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【25日目】失礼、噛みました

こんにちは、こんばんは、

おはようございます!

日常を改善し続ける男、キツツキです!


今日は久しぶりに物語シリーズの猫物語・黒を見ていました。とりあえず1話だけです。久しぶりに見たので、だいぶ忘れていることも多く、かなり楽しんでみることが出来ました。やっぱりあの作品のシリーズはかなり面白い。僕にドンピシャですね。

基本的に会話劇。コミカルな会話劇を挟みながら、少し黒い物語が徐々に進んでいく感じ。シリアスさも含みながら、ところどころに挟まれるしょうもない阿良々木の姿。これもまた見どころ。

さらにあの演出の仕方も素晴らしい。新房昭之監督のあの感じ。あれは監督の妙技なのか、制作会社の成せる業なのか、正確には理解しきれていないのだけれど、シャフトの他のアニメの感じもこの物語シリーズのように、一瞬でシーンが切り替わったりする感じなので、そっちの方が可能性が高いかもしれない。

アニメを敬遠していた僕が原作を知らない状態で初めて見た作品がこの物語シリーズなので、かなり思い入れがあります。アニメがこんなにも面白いなんて思わなかった。ここまで文学的というか、演出によって魅せて、少ないキャラクター数で話を進め、さらにそれを会話劇で示していく。そして、それが一番彼らの関係性を示すことに成功しているし、キャラクターもとても分かりやすく、魅力的だということも分かる。最高ですな。

誰が好きかといえば、どう考えても一番は忍野ですね。彼の生き方はとt目お面白いし、彼の考え方はほとんど理解できないんだけれど、理解できている気もしている。そんな感じのつかめないキャラ。何かのトラブルがあった時、それに対して阿良々木君にアドバイスをして阿良々木君自身が解決する。阿良々木君がそのことについて彼に感謝しに来ると、彼がたいてい阿良々木君に対して言うことは、正確には覚えていないんだけれど、ニュアンスでいうと「僕は何にもしていない。君が勝手に解決したんだよ。」っていう感じ。

結局、忍野自身はただアドバイスをしただけに過ぎなくて、阿良々木君が自分で解決した。ただそれだけだってことを言っている印象なんですよね。なんで彼の言っていることに対して印象に残っているのかというと、嫌われる勇気を読んでいた時、アドラー心理学の考え方と忍野の考え方が似てるなー、なんて思ったからです。

この問題を解決するのは、あくまで阿良々木君の課題であって、忍野の課題ではない。忍野はそれを解決する方法を知っているけれど、それを忍野がやってしまうということは課題の分離が出来ていないということを意味する。あくまで、阿良々木君に解決する方法を教えるところまでは尽力するけれど、解決するところまでは行うことは無い。馬を水辺の近くまで動かすのは自分だけれど、水を飲むかどうかは馬次第、という嫌われる勇気の中で言及されている例えに似ています。

こういった所でもこの作品は、僕の頭の中を飛び回り、僕の数十メートル上を旋回していて、ずっと眺めているような存在です。かなり僕の人生に影響をもたらしたアニメといっていい。あそこまで文学的に、論理的になれているかといえばそうは思いませんが。

細かいところで言うと、接続詞で「けれども」を使うようになったのは、あのアニメを見たことがきっかけだったりします。だから、僕の文章にも影響を及ぼしているわけです。いやー。今後も続けて、見返そうと思っているのですが、本当に楽しみです。


今日はここまででしょうか。

明日からは出来るだけ朝に更新していこうかと思います。趣味の話や少し雰囲気を変えて、昨日の反省と今日のやっていきたいこと、達成しておきたい目標なんかを書いていこうかな、なんて思っています。方針はどんどん変更していくかもしれませんが、とりあえずはこれで。

それではまた明日。さようなら。

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