新月に向かって
こんにちは。ずいぶんと間が空いてしまいました。
書こうとすると考え過ぎて、伝えたいことを忘れてしまうループに陥っていました。
今回はunicorn nanaさんにアドバイスいただき、誰のためでもなく、ただ自分の内側にあるものを外側に出す感覚で書いています。
先日、ある方と月の満ち欠けと生命のお話をしていた時、「人は新月に向かって亡くなるのが自然」というお話を聞きました。
振り返ってみるとうちの祖父が亡くなったのも新月。
ちょうど話題になっていたグレートコンジャクションが始まる新月だったので記憶に残っています。
そしてつい最近の新月11/1に近所のおじいちゃんが亡くなりました。
祖父の時はコロナ禍だったので、帰省禁止令が出ていてお見舞いも葬儀参列も叶わず、亡くなって3ヶ月後にやっと帰省することができました。
その時、前出のおじいちゃんをはじめ、ご近所さん達が祖父の知らなかったエピソードを色々と話してくださり、みんなに見守られて生きてきたことを実感し、とても温かい気持ちに包まれたのでした。
実家のある集落では、生も死も老若男女犬も猫もペットも、当たり前のように見守り見守られ、ひとり残らず存在を認め合っています。
登下校中の子どもたちの姿を見ると、どこの子か分からないけれど、今日も元気そうだね!とか、気を付けて帰るんだよー!という気持ちが自然と湧いて声をかけたり、私もこうして見守られて育ったんだなぁ、田舎のいいところだなぁと思ったりするのです。
集落みんな知り合いというのは、時に窮屈で制限を感じることもあれば、誰かの幸せや苦楽を共有することで自然とその時を過ごせるありがたさを感じることもあります。
今は満月に向かう時期です。
故人との思い出がトリガーとなり、芋づる式にいろんな気持ちを発見しています。
月が満ちる頃には、その気持ちも真ん丸になり
新しく生まれ変わるためのフェーズに移行するのかな
と、想像しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
近所のおじいちゃん、ありがとう
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