無理ゲー社会
「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち。
衝撃的なフレーズでこの本は始まる。
勝つことの難しい無理ゲーへの参加を強いられてしまった若者の嘆きが記載されている。
いったい社会はどうなってるのか。
どうやって生きていけばいいのか。
気になった部分をピックアップしていきます。
遺伝子ガチャ
子育ての影響とされているのものの多くは親から子への遺伝である。
共有環境とは「きょうだいが同じ影響を受ける環境」のことで、一般には家庭環境(子育て)とされている。
しかし、重要なのは個性には遺伝と子育て以外のなにかが強く影響していると言う点だ。
この「なにか」が「非共有環境」と呼ばれている。
発達心理学者のジュディス・リッチ・ハリスは、子どもの人格形成に決定的なのは「友だちの集団内の地位争い(キャラ作り)」だと述べている。
既存の心理学は「幼少期の子育てが子どもの性格をつくる」ことを当然の前提としてきたが、ハリスはそれを真っ向から否定した。
「子育てはほぼ関係ない」は衝撃的。
行動遺伝学の大規模なメタ分析によると、ほとんどの項目で遺伝と非共有環境の影響が圧倒的に大きく、共有環境の影響はほとんどないか、きわめて小さい。(本には表が掲載されています)
例外的に共有環境の影響が大きいのはポジティブな影響ではなく、「極端な領域でネガティブな差異をつくりだす」と書かれている。
つまり、子育ての影響があるとすればネガティブな部分だけということになる。
親(家庭)の影響が大きいのは幼少期までで、小学校高学年になれば友だち付き合いのほうが大事になり、思春期を過ぎれば親の説教などはどうでもよくなる。
重要なのは友だち集団のなかで注目され、よりよい(より多くの)性愛を獲得することなのだ。
だが大人になるとこうした体験を忘れてしまうらしく子育てや教育の影響を過大評価するようになる。
誰と過ごすか
「人間の個性は遺伝子と非共有環境で形成される」この事実は衝撃的だった。
子育てや教育による影響が無視できる程度しかないこと。友だち集団のなかでどうあるかが影響力は強いこと。
「人は環境に左右される」
優等生の集まりにいれば勉強をするし、不良の集まりにいれば罪を犯すかもしれない。これはそれぞれの環境において求められる(地位争い)が違うからである。
環境は大人になってからも影響するに思う。
子どもとの違いは自ら環境を選べる点である。志が同じ集まりや自分が目指す環境は選べるのである。もし自分がその環境にいないのであれば、怠慢か本当は目指していないかのどちらか。(自戒を込めて)
大人になった今、遺伝子は操作できないが環境は自ら操作できるのではないだろうか。
本著は秋葉原の事件など衝撃的な内容が多い。なぜ事件は起きてしまったのか。その背景を知ることは大切なことではないかと思う。
ぜひ一読してほしい。