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Tomoのブログ、生と死について思うこと③

### **昨年、わたしの若い友人が亡くなった。若いといっても、わたしよりひとまわり若い。しかし、トライアスロンに出れる体力を持ち、気力ももっていた。** ### **彼を砕いたのは、急性の精神的病いだった。2年前、それで彼は2ヶ月ほど入院した。** ### **退院した彼は、元の仕事に戻ることを希望していた。しかし、会社は、医師の全面的な回復の証明がなければ受け付けることはできないと拒否した。会社と病院と何度も連絡をとって、らちがあかないと彼はあきらめた。他の仕事を探しても良かったかもしれない。しかし、彼はその仕事で生きて行きたかった。** ### **タクシードライバー。ロバートデニーロの映画で有名になった、タクシードライバー。** ### **彼は、イタリア語のできるタクシードライバーとして、イタリア人から好かれていた。その仕事を続けたかったのだ。それが不可能になった。** ### **彼は、死を宣言した、さようなら、皆さんはまだ美しく見るべきところのあるこの世界の美を見てください、と。** ### **それを読んで、電話、メールと繰り返した。何日目かに返事が来た。同時に、彼の知人から、入院することになったから大丈夫とメールがありあんしんした。それから10日間ほど、メールのやり取りをした。彼のイタリア語の小説について、それを私がどう読んだかについて、辞書はどうしたか?私はフランス語とスペイン語はすこし取り組んだが、イタリア語はどうだったか?彼の小説について、どう思うか?どうしてドイツ語を学ぼうと思ったか?** ### 👍**、これが彼の最後のメッセージだった。** ### **それから2週間、彼が病院にいると思っていた私は、毎日メールを送った。そして、彼の友人から、彼の死の連絡が来た。** ### **私は、彼の死に惨めさも哀しさも哀れさも感じなかった。マスコミでは孤独死と呼ぶのかもしれない。** ### **人間はひとりで生まれて、孤独に生きて、ひとりで死んでいくものだと思っている。ブッダが言ったのだったか⁈「犀の角のごとくひとり歩め」。** ### **彼はそのように生きて死んだ。** ### **私も彼のように死ぬだろう。そして、どこかに強い確信があるのだ、彼とまた会うと。それが、私の死について信じることなので、死はひとつの扉のように感じている。**

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