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日記 11月・12月分


11月3日 「デスカードだけが願ってくれる安寧」

11月に入ってから休職した。
友人と東京蚤の市に行った。
今回のお目当ては、メルキュール骨董店さんのデスカード。
天使と十字架が描かれているものを中心に物色。
4枚買った。

デスカードは静かでいい。
チョコレートとかタバコとかのおまけカードとかも
可愛くて好きだけど、デスカードは死者のためのもの(死者への悼み、紹介)だから、デザインもモノトーンなことが多い、此れが自分の部屋にはよく似合うのだ。

買ったものの一枚に「Pax Deo」と書いてあった。
超超超意訳すると「(神の恩恵のもとで)安らかに眠れ」
みたいな意味だと思うが、それが何か良かった。
安寧を願ってくれるのはデスカードだけだ。
だから、好きなのかもしれない。


11月4日  「生きるための祈りの場所」

最近、インテリアに凝っている。
凝っているというか、部屋の掃除か整理しかすることがないのだ。
集中力がなくなってしまったから、創作も、映画鑑賞も出来ない。
本も読めない。
眠れない。
鬱々として、不安定だ。
何もかもが。
だから延々と掃除し続けているわけだが、
ついでにインテリアにも凝ってみた。
生来の凝り性だから、案外これが出来る。
凝っている間は他のことを考えなくてもいい。
特にデスク周りと本棚は中々に自分好みに仕立てられていると思う。
机の上に「自分」が感じられるような、そういうしつらえになってきた。
呼吸が少しは出来るような、そんな場所にしたい。
部屋のコンセプトとしては、「箱庭」がいい。
耽美でフェティッシュ、愛らしく、オタクな
MTK版驚異の部屋、を造りたいのだ。

美術館で買ったポストカード、
好きなアーティストさんのカレンダー、
蚤の市のデスカード、
推しのバンドのポスター、
昔ヴァチカンで買ったロザリオ添えて、
此れは、今日も明日も自分が生きれるための 
祈りの場所。
この場所で毎日祈り続ける。
もう幸福なんてものがないとして、
どうかこれ以上何も悪くなりませんように。


12月13日〜15日 「沖縄旅行」

11月の鬱々とした気分を引きずって12月になってしまった。
実は12月13日から15日まで、沖縄へ旅行した。
わたくしの限界具合をみた友人が、引っ張り出してくれたのだ。
「行くよ!」「ホテルとったよ!」「飛行機これね!」と
驚くほどスピーディーに旅行を計画してくれた友人A。
感謝している。

国際通り、美ら海水族館、沖縄県立美術館、そしてまた国際通り。
主に国際通りをふらふらし、
美味しいものを食べまくって、
沖縄の晴れは、
東京の晴れと違って、鬱々とした気分にならないから不思議だ。
久々に楽しかった気がする。


12月17日 「おしまい」

沖縄旅行へ行って快方へ向かったような矢先、
弩級の憂鬱がやってきた。
よく晴れた日の、カラッとした太陽。
太陽がいると、よく気分が悪くなる。
憎いよあんたが。

職場関係で色々とやらなければならないことがあり、
落ち着かない。
いつのまにか真っ暗な不安の渦に飲み込まれていた。
もう全部だめかもしれない、と思う。

布団を頭から被る。
何も見えない、何もない。
何も未来がない。
無茶苦茶だ。
無茶苦茶にされた。なった。
根性も才能も、お金目、恋人も、
何もない、何もない。
いい事なんて一つもないから。
これ以上時が進んでくれるな。

鼻水の滝が出来上がって、
擦った瞼が厚ぼったくて、
ふ、と、もう戻れないんだなと思った。
体調や不眠は時間をかければ快方するかもしれない。
でも、知らなかった自分には戻れない。
苦痛に蝕まれて、泣きながら帰った夜を、
家のベランダから下を見下ろした自分を、
永遠の静かさを願った気持ちを、
なかったことにはできないし、
その記憶を、感覚を、忘れることはないだろう。
治るとか治らないとか、そういう話ではないだろう。

〈眠らない街〉の「だからね そんなね 顔しないでね ねえ きっと全てがうまくいくから」を信じられなくなってきた。まだ信じていたいよ。


12月26日 「このクソみたいな世界と」

ジュンク堂に行った。
手にとった上坂あゆ美さんの「地球と書いて〈ほし〉って読むな」の帯に「このクソみたいな世界に(中略)…言葉で立ち向かう。爆弾みたいな本だった。」と書いてあった。
この世界がクソってことを知ってる人間(ひと)がいて、安心した。


以上、むちゃくちゃ遅くなってしまったが、
11月、12月の日記でした。
お目汚し失礼いたしました。
読者の皆様の穏やかな生活を祈って。



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