初めまして、ガジェヴさんの世界 - 2024年 in 八ヶ岳高原音楽堂
演奏直前、ピアニストは一瞬、左に広がる景色に目を向けて軽く微笑んだ。(ように見えた。)
八ヶ岳高原音楽堂のどこが他のホールと異なるか?
その1つとして、ピアニストの左側に木々や山々、大自然が広がっていることだろう。
通常のホールなら、ピアニストの左側は壁、オーケストラなどの共演者。あるいは、ぐるっと舞台を囲む座席配置なら客席。ピアニストが大自然を眺めながら演奏できるホールなど私が知る限りほとんどない。大自然の中に佇むホールであっても、八ヶ岳高原音楽堂のようにぐるりと透明のガラス窓で囲った場所は珍しい。自然の風景を存分に感じながら演奏したり、鑑賞したりできるホールなのだ。
最初の曲はマズルカ。ショパンのマズルカは50曲以上あるのだが、私は全てを把握できているわけではない。でも、なぜか知っている好きな曲が聴こえてきて嬉しい。何気に結構好きな1番で演奏開始。
続くショパンの24の前奏曲はあまり知らない。CDは何度も聴いているし、生演奏もどこかで聴いたはずなのだが、記憶に残らない。すぐに音楽が思い浮かぶのは「雨だれ」と「イ長調」ぐらいという、情けない知識だった。だがしかし、最後に演奏された2番を聴いてすぐに気付いた!!
こ、これは・・・この曲はスクリャービンの「黒ミサ」に繋がる!
すごく繋がっている!
こ、これは・・・すごい。
(ショパン前奏曲ド素人の私だが、ここに気づけたことは非常に幸運かつ快感だ!!)
そして、期待通り、前奏曲2番の余韻を丁寧に残しながら、拍手を要求せず、そのまま切れ目なくシームレスにスクリャービンのソナタ「黒ミサ」が始まる。
この流れが、今回のリサイタルの最も美しい瞬間だと思った。
こんな演出をしたピアニストはまだ29歳か。
2024年7月9日
八ヶ岳高原音楽堂
ピアノ:アレクサンダー・ガジェヴ Alexander Gadjiev
ショパン マズルカより
嬰ヘ短調 Op. 6-1
ハ長調 Op. 24-2
イ短調 Op. 68-2
嬰ハ短調 Op. 50-3
ハ長調 Op. 56-2
嬰ハ短調 Op. 63-3
ショパン 24の前奏曲 Op. 28より
23番、22番、18番、13番、10番、2番
スクリャービン
ピアノ・ソナタ第9番「黒ミサ」変ホ短調 Op. 68
ショパン
ポロネーズ 第6番「英雄」変イ長調 Op. 53
- Pause -
リスト
詩的で宗教的な調べより第7曲「葬送」
ベートーヴェン
エロイカの主題による変奏曲とフーガ Op. 35
あのう、憂いのある神秘的で不気味な曲のみを集めた「オール・暗い・プログラム」をやっていただきたい個人的な願望が湧き上がってきたのだが・・・(笑)
ご本人ももしかしてそのようなプログラムを弾いてみたいのではと勝手に想像してみた。だが、ひょっとすると気恥ずかしいのだろうか。あなたは、人を謎めいた神秘の世界に連れ込んだくせに、「なんちゃって!」と現実世界に引き戻すのか?!世間が若者に期待する明るさを意識して「黒ミサ」の後に「英雄」で「葬送」の後にも「英雄(エロイカ)」なのだろうか。
エロイカ変奏曲は、今回の予習で初めて知った曲なのだが、ディアベリ変奏曲より気に入った。エロイカ変奏曲は物凄く皮肉が詰まってるね!え?違う?私はそう思った。エロイカ変奏曲のベートーヴェンさんは、可愛かったり、イラッとしていたり、投げやりだったり、開き直ったり、とてもベートーヴェンさんらしい!(笑) 楽しかったので、とりあえず「オール・暗い・プログラム」願望は一旦忘れよう。良かった!良かった!
