小説『機械人形は夜わらう』(2013年度京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコースAO入試問題〈1〉)
ここに紹介する小説(冒頭のみ、未完)は、2013年に開設された京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコースのAO入試(2012年夏実施)で出題された「小説さし絵問題」の問題文3篇のうちの1篇です。受験生は、3篇の小説を読み、自分が描きやすい1篇を選ぶものでした。しかし、文章を読むのに時間がかかる受験生が多く、絵を描く時間が短くなるため、翌年からは1篇に絞るようになりました。
江戸川乱歩風の古めかし探偵小説を意識して書きましたが、続きはありません(笑)。
(公開にあたっては、京都精華大学入試チームの確認を得ています)
『機械人形は夜わらう』
それは東京が、まだ帝都と呼ばれていた頃のこと。銀座や新宿、上野、浅草あたりの繁華街でも、商店や劇場が閉まるのは早く、午後十一時ともなると明かりも消え、人通りも途絶えるのが常でした。
その惨劇が起きたのは、ある冬の夜、場所は、上野の北にひろがる谷中墓地に近いお屋敷街の一角でした。
「きゃああああぁぁぁ……!」
火の用心の夜回りをしていた老人が、夜空をつんざく女性の悲鳴を聞いたのは、午前零時をまわった直後のことでした。
悲鳴が聞こえてきたのは、すぐ目と鼻の先に立っていた洋館のようです。
「な、なんだ……?」
寒さを防ぐために手拭いで頬かむりをして、火消しの印半纏(しるしばんてん)を着た老人は、おっかなびっくりの腰つきで、手にした提灯を高く掲げながら洋館に向かいました。
高い煉瓦塀に囲まれた洋館は、正面に門があり、鉄の柵が閉まっています。
老人が門の前に着いたとたん、その脇にあった通用門の鉄扉がギイ……と音を立てて開き、中から人影が転がり出てきたのです。
バタリと地面に倒れたのは、女性のようでした。
「どうなすった?」
老人は、女性の前に駆け寄り、提灯を掲げて声をかけました。
「しゅ、主人が……」
女性は、か細い声でいうと、そこで意識を失ってしまいました。
「しっかりしなせえ」
女性の肩に手をかけた老人は、ぬめっとした感触を覚えて、提灯の明かりに自分の手をかざしました。すると手が赤く染まっているではありませんか。まぎれもなく、血――でした。
「てえことは……」
老人は、凍るような星空を背景にそびえる洋館を見あげ、ぶるっと身体を震わせました。
「チッ、また、お前か……」
名探偵として知られる武智大五郎(たけちだいごろう)氏が事件現場となった洋館に到着したとたん、玄関で苦虫を噛みつぶしたような顔で舌打ちしたのは、警視庁で殺人事件などの凶悪事件を担当する刑事課主任の蟹丸桂(かにまるかつら)警部でした。
「あんたもかい」
よれよれの背広にネクタイ姿の蟹丸警部は、武智探偵と一緒に現場を訪れた私にも、冷たい視線を向けてきました。
蟹丸警部の年齢は、確か四十五歳。殺人や強盗事件の犯人を自供させるのが得意なベテラン刑事ですが、口を割らせるためには拷問も辞さないとかで、同じ警視庁の中にも彼を毛嫌いする刑事や警官がいると耳にしています。
対する武智大五郎氏は、まだ二十三歳の青年探偵です。十歳のとき、外交官だった父とともに米国に渡り、あちらで小学校から大学までの教育を受けた合理的な精神の持ち主です。
身長は百八十センチを超えながら、スラリとした痩身で、冬のこの季節は、背広の上にマントを着用し、自分でフォードの乗用車を運転しては、事件現場に駆けつけます。
その乗用車の助手席に乗ってきた私の名前は和智三太(わちさんた)。帝都大医学部に勤務する外科医ですが、解決が難しそうな殺人事件が起こるたび、武智探偵とともに呼び出される立場にありました。
