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相互扶助とアナキズム ― レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(1)

レベッカ・ソルニット『定本・災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』
"A Paradise Built in Hell - The Extraordinary Communities That Arise in Disaster"
高月園子 訳、亜紀書房、2020年

本書の原著は2009年に出版され、2010年に旧版が翻訳された。邦訳出版元のウェブページに「2011年3月11日の東日本大震災以後、全国の書店から多くのご注文をいただくようになりました。また、新聞・雑誌・ブログ等で次々と本書が紹介されるようになりました。」とあるように(※1)、注目を集めた本として広く知られている。広く知られているということは、「何となく知っているけれど、詳しくは知らない」という人も多いということでもある。曖昧な理解は誤解のもとである。

まず、本書の原題は『A Paradise Built in Hell(地獄に築かれた楽園)』であり、〝災害ユートピア〟という言葉は邦題にすぎない。本文中にも〝災害ユートピア〟という単語はほとんど見当たらない。もし、あたかも著者のレベッカ・ソルニットが〝災害ユートピア〟という用語を作り、その概念を提唱しているかのように書かれている文章に出会ったら注意しよう。

また、災害時に相互扶助のコミュニティが出現する現象を発見したのは、ソルニットが最初ではない。本書においては、1906年のサンフランシスコ地震に関する新聞記事を書いたジャーナリストが、被災者たちの助け合いを「友情」と表現している事例(55頁)が最初である。日本においては、例えば阪神淡路大震災で被災した精神科医の中井久夫が、〝共同体感情〟という言葉で被災地の人々の交流を描写している(※2)。なお、災害時のコミュニティが〝ユートピア〟的であると指摘した最初期の研究は、チャールズ・E・フリッツによるものである。孫引きになるが、本書からフリッツの言葉(『Disasters and Mental Health』、1961年)を引用する。

(…)「こうして、災害を引き起こし、災害を拡大させる自然や人的な力が敵意に満ちたものに見えるのとは逆に、そこで生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる。人間に対する断定的な見方は抑えられ、同情的な見方が広がる。そういった意味で、災害は物理的には地獄かもしれないが、結果的には、一時的ではあるが、社会的なユートピアともいえるものを出現させるのだ」。

165頁 脚注番号は省略した

本書の内容は、邦題のサブタイトルにある「なぜそのとき(災害時に)特別な共同体が立ち上がるのか」という問いについての考察である。その答えは「災害に遭った人々はパニック状態になり暴徒化すると信じられているが、実際は正反対である。人の本性には思いやりが備わっており、ゆえに国家による秩序の維持が機能しない非常時でも、自ずと相互扶助のコミュニティを作る能力があるからだ」という前向きなものだ(※3)。

フリッツおよびソルニットの見解は、おおよそ次のようになる。災害は、人間に対して主に二つのことを強制する。一つは、災害は誰もが多かれ少なかれ抱えている日々の悩みや心配事を、一時的であれ強制的に棚上げする。もう一つは、災害は人に役割を強制的に与える。役割とはすなわち〝やるべきこと〟だ。やるべきこは、助け合うこと。ただそれだけである。やるべきことが分かっていれば迷うことはない。日々の悩みや心配事が棚上げされているのなら尚更だ。

助けたり助けられたりする過程で人が集まり、同じ災害に見舞われた同じ境遇のメンバーだと認知される。メンバー同士で連帯感が生まれ、「自分はコミュニティの一員である」という帰属意識が芽生える。そして、やるべきことがあるということ、やるべきことをこなすことが、人に〝生きる意味〟や〝生きる目的〟という欲求を満たし、充実感をもたらす(本書では〝喜び〟という言葉で言い表され、多用されている)。


しかし、本書は相互扶助のコミュニティを礼賛するだけではない。ソルニットは、災害後には消えてしまうユートピア的なコミュニティを、局地的な存続ではなく社会全体として持続させることが重要であると説く。そして、現代社会とは〝別の社会〟の実現に期待を寄せる。

〝別の社会〟とは何か。それはアナキズム的な社会である。ソルニットが「人の本性には思いやりが備わっている」と述べる根拠は、ロシアのアナキスト、ピョートル・クロポトキン(1842~1921)の思想、とりわけ『相互扶助論』(1902年)によるところが大きい。

 クロポトキンは(…)、昆虫や鳥類、そして哺乳類などの同類間での相互扶助に始まる〝協力〟こそが、生存には競争と同じくらい、もしくはそれ以上に重要だと論じた。(…)彼が注目したのは、伝統に従う人々や部族民のほとんどが、個人同士で敵対するよりもむしろ、大家族や一族の形態を取って生活していたことだった。(…)

