「子どもたちのミーティング」を出した頃05
ミーティングを本にするという企画はこうして、私ひとりの内なる妄想から現実的に進み始めました。
すでに私の実践記録は手元にありましたので、あとは愛子さんとの対談でした。ただこれも、すでに私のなかに実践を記述しながらたくさんの「問い」が生まれていたので、あとは愛子さんに実際に聞くだけというところまできていました。
すこし話がそれるようですが、保育者になる人にそういう傾向が強いのか、保育者に限ったことではないのか、最初からなにもしていないのに「答え」を人から教えてもらいたがる人が多いような気がします。
それは、人から教えてもらえればすぐになにかがわかったり、見通しがついたり、獲得できたりするという前提に立っている気がします。
でも多くの場合、少なくとも保育実践においては、事態はそんなに「すんなり」とはいきません。
多くの場合、物事は自分で自分にたいして創意工夫を重ねながら、地道に積み重ねていくことでしか手のなかに掴むことはできないのです。
かくいう私も同じで、最初は愛子さんにミーティングのなんたるかを「聞いて、学ぼう」としていました。
それで本をつくるということを思いついたのですが、思わぬ副産物で、本をつくるという過程で自分で自分の実践を記述し、省察し、あれこれと照らし出してみることで、当初の目的をこえて私は「私と保育」ということに向き合えた気がします。
さて愛子さんとの対談は、りんごの木のスタッフのこいそさんのお家をお借りして行われました。こいそさんは元編集者で、私と愛子さんとの対談をそのあとテープ起こししてくれました。
こいそさんが出してくれるお茶をのみながら、私は夢中で愛子さんにあれこれ質問をしました。実践を重ねるなかで出てきた問い、そもそものミーティングと愛子さんとの出会い、他の実践との比較検討。
そのすべてが本に載ったわけではないのですが、これも本をつくるということを越えて、私にとってはとても心に残る時間でした。
そこで私が対話したのは一人の保育者としての柴田愛子さんでした。りんごの木の代表でも、カリスマ的な保育者でもなく、私たちと同じように日々保育をし、子どもと出会い、創意工夫してきたひとりの保育者でした。
もちろん私と愛子さんとの間では、経験も実力も雲泥の差があります。その差を私たちは双方から埋め合おうとしていました。
私は背伸びをし、愛子さんはときには身をかがめて、長い時間をかけて話し合いました。
そんなふうにして対談が終わり、テープ起こしを一冬かけて私は書き直しました。そしてその原稿を本多さんに渡し、本多さんがせっせとページデザインと構成をしてくれました。
こうして多くの人の助けを借りて、「子どもたちのミーティング〜りんごの木の保育実践から」は一冊の本になりました。