私の年齢は、武智探偵よりも十歳上。つまり三十三歳ですが、わずかな手がかりだけで難事件の構造を推理し、解明する武智探偵の知力に魅せられ、自分から探偵の助手役を志願してきたという経緯があります。
昨夜、殺人事件が起きたのは、谷中にある一軒の洋館でした。五百坪はあろうかという広い敷地内に建てられた大理石づくりの洋館は、一部を除いて二階建てになっています。惨劇の現場となったのは、吹き抜けになった広い居間の一角とのことでした。
警視総監から協力の依頼を受けた武智探偵と私は、さっそく、事件現場となった洋館を訪れたわけですが、そこで鉢合わせしたのが、私たちのことを天敵と思っている蟹丸警部だったのです。
「現場を拝見したいのですが……」
武智探偵は、丁重な態度で蟹丸警部に申し出ました。
「警視総監からの依頼とあれば、しかたあるまい」
玄関のガラス戸の前に立っていた蟹丸警部は、渋面のまま私たちを洋館の中に案内しました。
洋館の中には、現場保存のためか、多数の警官が、あちこちに立っています。
居間の入口には、天井までありそうな高い木製のドアがあり、その前にも警官が張り番をしていました。
床も壁も磨き込まれた大理石で、革靴の足音がカツンカツンとよく響きます。
「おい」
蟹丸警部が声をかけると、警官が、手袋をした手でノブを回し、ドアを開いてくれました。
現場となった広い居間の一角には、大きな暖炉がつくられていて、壁には大小多数の絵が掛けられています。
ソファとテーブルの応接セットが三組ほど置かれ、奥の方には、背後の棚に酒瓶が並ぶ高いカウンター席まで設けられています。主人は、このカウンターの中に入って、来客をもてなしたのでしょうか。
床には人の背丈ほどの壺があれば、壁に刻まれた窪みには造花とおぼしきバラの花を飾った花瓶もあります。
部屋が広いためか、天井には大量の電灯が仕込まれたガラス製のシャンデリアが四つも吊されています。米国だったか欧州だったかから輸入された映画で、こんな光景を見たことがありますが、まさか東京でこんな豪華絢爛な洋館に住む日本人がいようとは……。
「この広さでは、女中だけでも何人も雇わないといけませんな」
ため息まじりに私がいうと、
「私も、この部屋に入ったとたん、同じことを考えました。庶民には想像もつかない暮らしぶりですからな」
と、珍しく蟹丸警部が同意してくれました。
すでに遺体は解剖のために運び出されていましたが、暖炉の前の床に、大量の血痕が残っていました。遺体のあった位置は、白墨で白い輪郭が描かれています。その輪郭からはみ出るほどに大量の血液が、大理石の床の上に溜まっていました。
それだけではありません。ちかくの壁や暖炉にも、飛び散った血の痕がついています。床に溜まった血痕は、すでに表面が乾きはじめていましたが、量はかなりのものになります。死因は出血多量によるものと見て間違いないでしょう。武智探偵も無言で血痕の様子を見ていましたが、同じ結論のように見受けられました。
「被害者の名は、大日向(おおひなた)源之助(げんのすけ)。アジアや南洋方面との貿易で財を築いた大東亜商事の経営者だ。年齢は四十歳。二十九歳の夫人と二人暮らしで、下女や自家用車の運転手は別棟に住んでいる」
蟹丸警部が、親切にも説明してくれました。
「発見者は、その夫人だったとか? 話は聞けますか?」
私がたずねると、蟹丸警部がコクリとうなずきました。
「留里子夫人というのだが、ショックで寝こんでいる。死体発見の様子を聞くのなら、少し時間を置いた方がいいだろう……」
「わかりました。で、凶器は……」
ふたたび質問しかけると、それをさえぎるように背後から武智探偵の声が聞こえてきました。
「凶器は、あれのようですね」
振り返ると武智探偵が、部屋の一角を見つめていました。
「う……!」