136-137頁

(…)災害が起きると、ヒエラルキー、行政、公共機関といった社会構造が崩壊しがちだが、その結果、生じるのは、メディアの報じる無法な蛮行という意味の無政府状態ではなく、人々が自由に選んだ協力のもとに結束する、クロポトキンの提唱する無政府状態なのだ。

139頁

アナキズムは、近年、文化人類学者らによって再考されるようになった(※4)。文化人類学の知の多くは、中央政府を持たずに自立した社会を営む人々から得られたものだ。アナキズムとの接近は必然と言える。もっとも、小さな集落社会だからこそ可能な自治と、多くの国民を抱える国家行政を安易に比べるべきではないが、現代社会のあり方が必ずしも正解なのではなく、また唯一なのでもなく、〝別の社会〟の可能性があることを文化人類学は示唆してくれる。


現代社会は、少なくとも欧米や日本では、自由な競争による市場原理を肯定するネオリベラリズム(新自由主義)に基づいた資本主義社会だ。企業だけでなく、個人も生き残るために自分の市場価値を高める努力を迫られる。成功するのも失敗するのも自己責任だと言われれば、みな自分の利益を優先する個人主義的な思考になるのは当然だ。「自分の身は自分で守らなければならない」という不安に包まれて、他者への思いやりはすっかり影を潜めている。

 たいていの伝統的な社会では、個人同士や家族同士、集団の間に、深く根づいた献身やつながりがある。(…)だが、流動的で個人主義的な現代社会がこういった昔ながらの結びつきの幾分かを切り捨てた結果、人々は特に経済的な取り決めにより他人を背負い込むこと――高齢者や社会的弱者への物質的援助や、貧困や悲惨な状況に対する支援、すなわち〝兄弟姉妹〟の扶養――に二の足を踏むようになった。(…)

11頁

災害は、自己防衛的な個人主義に長く浸かることで様変わりしてしまった私たちを、他者へ思いやりを示す本来の姿に立ち返らせる。言い換えれば、問題なのは災害という非常時ではなく、私たちの普段の生活や社会の平常時にある。以上が、本書で取り上げられる多くの社会学者や思想家の知見を踏まえたソルニットの認識だ。

次回は、本書のもう一つの主題である「エリートパニック」について述べる。(つづく)


※1…亜紀書房 - 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ Ⅰ-7 災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか 【編集部より】 https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=467

※2…『災害がほんとうに襲った時』みすず書房、2011年、77頁、97-98頁、102-103頁など。また、中井久夫『復興の道なかばで』(みすず書房、2011年)では、「共同体感情」についてアナキズムではなくコミューンと表現しているくだりがある。

 大震災はたしかに同時的体験であるが、非常に個別的な体験でもある。「共同体感情」は主に同じ体験を共にしたという感覚の上に成り立つのであるが、これは一つはPTSDを中心とする災害心理症候群を共有することによるものであり、もう一つは貨幣経済と階層社会の一時停止による、文字通りの「コミューン」に成立する感情である。それが一過性のものであるのは理の当然である。数十日後に学校が再開され、貨幣が必要となり、さらに貧富の差が再建の過程で現れると、この共同体感情が色あせて自然である。振り返れば夢まぼろし、あるいは錯覚としか思えない。また実際に錯覚でもあるだろう(…)。
 そういうことはあるが、ボランティアが全国から集まったその吸引力、そして別々の人たちをとにかく協力して働かせた磁力には、この「コミューン」性というものがあると私は思う。この列島は貨幣経済と学歴社会を脱ぎ捨てる夢を時々見てしまう。(…)

中井久夫『復興の道なかばで』みすず書房、2011年、27-28頁

※3…必ずしも、災害においても相互扶助のコミュニティが生まれるわけではないということはソルニットも承知している。コミュニティが発生しなかった例として、1972年に発生したバッファロー・クリーク洪水を挙げている。それは、社会学者カイ・T・エリクソンの調査を踏まえたものである(172頁)。

※4…デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(2004年)や、ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』(2009年)など。日本では、松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ者、2021年)や、アナキズムを直接的に扱ってはいないが、小川さやか『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書、2016年)による、アフリカ諸国でのインフォーマル経済(日雇い労働や路上販売など、国家の統計に反映されない経済活動)に関する研究などがある。

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