人生のバイブル『ゴーゴー幽霊船』の歌詞を徹底的に語る
⚠注意事項⚠
本記事は、作詞作曲に携わる方々の想いを突き止めることを目的としません。
言葉の解釈をメインに、作品の魅力を共有することを目指しています。
今回解釈する歌は、米津玄師さんの『ゴーゴー幽霊船』。
難解ながら聴き心地の良い歌詞と中毒性のある曲調で、リリースから10年以上経った現在も愛されている名曲です。
さて、まずはタイトルに軽く触れます。
『ゴーゴー幽霊船』という題通り、歌詞の中には「幽霊」が出てきます。この「幽霊」の捉え方によって、ストーリー解釈に大きな違いが出そうですね。
「目に見えないもの」「死んだ後に残るもの」「恨み辛みを語るもの」「人に怖がられるもの」「存在があやふやなもの」……色々解釈できます。
・「幽霊」が示唆しているものは何か?
・「幽霊船(幽霊を乗せた船)」とはどういう意味か?
これらに注目しながら本編に進みましょう。
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本曲には2人の登場人物が出てきます。
1人目は「(ちょっと病弱な)セブンティーン」。イラストを見る限り女の子ですね。18歳の手前ということで「子供と大人の狭間にいる存在」、そして今後の解釈も踏まえると「夢と現実の選択を迫られる年齢」でもあります。
「絵を描いて」は実際に絵を描いているとも取れますが、もっと広義に「夢を描く」の比喩だと解釈します。
「枯れたインクとペン」ということは、元々はしっかりと中身が詰まっていたはず。インクとペンを使い続けるうちに、今は出涸らしになってしまったのでしょう。
インクとペンがカラカラになるくらいまで絵を描き続けている……つまり、「昔から夢に向かって地道に努力している」ことが想像できます。
しかし彼女はインクを補充しようとせず、枯れたペンで絵を描き続けています。
絵を描いてはいるが、その色は失われている状態……つまり彼女は今「夢や希望が消えかかっている状態(諦めようとしている状態)」なのではないでしょうか。
「マザーグース」は、主にイギリスで伝承されている童謡の総称です。「ロンドン橋落ちた」とか「ハンプティ・ダンプティ」とか、私も子供の頃に聴いた覚えがあります。
ここで彼女は「幼い頃の記憶を継ぎ接ぎしている」のかもしれません。幼い頃の記憶の断片を継ぎ接ぎして、現在の自分と照らし合わせている。あの頃綺麗に見えていた世界はもうどこにもない。毎晩そんなことを考えては涙し、眠りについている。
また、「童謡」を敢えてマイナスの意味で捉えると「子供っぽいもの」「古くさいもの」「(現代となっては)ありふれたもの」などに解釈できます。
自分なりに考えて悩んで生み出したものが、どこかで聞いたような創作物の焼き直しにしかならない。やはり自分に才能なんて無いのか。もう諦めてしまった方が良いのか。といった葛藤にも取れますね。
2人目の登場人物は「アンドロイド」。SFではお馴染みの人型ロボットですね。これは米津さん御本人を指していると解釈します。夢追い人の対になる存在(夢を成し遂げた人)であり、これから出てくる歌詞との辻褄が合う点からそう感じました。
ただし、これは「大衆から見た米津さん」あるいは「創作物を通して見られている米津さん」です。だからこそ人型ロボットに喩えられていて、生身や等身大の米津さんとは性質が異なります。
「君に愛されたいと願ってたい」……凄い歌詞ですね。「愛されたいと願う」ことを望んでいる。つまり現状では「そう願うことすらおこがましい」と思っているんです。
ここでの「君」は、素直に読めば前述の「セブンティーン」でしょう。少女を「夢追い人」に置き換えるなら、ここは「自分の作品で夢追い人に夢を魅せたいが、今はまだそれが出来ていない」というニュアンスだと解釈しました。
なぜ出来ていないかと言えば、少女のような存在がいるからです。皆がスーパースターによって魅了され、その世界に憧れを抱いて、愚直に努力出来るかと言えば、そんなことはない。自分の存在や影響力なんてちっぽけなんだと痛感し「最低な気分」になっている。
だからこそ、ここは自身の無力さを卑下する意味合いで「僕の声と頭はがらんどう」という表現になっているのだと思います。ちなみに「がらんどう」とは「からっぽ」「何も入っていない」という意味です。
