すごくばかなはなし『自主』

「自主的に行動をしましょう」
ある時に先生はそう言って、自ら学び、考え、行動するようにと私たち生徒に促しました。

ところが、生徒たちは特に変わることなくいつも通りで、その日の授業でも先生に指名されるまで誰も手を上げませんでした。
すると先生は
「全く伝わってない!自分から考えてって言ったのに」
と怒りました。
私は、みんなが自主的に考えた結果、自分が進んで目立つよりも、誰かに任せて静かに授業をやり過ごした方が精神的に楽だと結論づけたから、沈黙を決め込んでいるのではないだろうかと思っていました。それに、先生のその怖い顔で威圧されたみんなが渋々挙手し始めたら、それこそ自主性が損なわれた行動の始まりなのではないだろうかとも思いましたが、それを実際に言ってしまうと大勢の前で厄介な大人と大して面白くもない問答を演じなければならなくなるので、私はみんなと同じようにやや俯き加減で押し黙っていました。
結局、その授業はいつも通り先生に指名された生徒が回答する形で進んでいきました。
授業が終わり教室を出て行く時、先生は怒っていたわりに元気がなさそうで、それを見た私の頭には授業中黙りこくっていたクラスのみんなの顔がよぎりました。

その日の放課後、私は授業で気になったところを確認するために先生と話をしに職員室へ行きました。しかし、
「今日はちょっと忙しいからまた今度ね」
と断られてしまいました。
せっかく自主的に学ぼうとしに来てあげたのになあ、とも思いましたが、よく考えると先生と二人でそれほど深くやり取りしたいわけでもなかったので潔く諦めることにしました。先生は本当に忙しそうで、私を置いて先に職員室を出て行ってしまいました。
私はこっそり先生の机の上を見回しました。そして、置いてあるファイルの下に授業の計画や目標が書かれた紙を見つけました。

そこには、先生たちの教育の目標として「生徒の自主性を育む」と記されていたのでした。

私はそれから、他の先生たちも同じように「生徒の自主性を育む」という目標に基づいて授業していることを知りました。けれど、それからも先生の言う「自主的」とは何かを聞くことはできませんでした。なので、私はずっと「自主」という言葉の意味が分からないままなのです。


おわり

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