でも嵐のようなアンコール最初の3曲を聴いたところ、やはり「オール・暗い・神秘的なプログラム」を、遠慮なく、いつかやっていただきたいと思ったのだった。リサイタル中は断続的に外の激しい風の音がホール内にも聴こえてきた。それに感化されたアンコール選曲かと思ったのだが、3曲も連続で嵐のような作品とは。それらこそ本当に演奏したかった曲なのかも?今の気分を表しているのでは?!でも、ホールを出たら速攻アンコール曲名が張り出されていたので、あらかじめ決めていた曲なのだろう。私が勝手に色々想像してしまうだけか。
アンコール
スクリャービン
練習曲 変ニ長調 Op. 42-6
練習曲 嬰ハ短調 Op. 42-5
練習曲 嬰ニ長調 Op. 8-12「悲愴」
ショパン
ノクターン第4番 ヘ長調 Op. 15-1
4曲も弾いてくださいました!
2時間のリサイタルというのは、若手演奏家にとっては弾き足りないのかもしれない。ちょうどノリに乗って気分良い時に演奏会は終了してしまうのかな。3時間、4時間のオペラなど普通にあるのだから、リサイタルももっと長くても良いのかもしれない。表現者である演奏者自身が望むのなら。
さて、似たようなプログラムを東京でも鑑賞できるというのに、なぜ私はわざわざ片道3時間もかけて長野県まで出向いたのか?!
退屈でストレスフルな日本で生きていくには現実逃避が不可欠だ!そして現実逃避と言えば旅だ!ただし観光がメインの旅など虚しい。ネットかどこかで見たものと同じようなものを見て写真を撮る。みんなと同じことをするだけ。
それと比べると生の音楽を鑑賞することが目的の旅はなんと尊いのだろう!!その時、その瞬間、その空間にいる、限られた数の人々だけが味わえる特別な体験なのだ。文章センスのない私がどんなにガンバって感想を綴っても、文章センス抜群の誰かがスバラしいレビューを書いても、結局のところ生鑑賞と全く同じ体験を読み手に届けることなど不可能。ズルイと言われようとも、それが事実である!
旅の中心に音楽を。景色やグルメはついでに楽しめば良い。
思いっ切り個人的な話なのだが、実は今、来月の超スペシャルな予定のために興奮気味だ。つまり、ドイツのバイロイト音楽祭(←ワーグナーの聖地です)初鑑賞が近づく中、私の頭の中ではエンドレスにリングが流れている。予習をもう少し頑張りたいところ。一方、ピアノと言えば、私はヨーロッパで活動するミドルからシニア世代のピアニストを中心に聴いている。例えば、先月同じく八ヶ岳高原音楽堂で鑑賞したエリソ・ヴィルサラーゼさん。
フレッシュな若手ピアニストにはそれほど興味なく、最近のコンクールについてもあまりフォローできていない(昔のコンクールについてもよく知らないが)。SNSに飽きて離脱したので、どのピアニストがどのような評判なのかも知らない。ショパンの作品を聴く機会も少ない。ショパンコンクールを熱心にフォローしていて専門家並に知識が豊富なショパン命の方々と比べると私の知識は乏しい。こんな人間に、2021年のショパン国際ピアノコンクール第2位のガジェヴさんの生演奏を聴く資格はないのかもしれない。彼はすでにカリスマ的な人気を誇っているように見受けられた。今回は平日昼間、しかも都心から遠く離れた地でのソロリサイタル。どれだけ人が集まるのだろうかと思っていたのだが、先月の週末に開催されたヴィルサラーゼさんの時と同じぐらい(やや多い?)の集客だった。そんな若きカリスマの演奏会に、ド素人の私などが紛れ込んでいいのかしらと思ったり。しかし、私のような、こんな人間に「何だか気になるから聴いてみたい」と思わせる若手ピアニストはそう滅多にいないのでは?
筋金入りのファンの皆さんにも「さすがガジェヴさんだ!」と思っていただけるだろうか・・・? つまり、ピアノを中心に鑑賞していて、主要コンクール参加者に注目していて、ショパンが好きという人がガジェヴさんを知って、ファンになりましたというのは、ごく自然な流れで、当然起こり得ることだ。しかし、そうでない私のような人でもガジェヴさんが気になるということは、さすがガジェヴさん、すごいと言えるのでは。
前述の通り、私はSNSをやっていないので彼の世間での評判は知らないのだが、クラシック音楽好きの知り合いのブログで読んだことがある。ガジェヴさんは、都内のソロリサイタルで、自ら録音したメッセージ(英語)を、開演前にホールで流したことがあるとか。面白い!伝えたいことは演奏から感じ取ってくださいという演奏家より、何かしら言葉で伝えたい、もっとコミュニケーションを取りたい、もっと伝えたい、演奏だけでは物足りない、表現しきれない・・・
そんな演奏家は、ヒジョーーーーに私好みなのだ!