「声ががらんどう」という歌詞も面白いですね。実体を持たない「声」が「からっぽ」と表現できるのは、歌手ならではの視点なのかなと思います。
また、ここで少し触れておきたいのは映像について。アンドロイドが少女へ何かアプローチを掛けているように見えます。お花のようなものを渡そうとしているのですが、少女はそれを拒絶しています。このやり取りの移り変わりにも注目です。
「雷管」は筒状の発火装置を指し、本来であれば中に起爆剤などが入っています。これは創作に対する「意欲」や「原動力」の比喩だと考えます。
「ペーパーバッグ」は紙袋のこと。紙袋は本来モノを入れる袋……ことさら商品を入れるのに使われるため、こちらは「創作物のパッケージ」の比喩かなと。
しかしそれらは「空」、からっぽなのです。創作に対する原動力も、満足に出来上がったものも何もない。
また、「から」ではなく「くう」と読ませていることから、ただ単にからっぽなだけでなく「実体がない」「空しい」(仏教における空(くう)の概念)という意味合いが強いのかもしれません。
創作の過程において、物質としては何かが出来上がっていたとしても、それは自分の目から見て価値のあるものとは言えない。
創作者の方なら、一部共感できる想いではないでしょうか。
では、この少女は夢を完全に諦めているのか。私にはそう思えません。
「馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた」というのは、「空の雷管」と「空のペーパーバッグ」に対してでしょう。
「呼吸」は、自身の外側にあるものを体内に取り込み、また外に出す行為。私はこれを「創作」や「自己表現」の比喩だと考えます。馬鹿らしい、意味が無いと分かってはいても、自分の内にあるものをまだ吐き続けている。
前述の「絵を描いて」「継いで接いで」「何度も泣いて」のように、彼女にはまだアクションや抵抗があるんです。
少女は自身の夢に失望や虚しさを感じながらも、どこか諦めきれないという気持ちを持っているように見えます。
ここでは重要キーワードである「本当の嘘」と「幽霊」が出てきます。
「幽霊」とは一般に「生き物が死んだ後、現世に残り続けるもの(念)」を指します。
私はこれを「挫折や失敗をした経験(または挫折や失敗そのもの)」だと解釈しました。
つまり「僕は幽霊だ本当さ」とは、「僕だって挫折や失敗を幾度となく繰り返してきたんだ」ということ。
「君の目には見えないだろうけど」は「創作物越しに僕を見ている君には、それを感じ取ることは出来ないだろうけど」という意味。
幽霊が私たちの目に見えないように、それぞれの人が背負っている挫折や失敗の経験値も見ることは出来ない。見えないからこそ私たちは、成功者の方に対してつい「自分とは才能からして違う」「次元が違う世界にいるんだ」と決めつけてしまう。
アンドロイドがテレビのようなものを被っているのも、少女からはテレビ越し(創作物を通じて)にしか見えないという意味なのかもしれません。
私が成功者の方々の気持ちを慮ることは出来ませんが、よく「天才」と評されるのを嫌う方がいらっしゃいますよね。「いや、血反吐を吐くほどの努力をしてきたんだ」と。ここの歌詞は何となくそういったニュアンスを感じます。
しかし、アンドロイドは少女を攻撃したいわけではありません。むしろ「だから君にもチャンスはあるんだ」とエールを送っているように感じます。
これを踏まえて「君を本当の嘘で騙すんだ」を読んでいきます。
私は「本当の嘘=創作物、フィクション」だと解釈しました。
フィクションは作り物(=嘘)だけれど、造り手がそこに込めた想いや読み手(聴き手)が感じたものは本当である。
つまり、「自分の作品を通して夢追い人たちを騙す(こちらの世界の魅力を伝えて少女に夢を魅せる)」という意味なのかなと。
今回の「幽霊」の解釈を踏まえると「幽霊船」は「挫折や失敗を乗せて進む船」となります。
これって、「人生そのもの」だと捉えられませんか。
人は幾度となく失敗を繰り返しながら人生を歩んでいく。その経験はとても辛いし、失敗を前提としたチャレンジは怖いかもしれないけど、きっと「幽霊をたくさん乗せた船の方が強靭」なんです。失敗や挫折を受け止め、糧にしてきた人間は強い。
だからこそタイトルは「ゴーゴー幽霊船」。幽霊をどんどん乗せて邁進していけ、というメッセージを感じました。
