梶原有高選手(ひらまつ病院)の記事を書かせていただきました!
現状打破ーー!!
M高史です!
毎週水曜日は4years.さんで連載させていただいております!
今回は
梶原有高選手の記事を書かせていただきました!!
神奈川県出身の梶原選手
中学で陸上を始めて
3年生の時には都道府県駅伝の中学生区間である2区で区間17位という走り
高校は静岡県の藤枝明誠高校へ
2年生と3年生の時に全国高校駅伝に出場されました!
高校卒業後はとある大学にいったん入られたものの、合わず、陸上部を退部。大学もやめることに。
アルバイトをしながら走っていたところを、当時の松蔭大学でマネージャーをしていた瀧川大地さん(現・東海大学陸上競技部中長距離駅伝コーチ)に声をかけられて松蔭大学へ
松蔭大学ではチームとしての箱根出場は叶いませんでしたが
当時の関東学連選抜チームに選出されて、なんと4年連続で箱根駅伝に出場されました!!
(現在は関東学生連合チームと名称も変更。1人1度までしか箱根出走はできなくなりました)
もちろん、梶原選手の努力、頑張りがあってこその箱根出場ですが
いろいろなタイミング、ご縁も重なっての4年連続箱根駅伝出場だったんですね。
もしも最初に入った大学のままだったら
もしも松蔭大学から声がかかっていなかったら
もしも選抜チームの制度が違っていたら
きっと、違った競技人生になられていたのかもしれません。
梶原選手ご自身も
「以前の大学をやめてフリーターになったとき、もう箱根に縁がないと思っていたんです。それが学連選抜に選ばれて、箱根を走れると思うとワクワクしましたね!」と話されました!(4years.記事本文より)
梶原選手から学ばせていただいたのは
「途中で道が変わっても、あきらめずに現状打破し続けていけば、思わぬタイミングで花が咲く」
ということです!
そういえば
僕自身は箱根駅伝に憧れて
駒澤大学陸上部の門を叩きますが
選手としては、からっきしダメで
マネージャーに転向して、チームを支える側として学生生活を過ごさせていただきました!
そんな裏方だった自分がまさか将来、マラソン大会のゲストランナーを務めさせていただけるようになるとは
当時は1ミリも思っていなかったというか、想像もできませんでしたね(笑)
今回、梶原選手にお話を伺わせていただき、改めて大切な気づきを学ばせていただきました!
ちなみに梶原選手は
以前、Mラジにもご出演いただいておりますので
ぜひ、こちらもお聴きいただけたら嬉しいです♪
今日もありがとうございます!
日々精進!日々感謝!
M高史