見出し画像

面白いことは元気のもと

久しぶりに朝早く起き、元気があるので書く。最近は仕事の負荷がかかり、いろんなことが億劫になっていた。仕事を遅くまでやっているなか、特に誰とも話さず、結局のところ自分は何のために頑張っているのだろうと思いながら、帰路の中でここのところオーディブルで聴いている三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を再生している中で、三宅さんから連想して宇野常寛氏が浮かび、彼は職場の中でコミュニティを限定せず外にも開かれるべきと言っていた、そうかだから無理に作ろうとしなくてもよいのだ、という開き直りをしながら、心を安堵させた。その後、シラスで五味太郎氏が登壇するのを思い出し、観てみるととても発言がおもしろい。曰く、氏の作品をアニメ化しようとしている営業も来るが、その人は絵本の中にある「動き」というのを捉えておらず、アニメにすれば「動く」と思っている。むしろアニメの「動き」は貧しいのだ……。面白いなあと思いながら帰宅し、彼女に語る。自分が元気になっているのを感じる。こういう瞬間が楽しいのだということを思い出す。小林秀雄の講演会の録音で、「勉強ほど面白いことはないんです」ということを、どこかの市井の人の話を引いていたけれども、なにかそれを想起する瞬間でもあった。これの何が面白いのだろうか。それは、自分にはわかっていない、知りもしない、未知のことが、言語化され、語られること。概念が、ひらめきが、その人の独特な見通しがあらわになること。それにより、蒙がひらくこと。うろこが落ちること。アハ体験、これだと違うな。翻って、そういう外部のことがなくなったから、元気がないのか。なんだろうな、語りたいような欲望が減ってしまったんだよな。今度の読書会では鶴田錦史の評伝を取り扱うのだけれど、これは確かに面白かった。正確に言うと文章はさほど面白くはないが、人生模様が壮絶である。またこの方の音楽も素晴らしいので。日程を早く決めないとね。今月やってしまおう。ふとだるさが全身に出る。元気を出すのは難しい。運動したほうがよいのかもしれない。このあとはバンドネオンの練習。そうだ、仕事以外の日常を取り戻さなければいけない。崩れているというか、なんだろうな、確かに同棲を始めたからかもしれないが、まだ慣れていないのかもしれない。共同のリズムを、とはいえ必要に応じて乖離しながら、制作するする必要があるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?