また、「善いも悪いもいよいよ無い」は「人生に絶対的な善悪は存在しない」、「閑静な街を行く」は「自分の人生のレール上には自分しかいない」という意味だと解釈しました。
この部分は全て命令形で統一されています。対象はセブンティーンでしょう。
「電光板」は「皆が目にすることができるもの」あるいは「目立つもの」。私は「大衆の目に触れられる場所に飛び込んでみろ」という意味に解釈しました。
小心者な創作者にありがちなのが「大成したいけど多くの人の目に触れるのは怖い」という感情。
色んな人に見せたらこっぴどく叩かれるかもしれないし、自分の意図を理解してくれない人が増えるかもしれない。
でも、そこを怖がっていたらいつまで経っても夢へは近づきませんよね。
ここは、「小さなコミュニティに甘んじてないで、人目に触れる場所へ行け」という意味かなと。
「それゆけ幽かな言葉探せ」これは「自分の中にある幽かな言葉」。
大衆の前に飛び出して行かなければいけないけど、決してヤケクソになって良いわけではない。それは、自分の奥底から絞り出して捻り出して、オリジナリティを持った言葉でなければ意味がない。
「沿線上の扉」は自分が進むべき道に設置された障害物……と一瞬考えましたが、それなら「扉」ではなく「壁」と表現すれば良いですよね。扉は障害物ではないのです。
つまり、沿線上に扉があるのは不自然なことではない。むしろ当たり前なこと。そういった「常識」や「当然だと思われていること」すら壊していけ、という意味なのかもしれません。
「見えない僕を信じてくれ」は「君がまだ認識できない僕(アンドロイド)の言う事をどうか信じてくれ」という意味だと解釈しました。
倒置法が使われているので後半から見ていきます。
「遠い昔のおまじない」は「大人たちから言われたトラウマ的な言葉」だと解釈しました。
「呪い(まじない)」は、「呪い(のろい)」とは少し性質が異なり、「災いから身を守るためにかける術」という意味合いになります。
きっと周囲の大人たちは、夢見る少女に対して「やめときなさい」「お前には無理だ」「現実を見ろ」などと言ってきたのでしょう。
もちろん意地悪で言っているのではなく、「常識的に考えて成功できるのは一握りなんだから、自分の子供に過酷な道を進ませたくない」という親心からです。
しかし少女にとってみれば、その言葉は「自分の行動を制限する枷」になりますよね。トラウマとも言い換えられます。
これからも夢を追い続けるか否か、その岐路に立たされた時、このトラウマは蘇ってくるでしょう。
そして、「粒子の出口」は「言い訳や逃げ道」だと解釈します。
夢を追うことに対して、少女は「でも」「だって」と無数の言い訳や逃げ道を持っている。だから少年兵(少年少女の兵隊)がその無数の逃げ道を隠してくれ、という意味ではないかなと。
逃げ道や言い訳があまりに多いから「少年兵(複数の意を強調)」が「声を紡いで」統率を取る必要がある。
ではどうして、少女はそれほどまでに自信が無いのか。
それは「遠い昔のおまじない」が「あんまり急に笑う」から。昔言われた言葉がトラウマ的に蘇ってきて、彼女の思考や行動を制限しているんです。
セブンティーンの衰弱が進行していますね。
「夢うつつ」とは、ぼんやりしていて夢か現実かはっきりしないような状態を指します。
「愛も絶え絶えの景色」は「夢うつつ」との対比、つまり少女から見た「現実」を描写していると思われます。
これは「現在自分が置かれている状況」とも取れますし「自分が目指している世界」とも取れますね。
「どんな綺麗事を並べても、こんな理不尽な世界で夢を見たって叶いっこないでしょ?」というニュアンスを感じます。
これは「愛も絶え絶えの景色」に対するアンサーだと思います。
「汚物」「ヤンキー」「公害」「メランコリー」これらは全て、一般的にはマイナスの印象がある言葉たちですね。
ちなみに「メランコリー」は「憂鬱」。わざわざ「メランコリー」と表現しているので、ボカロ曲の「メランコリック」に掛けているのかもしれません。
元々ボカロP出身ですし……となると「公害」は「メルト」「炉心溶融」とかも有り得ますね。ボカロに詳しくないので推測しきれませんが、既存の創作物タイトルに掛かっている感じが半端ないです。
『砂の惑星』からも分かるように、当時(ボカロ黎明期かつ最盛期)の曲への愛は相当なものだと思うので、十分ありえるかなと。
