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FC東京の新エンブレム、サポーターに不評な理由を考えてみた

息子がサッカーを始めたのを機に一度スタジアムに連れて行ってあげたいなと思っていた矢先、FC東京の招待チケに当選したので行ってきました。
偶然にも試合後に新エンブレムお披露目とのことでバックスタンドからその様子を見ておりました。

部外者のパッと見の感想とサポーターの反応

「直線で構成され、引き算と整理がされていて洗練された印象。都会的かつ現代的でサッカーに興味がない若い子なんかが見てもイケてるって思えそう。アパレルとかにしても展開しやすそうだしFC東京ってクラブがカジュアルに、身近になる気がする。」
ってな具合に、部外者である自分の直感的感想は「良いじゃん!」って感じでした。

でもサポーターからは大ブーイング。
はじめは「え?なんで??」って思ったんですが、帰りの電車で考えていて、自分が見落としていたひとつの視点に気がつきました。

エンブレムとは「器」である。

結論から言うと、このエンブレムにはサポーターの想いを込める器としての余地が小さいのではないか。そう思いました。
エンブレムは対外的な記号/伝達手段であると同時に、いや、それ以上にサポーターの想いを集積していく器としての機能が重要なのではないか。
「誇りを胸に」という言葉があるように、文字通りユニフォームの胸に在るエンブレムはそれこそが真の役割なのではないでしょうか。

前述したように、時流、景観、ファッション、街、無関心な若い子など、新エンブレムの対外的な記号/伝達手段としての価値はとても高い。だが器としての役割はどうだろう?そう感じたのはデザイン意図の説明です。

東京という街の捉え方


「首都東京は、古いものと新しいものが混じり合う街。様々な人々、文化が行き交う街でもあります。」

「多様な文化、多彩な人が交わる東京という街、
そして、FC TOKYOというクラブの多様性を、
3種類のストライプで表現します」

https://www.fctokyo.co.jp/newemblem/

僕が最も気になったのはこの部分です。
東京という街の捉え方。
どこか客観的、他人事に感じてしまう。
否定はしてないです。それは一つの事実として間違いではないから。
でも、「ホームタウン東京」の捉え方がこれなのだろうか?という疑問です。

東京は多様性に溢れてるんだぜ!
文化と多様な人が行き交うんだぜ!
そんな我が街、東京が俺は大好きだぜ!

…って心の底から熱く思える人はどれだけいるのだろう?ってことなんですよ。
僕はそんなふうにこの街を誇る気持ちはないし、そんなことを飲み会で自慢げに語る人がいたら距離を置きたいってさえ思います…w
なんというか東京のマーケティング的、商業的な捉え方だなって。

そもそも東京という街の多様性って経済の中心として人が集まりやすいという結果でしかなくて、愛という感情的なものとは遠いと思うんですよ。
似たような環境の大阪には「大阪の誇り」みたいなものが色濃くあるし、それを多様性なんかで語ったりはしないわけで。

つまり多様性って「ホームタウン東京」と「FC東京というクラブ」を愛する気持ちの器になれてないんじゃないのか?と。
ここら辺がサポーターが「ええやん!」って乗っていけない理由なんじゃないか?と。

僕がFC東京サポにならなかったワケ

僕自身は地方出身のおのぼりさんで、東京を地元って思う意識も低かったのですが、子育てを始めてようやく東京を第二の故郷って思えるようになってきたのが最近です。(恥ずかしながら味スタに行くのも久保選手を見に行った一度きりで今回が二度目)

つまり東京に住んでいながら、どこか自分の街って思えなかったし、誇れるものも見つけられなかった。そういう僕のような人間はたくさんいるんじゃないかな。東京ってそういう街でもあると思うんです。生まれ育った地元民(ある種無条件で地元愛を持つ人)だけで構成されてない特殊な街。

そんな中でも東京をホームタウンとして愛しFC東京をサポートしてきた人たちの誇りは、他のどのクラブよりも慎重に扱い、受け止めなければいけないし、新エンブレムは東京を我が街と思いきれない、過去の僕のような人たちを受け入れるチャンスだったのではないかと思います。

だからこそ「東京=多様性」という客観的で紋切り型な定義で良かったのだろうか?愛を受け止める器として相応しい定義、モチーフだったのだろうか?と僕は疑問に思うのです。

どんなデザインであるべきだったのか

新エンブレムのデザインはさまざまな意味や意志を織り込みながらも情報過多にならず、破綻せず、よく練られていてデザインされた方の熱意と覚悟を強く感じます。機能性も高く「客観的には」優れたデザインだと思います。そこを否定する要素は見当たりませんし、おそらくクラブ側から提示された要件をきちんと満たしているのだと思います。デザイナーのプロフェッショナリティへは尊敬の念しかありません。

冒頭にも書きましたが、やはりエンブレムの定義と東京という街の定義がサポーターの想いとズレてしまったのだろうなと思います。
それはデザイナーというよりクラブの問題なのだと思うのです。
エンブレムは第一義に器であるべきだし、サポーターが積み上げてきた誇りを溢してはいけない。
そういう意思を最重要基準に置くべきだった。

どなたかがTwitterで書いていました。
「縦のストライプは俺らのアイデンティティだけど斜めのストライプはそうじゃない(意訳)」
僕はデザインとして既存のもの以外は排除すべきだとは思いません。そうすると前進や進歩もないので。ただ、もしこの想いが多くのサポの気持ちであると仮定するならば、まずそれは受け止めなければいけない。その上で、サポが納得する意味やストーリーが必要で、その元となる「東京という街の定義」みたいなものが欠けていたのではないでしょうか。このホームタウンをどう捉え、サポーターと共にこのクラブがどこへ向かうのか。
それをどう端的にデザインに落とし込むのか。

それがあれば、これほどブーイングされることはなかったんじゃないかな、と。
いやいや、成績不振とかフロントの言動とかそういう軋轢も相まってのことだからそんな単純じゃねーんだよ!って怒られるかもしれませんが…

とはいえ

とはいえこれは現状の話。
再三ですが新エンブレムがデザイン的に優れているのは間違いないと思います。
ゼロから生まれたこれまでのエンブレムがそうだったように、クラブ、選手が結果でこのエンブレムを「サポーターの誇りを受け止める器」に育ててくれる。そんな「これから」に目を向けるべきなのかもしれません。

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