自分を記録する
心とからだの不調から抜け出したきっかけでもある、
"自分を記録する"こと。
具体的に何をしたのか、記憶を遡ってみようと思います。
原始的生活の記録
始まりは、小さなスケジュール帳のマンスリーページの1コマでした。食事と睡眠がままならなくなった頃、その1コマに「食事:×、睡眠:2時間、気分:×」のように、自身の具合を書き始めました。
最初はほんとうに、それだけ。
書けない日も沢山ありましたが、空欄の1コマは"特に体調が悪かった"ということが分かるので、そのままにしていました。
あとは空白のページに、感情を殴り書きました。頭の中のモヤモヤ、世の中や人間への黒い感情もそのまま、ただ脈絡もなく書いていきました。
自分を客観視する
1週間記録してみると、「2日は良い気分がもつな」「落ち込んだりするのには波があるな」など、気付きが得られます。まずはそれだけ分かるだけでも、このときは十分でした。
心は嫌がってるのに、仕事に向かう自分。
通勤途中のバスで訳も分からず涙を流し、ちぐはぐな感情に支配され、休職を決めた頃。食べたいものがわからず、スーパーの前で号泣することもありました。食欲不振になることなんてなかったのに、食べたいという欲求がなくなったことに、すごくショックを受けました。
頭の思考はどんどん悪い方向に走り、
「甘えるんじゃない」「逃げたら人生終わり」「私が悪い」と常に自分に言葉を浴びせて、自分が自分がと追い込んでしまっていました。
でも手帳に記録するときは、別のところから自分を見ているような、俯瞰した目線を持つことができ、
内に内に追い込む日々を「そういう日だった」と、
卑屈な自分の感情を「そう感じてたんだ」と、
客観視することができました。
別に自分を許すとか、認めるとか、そういうことでもなく、ただ支配されそうな頭の思考から、距離をとる。
最初はそれに救われていったのかなぁと、
今振り返ると思ったりします。
でもこの生活の記録をとり始めたのも、布団から出れるようになってからの話。(しばらくは布団が友達の日々でした。)
そのあとワークや人生計画、のほうにも首を突っ込んでいくのですが、そんなことを考えられたのは、休職してしばらく経ってからになります。
自分軸探しの手帳術が溢れているけど、それをやって早く社会に戻らなきゃと焦ると、また自分を追い込むことになるので、自分のペースや、合ったやり方を見誤らないことも、大切だと思います。
私は、手のひらサイズの手帳のマンスリーの小さな1コマが、ちょうどよかったので。