保護猫「はな」との不思議な体験
私は幼少時から団地に住んでおり、動物が飼いたくても飼えない状況でした。でも現在の実家である分譲住宅に移ってからは、猫がずっと家に居ます。
そのきっかけとなった「はな」のことを紹介します。
保護猫「はな」
ある日、友達が怪我をしている猫を見つけたと家に成猫を連れてきました。
長毛の猫ですがとてもみすぼらしくやせ細り、身体の両脇の毛がそぎ落とされたように禿げ、その毛が脇に固まっていました。
私はすぐに病院へ連れて行き、獣医の先生にどういう状況か聞くと、体中に蚤がおり、ひどい脱水症状と貧血の状態であるとのこと。
今は大きな怪我はないけれど、怪我をして治った跡があるので、もしかしたら車かバイクに撥ねられたのかもしれないと言われました。
診察後、足先と尻尾の先、頭だけ残して後は全ての毛をバリカンで刈られることに。その下から出てきたのは、蚤アレルギーで赤く爛れた痛々しい肌と傷が治ってできた黒ずんだ肌。
点滴を打ってもらい連れ帰ったその猫は、部屋に居ても緊張し続け、座ったままで動かず、横になろうとしません。あまりの眠さにウトウトし、時折バタッと倒れたかと思うとすぐに起き上がり、また座った状態でウトウト。
そんな猫を見て不憫に思った私は、自分の部屋をできるだけ快適な状態にして、静かにその子を見守りながら世話をすることにしました。
母は猫との悪い経験が原因で、元々猫が大きらいでした。私が外で猫を触ってきたというと、「すぐに手を洗いなさい!」と叱られた程です。そしてこの時も、猫が元気になるまではいいけど、元気になったら里親に出すように告げられました。
猫はご飯も少しずつ食べられるようになり、次に横になって眠れるようになり、徐々に行動範囲を広げて部屋の中を歩き回れるようにまりました。その頃には彼女の爛れた肌も赤みが引き、全身から花の様にフワフワの綿毛が生え始めました。
「はな」の行方不明事件
ある日自分の部屋以外は立ち入り禁止だったそのこの世話を母にお願いして私がでかけた時の事。母がちょっと目を離した隙に、猫がいなくなりました。
母は自分が布団を干している時に逃げたのかも。私に怒られる!と一生懸命外を探し回ったそうです。でも家の周りを探しても一向に見つかりません。
へとへとになって家に帰り、まさかとは思い家を大捜索すると、結局、最終的に私の部屋の押し入れに横になっている「はな」を見つけ一気に脱力。
なぜかその見つけた時のあまりの嬉しさとショックで、私に猫を飼うことを許してくれたのでした。
私達はそのこに「はな」と名付け、その子のふわふわの毛はあっという間に生えそろい、初めて会った時のことが嘘のように、ゴージャスなペルシャ猫になったのです。
かしこい猫「はな」
「はな」はとても品が良い猫でした。
ご飯は出されるのをじっと座って待ち、私の掛け声を基にお座りができました。
食事を食べている時も決しておねだりをしないこでしたが、ヨーグルトと海苔の時は別。(笑)
特に海苔は、猫が変わった様に音を聞きつけてどこからともなく猛然と現れ、手で頂戴頂戴と催促をする程でした。姉が海苔を食べる時に恐怖を覚える程の勢いだったのです。
また、私がバイクで帰ってくる時は音を聴き分けて必ず玄関でお出迎え。
歩いて帰ってきた時は帰ってきた音で気付いて玄関まで走ってきてお出迎えをしてくれました。面白いことに、他の家族のお出迎えは母と姉は小走り、兄と弟に至っては無視でした。(笑)
そして「はな」はこの机にのってはいけないと教えるとその言いつけも守りました。でも可愛かったのは、時折家に帰った時に言いつけを破って机の上で爆睡をしていて私の帰りに気づかず、私に気づいてハッと起きた後に、私に見られていると分かっていながらそろ~っと机を降りたりするところ。(笑)
とにかく甘えん坊で、膝にのってゴロゴロするのが大好き。私が勉強に集中していると、わざわざノートの上に寝そべったり、鉛筆にじゃれて邪魔をしたりもしました。でもじゃれている時でも、爪がないんじゃないかと思える程彼女は爪を使いませんでした。彼女からは一度も引っかかれた記憶がありません。
母は上品な「はな」を見て、「こんな猫もいるのね~!」と大きらいだった猫が大すきになりました。
勘もすごく良い子で、私が旅行に行く準備をしていると置いて行かれることがわかるらしく、かならずスーツケースの中で横になり荷造りの邪魔をしました。服が毛だらけになるので大惨事です。(笑)そんな彼女をいじらしく思ったものです。
「はな」の最期
そんな大好きだった「はな」は、私が石垣島で働いている時に血液の病気になりました。
姉が病院に連れて行ってくれていましたが、とうとう今夜が峠だと宣告され、私に連絡をしてきてくれたのです。
私はすぐに飛行機のチケットを取り、福岡に戻って病院に直行しました。
入院室に通され、点滴の管が通った痛々しい姿の「はな」が横たわっていました。寝ていたのに、私が来たことに気づくと、力を振り絞り弱々しい身体で立ち上がってくれた「はな」。
私は涙が止まらなくなって、「横になってゆっくり休んでいいんだよ。」と声をかけて彼女を寝かせました。この立ち上がってくれた瞬間が、彼女の開いた目と自分で動いているのを見た最後の姿です。
先生も長くないことを知っているため、病院が開いている時間のいっぱいいっぱいまで私を入院室に置いてくれました。
寝かせた後に意識がなくなった「はな」をずっと撫で続けていましたが、呼吸がとても不規則で、時折不安になる程弱くなったり、時折止まったりするのを目の当たりにし、彼女が長くないことを痛感しました。
病院が閉まる時間になり、先生から私が付き添うので帰ってくださいと告げられました。私は「一人で死なせたくないので、何かあったら私達が来るまではもたせてください。」と告げました。
その夜は枕元に携帯を起き寝ましたが、案の定夜中に電話が鳴り響き、先生から「すぐに来てください。」と連絡が。駆け付けた私と母と姉は、診察台に横たわって呼吸器に繋がれている「はな」をみました。
私はすぐに「呼吸器を外してください。」とお願いし、先生は丁寧に呼吸器を外してくれました。そして3人で一緒に「はな」を撫でながら、弱くなっていく呼吸を見守り、彼女を一緒に看取りました。
その夜私達は「はな」を家に連れて帰り、私は朝まで冷たくなった「はな」と一緒に寝ました。あんなに温かくて柔らかかった身体がかたくなっていくのを感じながら。
「はな」のお葬式と不思議な夢
次の日「はな」を火葬して葬儀を済ませ、小さな骨壺に納まった「はな」を家に連れて帰りました。どうしても、ペット霊園へ置いて帰りたくなかったからです。
家族と一緒の方が、「はな」も寂しくない。そう思いました。
そして、火葬の前に切った爪と毛も一緒に骨壺に入れ、居間のみんなが集う場所の食器棚の上が「はな」の場所になったのです。
そして1年が経つ頃のある日、私は不思議な夢をみました。
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