そこが気になっていた理由の一つ。その他としては(若干それにも関連するが)、何となく実年齢より精神年齢が高そうだと思ったこと。要するに哲学的な話をしそうな人。
さて、先月の音楽堂コンサートでは、音楽堂がある八ヶ岳高原ロッジではない他のホテルに宿泊したのだが、今回は初めて八ヶ岳高原ロッジに宿泊。何故か?ふふふ。
八ヶ岳高原音楽堂に行ってみようと思ってスケジュールを確認してみた時、行ってみたいコンサートが2つあったので、ちょっとだけ節約の意味も込めて、別のホテルと高原ロッジ、それぞれ1回ずつ利用しようと計画したのだった。そして、ガジェヴさんの時に高原ロッジを選んだ理由は言うまでもない。ふふふ。
コンサートの翌日に、ガジェヴさんと一緒に、ネイチャーガイドを受けながら音楽堂までお散歩して、ガジェヴさんのトークイベントを聴くと言う粋な企画があったから!
もしかすると、音楽堂では、お馴染みのイベントなのかしらと思ったのだが、そうではないようだ。今後のスケジュールを見てみたところ、こんなイベントは他のコンサートでは見当たらない。ガジェヴさんだけ。なぜだ?!
翌日(つまりこの記事を書いている今日)、朝食後に参加者一同はロビー前に集合。小雨が降る中、気にせず元気にウォーキングをスタート。知識豊富なガイドさんからの木や鳥の説明を聴きながら軽めの道のりを歩く。
(わざわざ立ち止まって無理やり至近ショットやツーショットを撮るのは遠慮して欲しいとのことだが、ウォーキング中の普通の写真撮影は可。相手に不快な思いをさせない、常識の範囲で撮ってくださいということ。)
トークイベントは音楽堂で開催。開始前の音楽堂からの説明によると、ガジェヴさんは前回、2022年に音楽堂で演奏した時も、ロッジから音楽堂まで毎回歩いていくほど自然がお好きとのこと。(通常はアーティストを車で送り迎えをするそうだが。)それで、今回のウォーキング&トークイベントの企画を音楽堂側から提案したようだ。どうやら音楽堂側でも、特別にガジェヴさんとの関係を育みたいと期待しているような雰囲気を感じる。
実はウォーキング中、ガジェヴさんと通訳さんが喋っていたのは主にイタリア語だった。インタビューもイタリア語かしらと思っていたのだが、インタビューは英語だった。良かった!やはり直接理解したいからね。。イタリア語だとお手上げ・・(オペラの定番セリフぐらいしか分からん!)
印象的な話を一部ここで共有したい。まずは、私が完全に「やられた」ショパン前奏曲2番からスクリャービン「黒ミサ」への流れについて。彼はこう考えた。前奏曲2番を「黒ミサ」に繋げたいのだが、どうするか。2番だけ弾く訳にはいかない。そこで「黒ミサ」と同じ8分ぐらい前奏曲を弾くことに。6曲選んだ。最後に弾くのは2番なのだから、本来の前奏曲の順番と逆にしてしまおう。とのことだった。
なるほど。私はそもそも前奏曲をよく知らないのだが、よく知っている人から見ると「逆流」していたわけだ。「逆流」は面白い効果だと思う。そういえば以前、シューマンの晩年の作品を弾いた後に若い時の作品を弾いたピアニストがいた。あの時は、凄まじい「逆流」を感じたなぁ・・・
スクリャービンについて、ガジェヴさんの見方が素敵だ。スクリャービンは、いわゆる個人のストーリー、自分の物語という感じのロマン派的なものではなく、その上にあるのだという。曖昧で捉えにくい、泳いでいるような、浮いているような。パーソナル、プライベートなものを超えたところにある世界。ただし冷たい感じではない。むしろ思いっきり情熱的、パッションが詰まっている。知的なものは冷たい印象を与えるが、スクリャービンはそうではない、とのこと。そこで、インタビュアーの音楽ライター高坂はる香さんが「それ、そのままガジェヴさんのことみたいですね」と突っ込む。ご本人も客席も笑いながら納得という感じ。(確かにね、と思いつつ、私はそんな世界はワーグナーの世界にも通じそうだと思って一人でニヤリ)
