煩悩とインナーチャイルドの差異について
【煩悩に打ち勝て!】
とはよく言うが、
え?
なに?
【キルフェボンに新作が出た?!】
くらいに聞き間違える程度には煩悩にまみれている私。
そんな私が最近考えていることがある。
煩悩に打ち勝てば、
より良く生きられるとか、
悟りをひらけるとか、
よく言われている。
この「煩悩」って、「インナーチャイルド」と何が違うの?
ザ・シークレットとか愛読している系の私は、心の中の私が欲するものは、全て手に入る的な考えを信仰している。
そこでは、「インナーチャイルド」の声に耳を傾けて、本当の自分を大切に、的なことを言ってると思う。
ほら、矛盾が生じちゃってるよ。
「え、生まれて30年余りの若輩者が、釈迦に説法?」
というご指摘は甘んじて聞き流し、純粋に問いたい。
「煩悩」を良く思ってない仏教と、
「インナーチャイルド」こそ最重要というキリスト教との、
宗教観の違いなの?
ググるという名の先行研究の調査を行なったが、そこの差異に言及している人っていないような?
え、別物なの??
私は、心の声に耳を傾けたとき、
「チョコレートが食べたい」
と聞こえたら、チョコレートを食べる。
それはインナーチャイルドの声だから。
でも、それを煩悩だと言うのなら、チョコレートを食べることは我慢して、その先にある何か尊いものに辿り着けるのだろうか。
砂糖を獲得する前に、悟りを獲得できるのだろうか。
あるいは、煩悩とインナーチャイルドは別物で、別次元で、差別化されるものなの?
そこを聞き分けられる人になれるの?わたし?
いや、そんなこと聞かれても。
答えは出ないけど、とりあえず今日も私は、チョコレートを貪る。