バリでの計画変更
上はクタビーチである。本当はたくさんのビーチパラソルが並び、お店が並んでいるらしい。
五十年近く前は、本当に、観光客は少なく、いわゆるヒッピーが何名かいるだけで、お店も、ビーチから大通りへ向かう細い道に何軒かの焼きそば屋があるくらいだった。
わたしより先に日本を離れてイギリスに向かったイギリス人のガールフレンドから絵葉書が来た。ーーーークタビーチのゲストハウスXXX番に2ヶ月止まる予定だから、もし良かったら来て。ーーーー
イギリスの大学院進学を計画して、ロンドン大学の比較文学科を考えていたわたしは、即葉書を書いた。ーーーー行くから、そのゲストハウスから動かないでーーーー
即、インドネシアのセンパチ航空の、1年間フリーの羽田、バリのデンパサール、ロンドンのチケットを買った。
大学の卒業式は欠席、友人たちが助手と教授に話して、本来なら卒業を認めないのを認めてもらい、卒業証書を父に渡したーーーわたしは見たことがないが、実家にまだあるかどうか⁈台風で半壊した時にゴミとして捨てられたかもしれない。
ガールフレンドがパリ観光している間にクタに到着したわたしは、指定されたゲストハウスに荷物を置いて、ビーチに行った。横たわっていると、「マサシ!マサシ!」とたくさんの女性が集まってきた。ーーーー小さな村だから(その頃のクタはそうだった)、ゲストハウスから新しい客のことは村中にすぐ伝わるんだと思ったわたしは、ハーイ、ハーイ、またね、と返していた。
なんのことはない、マッサージしましょうか?というオイルマッサージで食べている女性たちだと分かったのは、夕方、ガールフレンドが帰って来てからだった。
彼女が持ってきたニュースは、あとひとつ、驚くのがあった。
センパチ航空が倒産し、チェコスロバキア航空が全てを引き継ぐ。一年フリーの権利はそのままだが、デンパサール空港は使わないのでシンガポール空港発の飛行機を利用すること。
そのニュースは、わたしたちの計画を変えた。
シンガポールまで行くのなら、1年時間があるのだから、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイをまわろうと。
ガールフレンドは休学している大学院に戻る学期の確認を取り、わたしはロンドン大学比較文学科大学院に、入学手続きの期限の確認をとった。
インドネシアには、夜いたるところでヤモリが鳴く。鳴き声はゲーコ、ゲーコーーわたしたちは、そのヤモリをゲーコと名付けた。
その鳴き声は「ケッコウ、けっこう、結構!」と聞こえたのだ。
ゲーコが、時にベッドに落ちてくるのにも、二、三日でなれた。