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私たちのナラティブツリー02
保育のエピソード記述を共有し合う試み、上町しぜんの国保育園のナラティブツリー。
実際にやってみると、いろいろと予想していないことが起こりました。
まず、思ったよりも数があがるし、けっこうみんなそれを読むということです。
ナラティブは園内限定のSNSにあげているのですが、そこに投げれば必ず誰かが反応してくれます。
その反応も、差し向かいの応答というよりも、SNSですから、「いいね」マークを押されるだけだったり、コメントもときにはつきますがそれもランダムかつ任意です。一言でいえば、ゆるい。
SNSのいいところ、悪いところそれぞれありますが、差し向かいの対話ではないところは、いいところなのかなと感じています。
保育は帰ってから、寝る前に、あるいはふとしたときに、誰かに聞いてほしい話ってあります。それを差し向かいの対話じゃなくて、誰かが受け止めてくれる場に投げられる。
そのことは保育をやりながらのセルフケアを集団でやっているように感じるときもあります。
保育はいつも多少重たい。常に誰かの心持ちを分け持っているから。それはそのまま、その誰かの存在の重みでもあります。
そして、保育者のほうも「こらだ」(からだとこころがないまぜになったもの)を、現場にある意味さらしています。
だからこそ、その重さを一時的にせよ話すことで離したり、こらだを癒やしたり、その術(すべ)を持って行く必要があります。
ナラティブツリーは、そのような意味で予想を超えてある種のケアになっているように感じられることもあります。
感じられることもある…と含んだ言い方をしているのは、ケアと反対にナラティブが呪いに感じられることもあるからです。
それはまた次回。
ナラティブツリーについて、私が語るオープンセミナーがあります。オンライン、参加費無料です。
よかっらどうぞ。4月19日の夜です。