植松聖の障害者差別意識は臓器移植+安楽死をセットで主張してれば否定できない概念だった。
知性がない為に生の願望を抱けない重度知的障害者は生の価値を認識しきれてない。その反面、臓器移植待機者は生に渇望していながら多くは死んでいく。
生の価値を理解してない者を安楽死にしつつ、臓器を取り生の価値を理解してる者へ臓器を送るのは、ビジネスライク的にも正解だろう
極端に悪く比喩したら【搾取】と表現できなくもないが、もしかしたら重度な知的障害者は
その肉体を誰かに差し出す為に生まれてきたかもしれない。
いや、いっそ、そう思ってしまった方が親視点としても楽になれるかもしれない。
障害者が何も役に立ってないとは言わない。人の不幸は蜜の味とか障害者が感動ポルノだとかで、成果の見えない効果はあるだろうからして、でも成果がより見える化している臓器移植に関しては、誰もがマネできるものでない。だからこそ障害者には大いなる価値があるという話に。
具体的にいえば脳死(ドナー条件)の判定基準を知的障害の枠にまで広げればいい話。
そうなれば親や保護者の判断一つで済む話。
障害者から一人分の臓器をバラすだけで何人もの未来が救える。これならば障害者を産める事は、むしろ世の中に大きく貢献できるのだから、産めるのは当たりくじを引いようなもの。ラッキーと思わなければならない。
この視点であれば植松さとしは悪くなかったとも言い換えられる。悪いのは移植待機者なる弱者な存在に目を向けず、我が子のみを優先して尊重してきた(結果的優越か、差別行為をしてきた)
物事を公平に見る力がある人がもっと多かったなら、あるいは私のように思考ができる人がもっと多ければ、とっくの昔に重度知的障害者を臓器移植に使う制度ができてて、植松な犯罪者は現れなかったに違いない。逆にいえば、植松さとしが猟奇的な殺人をしてくれたお陰で、人々は移植待機者の存在に気付ける仕組みになっているのかもしれない。
そう、つまりヒトは、今ここでそれを知ったという意味。きっと、この視点はノストラダムスが今時点に未来視でも観ているとし
恐らく重度知的障害者を臓器移植に使う制度がなければ、同じ様な犯罪者はこれからも現れる。そんな未来視ができるのだとノストラダムスは観ていた。
生産性ない人についてを死ねばいいと思ってる人は少なからずいるし、そういう社会に子供を作というのは、もれなく我が子が差別され、殺される仕組みリスクがあるということ。逆にいえば、そんな事に気づきもしないで命を生み出す方が無責任だろう。可能性については歴史を観ればヒトラーなる事例もあるのだから気付けない事もなかった。過去にヒントがあるのに気付けないとは知性が無さすぎるし、もはや親の方が知的障害者だと言われてもおかしくない。少なくとも反出生主義者から見れば人の大半は知的障害者に見えると思う。いっそ死んでくれたら、沢山の畜産動物が犠牲にならなくて正義になる。と思ってるに違いない
物事を公平に平等に観る目があるのならヴィーガン以外は死ぬべし。そんな発想からウクライナロシア戦争とかイスラエルハマスを観るとしたら
◯
平均寿命特例措置法
平均寿命を越えられない者(未婚男性の平均寿命が67なので未婚男性群)は、その差額年数分、(日本人の平均寿命が82歳として、そこから67の差額15年分は生きられないのだから15年分の人生を謳歌しなければならない)
つまり人としての法律をそもそも適用させない。つまり未婚男性の犯罪は基本的に免罪となる。具体例としては未婚男性は生前の15年、どんな罪を犯しても一定許される権利があるとし
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恐らく『王』はノストラダムス
もう一人の王は私アザーラが恐竜人の王(BC65000000)である状態が今になって一つになるという意味だろうか…
◯北海道には麻薬が道端に生えてるらしい
夏は暑いので涼しいので北海道に麻薬をやりに行き、冬場は沖縄に性犯罪の取り締まりボランティアに。地域との交流を深めるアウトドアライフな日常。
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