話が逸れましたがつまりここの歌詞は……「僕は綺麗事を言いたいんじゃないよ、この世界の嫌な部分も全部伝えるつもりだよ」というメッセージに解釈しました。
「君の手を引き連れて戻すのさ」は、「諦めかけた君をもう一度、こちらの世界に振り向かせる」というニュアンスですね。この曲全体を通して、アンドロイドはこれを目標に動いているのです。
「目を剥く」は、かっと目を見開くこと。船に乗っている幽霊たちが徐々に覚醒してきた様子が伺えます。
無数の失敗や挫折たちは「いつか成功するための糧」であり、幽霊を乗せ続けることで彼女は着実にレベルアップしていきます。覚醒前夜の兆候を「目を剥く」という言葉で表現しているのかなと。
「前も後ろもいよいよ無い」は「前後不覚の状態」を指していると解釈します。彼女は幽霊を乗せ続けることでレベルアップしていますが、精神はどんどん疲弊・衰弱している。失敗を繰り返せば当然そうなります。
息も苦しくて頭もクラクラして、もう何がなんだか分からない。
それならいっそ、無我夢中になって進んでみよう。幽霊たち、着いてきてくれるか。
「飛び込め一ニの三で跨がれ」は「時流が来たら深く考えずに勢いで突っ走れ」という意味だと解釈しました。実力が着いてきたら、飛躍のきっかけになるようなチャンスがどこかで訪れるかもしれない。そんな時は迷わず飛び込め、という意味かなと。
ただ、「太陽系の奥へ進め」が相当難しいですね。
「太陽」を「太陽系の奥」とするなら、「より陽の当たる場所へ行け」という、1番と似たニュアンスになると思います。
もしくは「地球(自分の枠組み)から飛び出せ」「(太陽に近付いて)燃え尽きてでも前に進め」とも解釈できそうです。
「まんまの言葉信じてくれ」は、「変に勘ぐらないで、僕の言ったままの言葉を信じてくれ」と解釈します。
「扁桃体」は脳の中で感情を司る部位。
その「奥を使え」ということは、「奥底にしまい込んだ感情を曝け出してみろ」つまり、「お前の本当の気持ちを言ってみろ!」ということですね。
「せぐりあげる」は感情が支えてえづくこと。「本当の気持ちを言ってみろ」と言われた少女は、葛藤と本音の間で苦しんで吐きそうになっているのだと思います。葛藤の理由は「遠い昔のおまじない」です。
「たちまちのうちにはびこれば」からは、「トラウマが自分の脳内を埋め尽くしている様子」が伺えますね。
ついにラスサビ。覚醒の時です。つまり「夢を叶えた瞬間」が来たんです。
「3000年の恨み」は「長い年月を屈辱で耐え忍んだ恨み」という大枠。
「飛べ飛べみんなで拡声器持て」の「みんな」は幽霊たちですね。覚醒に至ったということは、幽霊船は大所帯になっているはずですから。
失敗と挫折を重ねに重ね、周囲から心無い言葉を浴び、苦しんで苦しんでようやく花が開いた。
さあ、今までの経験を全て開放して世の中の奴らを見返してやれ。
どうですか。このストーリーラインで「幽霊船は怒り散らせ」「見てろよ今度は修羅に落ちて」という怒涛の逆襲劇。この痛快さに私は毎回涙ぐんでしまいます。
そして「遠い昔のおまじないが あんまりな嘘と知る」。
実際に夢を叶えてみたら、「なんだ、周りが言っていたことなんか嘘だったじゃないか」と少女は知ることになるんです。
自分を縛り付けていたあらゆる言葉や常識は、本当はなんてことなかったんだ。今まで自分は、そんなものに縛られていたんだ。
それはあまりに酷い嘘だったと。
夢を失いかけたセブンティーンに、表現者のアンドロイドが「努力」や「夢を追うこと」の本質を説く。
私の解釈において『ゴーゴー幽霊船』は、「夢追い人への応援歌」です。
最後には少女もお花を受け取っていましたね。アンドロイドのアプローチ(言っていたこと)が本当だと分かり、それを受け入れたのでしょう。
きっと、今度はこの少女が、誰かにお花を渡してくれるはず。
表現者として、夢追い人たちに夢を魅せる存在になると思います。
繰り返しになりますが、この解釈は「作詞作曲に携わる方々の代弁」を目指したものではありません。
私なりに感じたものを共有し、少しでも「面白い」と感じてもらえることを目指したコンテンツです。
ぜひ、コメントで皆さんの解釈も聞かせてください。
それでは、次回の歌詞解釈でお会いしましょう。またね!
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