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Tomoのブログ、生と死について思うこと①

### **生と死について思うこと、と題をつけたが難しいことは書かないし、書く知恵も力もない。思い出すことや、思うことをそのまま書こうと思う。** ### **最近、先に亡くなった友人たちのことを思い出す。彼らが何を考えていたか、思い出そうと、いろいろ想像したり、記憶をかき回すが、どうしてもこの手で触れているという実感がない。それだけ私が彼らのことを思っていなかったのだと自分のつめたさを考える。同時に、ひとはそのように互いの心の底まで知ることはできないものだとも知らされる。** ### **先日、江藤淳の『妻と私』を読んだ。連れ合いが病気になったら、私はあのように時間を連れ合いとのためにつかい、自分の肉体の苦痛をかくしながら相手のことを思って日々を過ごしていけるだろうかと自分に問うと、自信がないというのが正直なところである。** ### **ただ、連れ合いがいなくなると、生きる意味と気力と喜びが無くなり、死を選ぶことは私にも起こりそうな気がする。もちろん、実際にそういう時がこないと、自分がどういう精神状態になるかはわからないが。** ### **私が三十歳の時、母が亡くなった。そのあと、一人になった父は三年ほど毎日さびしくて泣いたと言っていた。しかし、妹夫婦が一緒に住み始めると、笑い、遊びに出かけ、母が亡くなる前よりも楽しそうだった。その心の中はわからないが、そうしか思えなかった。** ### **最近、知人が六十二歳で夫を亡くした。毎日のように泣いているという。そうだろうと思う。** ### **ひとりというのは死にたいほどにさびしく、かなしいものだと思う。** ### **私はその孤独感の重苦しい暗さを短い期間だが味わったことがある。外国で生活した三年のうち二年ほど、夜になると、あるいはほとんどの店が閉じる週末になると、その孤独感は私をおおってきた。** ### **だから、テレビのニュースを見て最初に思うのは、あっ、このひとはとても苦しくて抜け出せないと絶望しているのでは⁈とか、このひとは孤独で生きているのも苦しいのでは⁈ということである。** ### **外国に住んでいた頃、イランから亡命希望で同じ国にひとりで生活していた男がいた。元は大学教授で、百科事典の編集者のひとりだった。政権が変わり、命を狙われ国外に脱出した。ただ家族はそのあと出国する予定だったが、できなかった。彼は毎晩泣いていた。翌朝、疲れた顔でカフェテリアの仕事に来ていた。** ### **彼は何度も睡眠薬を多量に飲んで自殺を試みた。しかし、薬を飲んだ後、さびしさに耐えきれず友人の誰かに電話して、それで駆けつけた友人たちに助けられ、命は守られた。** ### **私が日本に戻ってから、彼とは連絡が取れなくなった。亡命希望を提出していたアメリカへ行けたのかもしれない。** ### **何年か後、仕事でその国イギリスへ行った。彼の昔の仕事場とフラットに行ったが、どちらも既に閉じており、彼が何処に住んでいるか、アメリカへ行けたかどうかすらわからなかった。** ### **彼の生は、涙で濡れたものだった。今、もしアメリカで生きているなら、会いに行きたいと思う。既に亡くなっているなら、どのような最後だったか、知りたいと思う。** ### **もし死んだ後に、会うことができるのなら、会いたい友人だ。** ### **彼を思い出すと、人の人生は人間の知恵や力ではなんともしょうのないものだと思う。**

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