人で悩んだり苦しんだりしている君たちも、ここではなにも恥ずかしがらなくていいんです。
同じ悩みや苦しみを分かち合って、友情を深めていってください』
先生は『悩み』と『苦しみ』を何度も口にした。
『悩み』を背負って『苦しみ』ながら生きていくーまるでマンガの、可哀想な登場人物みたいだ。
『リラックスしてしゃべればいいんです。気にするから、よけい言葉が出なくなるんです。
『どもったってかまわないんだ』と
気持ちを楽にして、自信を持ってしゃべることが肝心なんですね』
今度は、むっとした。なに言ってるんだ、と思った。
『言葉がつっかえたって気にするな』と、おとなはしょっちゅう言う。
『笑われたっていいじゃないか、そんな奴はほっとけ』
『吃音なんかにくじけるな』
『どもるのも個性のうちだ』…そんなことを言うおとなにかぎって、すらすらと、なめらかに、
気持ちよさそうにしゃべる。
『ほら、みんな、顔が下を向いちゃってるわよ。胸を張って、もっと堂々として。
吃音なんて恥ずかしいことじゃないんだから』
違う。
ぜんぜん、違う…。
この文章を読んで、ある光景が思い出された。
息子が、私を睨みつけ、グッと拳を握りしめていた日のこと。
雄弁に、正しいことを述べ、相手を無意識にかわいそうな人と断定し、ベラベラと話す。
そりゃ、気持ちいいよな。
そう思った。
この日のことを深く胸に刻み込んだ。
でも、また同じようなことを繰り返す。
そんな自分にがっかりした。
そして、その快楽を求める傲慢さ?勘違いから生まれた偽善のような塊を、
心の底から嫌悪した。
『ごめん。わからないよ、ごめん』
自分には、この言葉しかないのだと気づいた。