「子どもたちのミーティング」を出した頃06(終)
「子どもたちのミーティング〜りんごの木の保育実践から」は、りんごの木出版部から出版されました。最後に、その後に起こったことをいくつか書いて、このシリーズの筆を置きたいと思います。
愛子さんが危惧したことは半分あたっていて、半分はずれました。
すなわち、ミーティングを外に出したらきっと勘違いされるであろう、と。
本を出してから、保育系の出版社からいくつか声がかかって記事になったり、それがもとで映像になったり、テレビで取り上げられたり、りんごの木のミーティングは保育実践として広がっていきました。
(こんなふうに書くと、さも本をだした手柄みたいに響きますがそうではなくて、もともとりんごの木の長い実践の積み上げが先輩たちにあり、また柴田愛子さんという存在がいたからこそであって、本はきっかけのひとつにしか過ぎなかったのです)
私もいくつかの研究会や園の研修に招かれて、ミーティングについてお話する機会もいただきました。
そのなかでアンケートや口頭で「こんなことを子どもに強制していいのか」「あれは子どもたちの自主的な遊びではないだろう」「言葉じゃないものにも大切なものがあるでしょ」「違和感がある」「きらい」などなど、ある意味、愛子さんが予想していたような反応をいくつか投げかけられることがありました。
ただそれ以上に、子どもたちの言葉や、その背景にある保育の風景や子どもたち同士の関係性にたいして、好意的な意見が寄せられ、総じて言えば「子どもたちのミーティング」という本は大きな驚きと共感をもって迎えられたといっていいでしょう。
これはなにも、「すごい」実践として評価されたということを言いたいのではありません。
保育者たちは、「ミーティング」という今まで触れてこなかったルートを通して、新たに、またふたたび、子どもたちを発見し、出会っていったのだろうと思います。
このような評価と批判の応酬はいまなお続いています。
批判の中でもっともありふれて、かつ根強いものは、言語化することが一種の早期教育であり、子どもたちを言葉によって分化し、分断してしまう、というものです。
この批判については、そもそも言葉のアポリアというものを安易にみなしすぎ、かつまた、身体というものを分けて考えすぎているように思いますが、私の考えを述べるのは別の機会に譲りたいと思います。
その後起こったことで、私がいちばんうれしかったのは、本多さんと愛子さんが私とナガタヨシコさん(本のカバーデザイン、装丁もしてくれた)をお寿司に連れて行ってくれて、その席で本多さんが「あれはいい。あれは自慢していいぞ」とにこにこしながら言ってくれたことでした。
自分が何を書いたのか、それがいったいうまいのか、まずいのか、このときもこれ以降も自分ではよくわかりません。だから本多さんからそんなふうに言われて、なによりもほっとしました。
文章を書いた事がある人ならわかってくれると思うのですが、自分の文章を褒められても「うれしい」とはならず、むしろどこかへ隠れたくなるものです。
さらにこのときは、りんごの木の〜と銘打っているわけだし、りんごの木の人たちが積み上げたものの先に、わずかばかり私が付け足したものを形にしたわけで、自分の気持ちをあらわすなら、「ほっとした」という一言に尽きました。
こうして私の「子どもたちのミーティング」の執筆は終わりました。それは戦いのラッパで幕を開け、お寿司屋さんの歓待で幕を閉じました。
お寿司屋さんをでて、愛子さんと本多さんにお礼をいって、しばらくひとりになりたくて、夜道を歩いて帰ることにしました。保育は人とともにある仕事だからこそ、ときには孤独にも直面する仕事です。でも保育者だけが笑える瞬間が、たまにはあるんだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?