前日のリサイタルに関する話題は他にもあった。あの時、休憩後に私は「あれれ?今日はベーゼンドルファーだったの?」と思って、ピアノに近づいてパシャリ。よく見ると遠くにスタインウェイが。そうか、休憩時間に入れ替えたのか。2台のピアノを使用したコンサートだった。ガジェヴさんが直前にプログラム順を変更したのは、ピアノ選択のためだったそうだ。2台あるなら、どちらか1つだけを選ぶということは出来ない性格なのだそう。この曲ならこっち、この曲ならこっちと選んでいく。その結果、元のプログラムのままだと何度もピアノを入れ替えなければならないことになってしまった。それなら、プログラムの方を可能な範囲で入れ替えようということにしたということ。繊細な音色のスタインウェイで前半のショパンとスクリャービンを演奏。ベーゼンドルファーの大きな音や低音の響きは、オーケストラ的なベートーヴェンはもちろん、リストの葬送にも向いているとのこと。それを聴いて、私も思い出した。確かに前日の葬送の、あの出だしの音。ゴーン、ゴーン・・・ あの2つ目のゴーンが地底から鳴り響くたまらなくカッコイイ音色だったなぁ・・・
プログラミングにこだわりのあるピアニストであることもよく分かった。彼は「コントラスト」を狙ったとのことだった。暗い曲の後に明るい曲。そうか、では、私の「オール・暗い・プロ」願望はまだ実現しそうにないな(笑)
音楽堂から、何かこのホールでできるフェスティバルのようなイベントのアイデアがあれば知りたいとの投げかけがあった。それに対し、ガジェヴさんは、今の時代はあらゆる演奏が聴ける恵まれた時代なのだが、足りないことはといえば、ブラザーフッドと言えるようなコミュニティを築いて、もっとコミュニケーションを密にするイベントだと言う。室内楽をやるという意味ではなく、例えば1日中、演奏やレクチャーなど、あらゆるイベントを通して演奏者、共演者、聴衆が一緒に何かを作り上げるようなイベント。そんなイベントが足りないのでは、自然に囲まれた、このサイズのホールなら向いているのでは、とのご意見。ちょうど、ガジェヴさんは、イタリアとスロヴェニアの間(つまりご出身地ね?!)で、そのような自身のフェスティバルをスタートさせるところなのだそう。
ところで、ガジェヴさんの故郷、イタリアのゴリツィアと言うところについて、自称ヨーロッパかぶれの私は全然知らなかったのだが、ものすごく興味深いところだ。前日のリサイタル後にプログラムのプロフィールを見て気になってググってみたところ、人口3万人ぐらいの小さな町なのに、イタリア語以外に、フリウリ語、スロヴェニア語、ドイツ語が使用されていると言う奇跡的な多文化地域なのだ。
ガジェヴさんのアイデア、ご意見は理解できるのだが、それを実現するには強力なカリスマの存在が欠かせないだろうと私は思った。そんなイベントを作り上げる仲間たちをまとめるリーダーシップも必要。具体的な内容を練り上げるのも難しい。一部の人にしか通用しない極端にオタク的なものではダメだけど、子供騙しで簡単なものもダメだと思う。(←音楽好きの私が参加するかどうかの基準として。)
音楽堂でも今後のイベントについて試行錯誤しているところなのだろう。(ガジェヴさんに協力を期待しているようだが、大規模なイベントとなると、物理的に時間的に厳しいのではと思うが・・・)何はともあれ、今回のネイチャーウォーキング&トークイベントは大成功でしょう!
東京より10度も気温が低い、快適な気候の八ヶ岳高原から、気温と湿度が不快すぎる上に人混み激しすぎる東京に戻った。束の間の休息だ。いつか日本を捨てて、週単位でバカンスを楽しめるヨーロッパに移住したい。ああ、とほほ。
オマケ(その他の写真)
今回はコンサート前にサンメドウズ清里に行ってみた。八ヶ岳高原音楽堂でも富士山が見えると案内していただいたが、目立たない富士山だった。清里で撮った富士山の方をご覧いただこう。
八ヶ岳高原ロッジの夕食も一部共有しよう。言うまでもないが、素晴らしいコンサート後の食事は至福の時間だ。