#10 2024/07/28
最近、YouTubeを上げている。
単なる、思いつきである。
なにを上げているのか、
ギターの弾き語りである。
ありきたりである。
それで結構。
で、とにかく一本、二本と、上げてみたんです。
ギター弾いて歌うっていうのはもう日課みたいになってるので、それを動画で撮って、上げるだけ。
顔を映したらなんか人目を気にして縮こまりそうと思ったので、顔は映さず。
でもいざ撮り出すと、一丁前に緊張しちゃったりして。
完璧なものを撮ろうとすると、何回も撮り直すことになる。
そうなると、イヤになるので、ほとんど一発どりで、その場のノリを大事にして、ライブ感を大事にして、ということにして、撮って、出してみた。
すると、意外と、100回以上、再生されたりしたんです。
これは、おぉーっと思った。
楽しくなって、その後もテキトーにあげてたら、チャンネル登録された!わお!
そして、パキスタンの人からコメントが来た!わお!
ギターは上手いけど、歌は練習が必要だよ兄弟。
みたいなノリのコメントだ。
ちょっと、余計なお世話、と思ったけど、正直ちょっと嬉しい。
インターネット、すげ!って、思った。ありきたり。
まあいい。
とにかく、意外と楽しんでる。
やってみるもんだなぁーと。
とはいえ、ほとんどの動画は数回〜数十回再生。
それでも、0回ってことは無かったりする。
それだけでも、すごいなと思う。
だって、知らない誰かが、貴重な時間を、僕の撮って出しの動画に使ってくれて、それでたまーにいいねまでつけてくれる人がいるって。
いやあすごいな。
で、参考じゃないけど、色んな人の弾き語りとか見てると、やっぱみんな上手い!
画角とかも、工夫してるなーって感心する。
でもね、でもね。
上げてる本数が、少ない人が多い。
みんな。こだわって、いいものをあげようってなって、二の足を踏んじゃってるのかなって。
再生数とかすごいいって、嬉しくて、でも勝手にプレッシャー感じて、上げるならいいものを、ってなってるのかなって。
一発売れたあとのアーティスト、みたいな感じで。
その点僕は、とても気楽。
1番再生されても、100回程度。
なーんにも、プレッシャーはない。
だから、好きに撮って、好きに上げる。
それができる。
と、いうことで、ひとまずは100本。
あげようかなーと。
質より量。
量をやってくうちに、質も上がるかもしれないし、別に上がらなくてもいい。
でもやってくうちにどんどん楽しくなったらそれは嬉しい。
100本あげたら、100本、自分が弾き語りした動画ができるわけです。
そしたら、それはなんか、嬉しい。
自分の動画みると、どうしても粗が目立つんだけども、それはつくった過程を知っているからで、見ている側はほとんど気にならなかったりする。
だから、後になって見返したら、意外といいじゃん、ってなることもある。
だから、その場でジャッジしないで、どんどん上げる。
ジャッジしてる暇があったら、つくって、上げる。
これをやっていけばいいのかも。
これはなにも、YouTubeだけの話ではなくて。
このnoteもそう。
いいものを書こうとすると、縮こまって、緊張して、手が止まる。
もちろんいいものができたら嬉しいけど、楽しくやれることのほうが100倍大事。
だし、いいものを書こうとすると、既存のいいものに寄せた何か、になることが多い。
とにかく自分の中から出てくるものを吐き出して、その評価は人に任せよう。
往々にして、人は自分に厳しい。
意外と、人から見たら良かったりする。
とにかく、出して、それで人に見せてみる。
そういう感じで、やってみよう。
最近は坂口恭平さんの本を読みYouTubeを見て音楽を聴いている。ので、彼の影響がすごく大きい。
上に書いたことも、ほとんど彼の請負である。
二番煎じと言ってもいいかもしれない。
まあいいのです。
影響を受けやすいのは僕の特徴です。
なら、それを利用して、とことん、自分が惹かれる人の書いたこととか喋ったことをシャワーのように浴びるんです。
そしたら、いい感じで自分の中に取り込まれる、と思ってます。
なぜかですます調になってますね。
それでいいんです。
どんなに影響されようと、自分は自分でしかないので、大丈夫です。
いい感じで、自分が惹かれる人たちの自分が惹かれる要素が自分の中に取り込まれて、でも中心には自分がいて、みたいな。
そんな感じのバランスでいいんだと思います。
はい。
これは何を書いているんでしょう。
一度中断して、戻ってくると、もう空気感がわからなくなる。
夢中になってるときは、ごはんとか休憩とか入れずに、そのままやりきっちゃったほうが楽ですよね。
夢中になってる時、はね。
はい、おわり!