万物の根源
ラテン語やイタリア語などを勉強するにあたり、何かとキリスト教が関係していて、日々キリスト教について少しずつ知識が増えています。
さて今回は、「アルケー」というキーワードから、Wikipediaのページの情報をもとに、学びを深めていこうと思います。
αρχη(アルケー)
錬金術師、アルケミストの語源であるアルケーは、「はじめ、根源」などの意味を表します。
昔むかしの哲学者たちは、万物の根源についてさまざまな見解を示しました。例えば、
タレース…水
ヘラクレイトス…火
ピタゴラス…数
エンペドクレース…火・水・土・空気
など。あぁ、高校の世界史を思い出します(°▽°)
このアルケーから金属を作り出そうと考えたのが、アルケミストたちということですね!
ヨハネ福音書の冒頭
新約聖書であるヨハネ福音書は、元々コイネーギリシア語で書かれていました。その冒頭の一節がこちら。
「エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス」
logos(ロゴス)とは「言葉、言語」などの意味です。
この冒頭の解釈について、Wikipediaのページにはこう書かれていました。
これは、アルケー(根源的原理)としてロゴスが存在しており、ロゴスはヤハウェとともに存在していたのであり、ロゴスは神的存在であった、ヤーウェはロゴスを通して世界の全てのものを存在させた、ということを言っている。(Wikipediaより一部編集)
おお、まるで俳句のよう、、短い文章に深い意味が込められている、、、
ロゴスがあるからこそ、ヤハウェは万物を存在させることができたと解釈することができそうです。
ウルガータ
この前、聖書の歴史の中で説明したウルガータでは、ヨハネ福音書の冒頭はこう訳されています。
「In principio erat verbum」
「principium」は、「はじめ、原理」という意味を持つラテン語です。
「はじめに言葉があった。」と私は直訳しましたが、いかがでしょうか?
そう考えると、万物の根源はやはり、言葉なのかもしれません。
言葉とは、人類が感情や思考を伝えるために紡いできた、コミュニケーションの証であると私は考えています。
そんな「言葉」ができた背景には、誰かが誰かへ伝えようとする強い意思や、大きな愛情があるような気がします。
1人の人間だけなら言葉はいらないけれど、私たちは誰かと支え合って生きていく。そのためには言葉が必要。そう思うと、自分の何気ない発言でも、相手にとっては大切な意味を持つことがあるかもしれない、とふとしたときに考えることができるのかなと。
と言いつつ、私はいつまでたっても、コミュニケーションだけは苦手意識を持ち続けると思います。笑
いやあ、久々の更新で、どんな風に記事を書いていたのか忘れていました!泣
そしてラテン語の活用を覚えるが難しすぎて、今にも心が折れそうです(°_°)笑
最近やっと暑くなって来ましたね〜! 体調管理にはお互い気をつけていきましょう!!
それでは、またお会いしましょう*°
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