自己紹介|初めてのnote
初めまして!会社を辞めて農業を始めたふなつと申します。
珍しい経歴から色々聞かれる機会が増えたのですが、考えがまとまっていないことも多くて「こう言えばよかった!あれ言い忘れた!」なんてことが…
そんなことを減らすため、常に発信を意識しよう!ということでこの度noteを始めることにしました。
まずは自己紹介させてください。よろしくお願いします!
プロフィール
名前:ふなつまさや
生年月日:1996年8月23日
出身:大阪生まれ、東京育ち
学歴:同志社大学卒
職歴:日本農業新聞 記者職
現在:下妻市の地域おこし協力隊制度を利用して農家研修中
将来:2025年秋に独立予定
凡人から抜け出せない人生
小学校の頃の夢はサッカー選手でした。
小学2年生から地元のサッカー少年団に入りました。それにつられて3歳下の弟もサッカーを始めました。
兄弟で同じ血を受け継いでいるにも関わらず全く別のサッカー人生を歩むことになります。
私は11人しかいないチームだから試合に出られるだけの選手。
一方で弟は、Jチームのジュニアユースにスカウトされ、片道1時間かけて練習へ行くエリートコース。
弟が特に自主練にかなり勤しんでいた様子はなく、才能の違いを感じさせられました。
中学、高校でもサッカーは続けていました。
高校の時にはキャプテンこそできましたが、チームを勝利に導けませんでした。その高校では、2年生秋にある新人戦・3年春、夏の計3回の大会があります。大体の世代は、地区を勝ちあがり1回は都大会に出ます。
私たちの世代は、入学した1年生の頃から私を含む3名がAチームで活動していました。そのAチームだった3年生が引退すると、スタメンの半分は私たちの代が占めるような有望視された人が多かったです。実際に都大会へは出場できました。
そんなこともあり私たちの目標は「3大会で都大会に出場すること」
しかし、一度も都大会へはいけませんでした。
キャプテンに任命された時、顧問の先生から
「キャプテンの能力がチーム能力になる」
そう言われました。
ここでも、「結局何もできないのか」と無力感に包まれました。
勉強も就活もダメ
勉強もできません。
中学の頃は5教科の都立を諦めて、3教科で行ける私立にグレードを下げたくせに結局滑り止めに進学。
進学した高校でも勉強から逃げ、1年生の頃は下から数えた方が早いくらいだったと記憶しています。
第一志望と掲げていた大学にこそ合格しましたが、早稲田とか慶応とか国公立とか行けるなら行きたかったというのが本音です。
そうは言いながらも
「まあまあの勉強でいい大学に行けたのだから」
と満足していた面もあります。
その満足感からモラトリアムな四年間を過ごすことになります。
サークルや勉強、そしてバイトとなかなか長続きしない大学生活でした。
情けない。
就活でも圧倒的な差を
就活が近づく中、何もしてこなかった人間にとってエントリーシートは地獄です。やりたいこともないし、自分のアピールポイントもない。
その時に目に入ったのが自宅に毎日届く新聞でした。
「なんかかっこよさそうだし、給料高いらしい」
そんなことから、新聞記者を目指す塾のようなところへ通い始めました。
そこで出会う同志たちはとても優秀で、一番早く通い始めたにも関わらず作文技術や内容、思考能力など全てにおいて落ちこぼれていました。
他にもさまざまな点で圧倒的な差を感じました。
新聞社に絞って就活していたので、全部落ちていたらと思うと恐ろしいです。縁あって入社できてよかったと心から思います。
農業との出会い
大学では環境経済学のゼミに入っていました。
簡単に言うと、環境を優先に経済活動をしましょうといった学問です。
その中で農業も取り上げることになります。
だいたい議題になるには「農業人口の減少」
さまざまな課題がある中でなぜだか興味が湧き、食料自給率、農業産出額などの話題について色々調べるようになりました。
その時、「農業人口いなくなるなら、新規参入でも勝てるでは?」と何も知らない私にはそう思えました。
そんな風に農業へ思いにふけている中、日本農業新聞への入社が決まりました。
農業に可能性を感じた記者生活
東京の本社では市場や、鳥獣害などの取材を経験しました。その後、四国担当として全県を2年間取材しました。
四国担当の時は担当のテーマはなく、農業に関するものすべてが対象でした。
多くの農家に会ってきて口を揃えるのは
「農業は儲かる」でした。
特に新規就農したある方の取材で心を揺さぶられました。
ゼロから農業を始めてガンガン事業を拡大していました。
この時に小泉さんは「もと早く農業を始めておけばよかった。やりたいなら早くやった方がいい」と、背中を押されました。
「ここで突き抜ける」と初めて強い意思を固められた
これまでは凡人から抜けられない人生でした。
記者生活でも「つけ抜けたい」と感じられなかったのに、農業に強い魅力を感じました。
色々書きたいことはありますが、最後に一言、
今後、農業界で存在感を高められるよう頑張ります。