武智探偵の視線の先を見て、私は息を呑みました。そこには、背丈の高い人形が立っていたからです。
その人形は、西洋の騎士が身につけていた兜と甲冑のようなもので全身が覆われていました。顔に穿たれた空洞の目が、私たちをにらみつけているかのように、こちらを向いています。口の部分も耳まで裂けていて、まるで笑っているかのようです。なんだか人の心の奥底を見透かしているような、実に不気味な笑みではありませんか。しかも、口の中には牙まで見えていました。
顔にも身体にも、無数とも思える鉄の鋲が打ち込まれています。これはまさに機械人形というしかありません。
左手には丸い盾を持ち、右手に持っていたのは一本の剣でした。それも西洋風の幅が広い両刃の剣で、長さは刃の部分だけでも一メートルほどはあるでしょうか。
しかも、天井に向けられた剣の先が赤く染まっています。血にまちがいありません。
「この剣が凶器だというのですか……?」
思わず私は声に出しました。鋼鉄の人形が右手に持つ剣は、これも鋼鉄製のようで、かなりの重さがありそうです。大人ひとりでは、持つのがやっとで、とても振り回せそうにはありません。
「現場の遺留品で、凶器らしきものは、この剣しかありません。別に凶器があって、犯人が持って逃げた可能性もありますが、ハシゴをかけて剣の刃や血液の様子を調べたところ、遺体の心臓をひと突きにしていた傷口の幅と深さが一致したのです」
蟹丸警部が、またも説明してくれました。
「相当な大男でもなければ、この剣を振るうのは無理でしょうな」
「同じ考えです」
私の意見に蟹丸警部が同意しました。いつもなら、もっと突っかかってくるのに、今日は、やけに素直です。その理由は想像がついていました。
そもそも蟹丸警部は、長年、殺人事件の捜査をしてきた経験から、「第一発見者こそが犯人である確率が高い」という持論を持っています。今回の事件でいえば、「第一発見者の留里子夫人こそが犯人にちがいない」と決めつけていたにちがいありません。
しかし、女性では扱えないような重い剣が凶器とあっては、蟹丸警部の経験も役に立ちません。あっさりと私の意見に同意したのも、このせいだったのです。
私と蟹丸警部が話している間、武智探偵は静かに周囲を見まわし、天井のシャンデリアのあたりにも目を向けていました。
四つのシャンデリアを順番に見ていた武智探偵は、すぐに、ちかくにいた警官に声をかけました。
「留里子夫人を呼んでいただけませんか?」
「夫人は、ショックで寝こんでいますが……」
警官が答えると、彼の耳に武智探偵が何やらささやきかけました。
警官が困ったような顔で蟹丸警部を見ます。
「かまわん。呼んできなさい」
蟹丸警部にいわれた警官は、あわてて居間から出ていきました。
「この部屋に入らないといけないのですか? 主人が死んでいた部屋に……?」
五分ほどが過ぎた頃、ドアの外から女性の声が聞こえてきました。留里子(るりこ)夫人の声でした。
「お入りください」
武智探偵が、凜とした声を発すると、ドアが開いてガウン姿の女性が姿を見せました。
血だまりを見たくないのか、顔をそむけています。
「もう少し前にお進みください」
武智探偵の毅然とした声に、留里子夫人は恐る恐る歩いてきます。
夫人が床の血だまりと、鋼鉄の人形の間に立ったとき、武智探偵が決然とした声を発しました。
「奥さん、ご主人を殺した犯人は、あなたですね?」
びくっと身体を震わせた留里子夫人は、がっくりと膝を折って、大理石の床に手をついたのです。
「夫人が、あの剣を……?」
蟹丸警部が目を丸くして武智警部と留里子夫人、そして鋼鉄の人形を交互に見まわします。
「先ほど夫人を迎えにいった警察官には、夫人が居間に来るのを嫌がったら、『シャンデリアを天井から降ろします』と伝えるようお願いしました。夫人は、その言葉を聞いて観念し、ここに来たはずです。そうですね?」
武智探偵に声をかけられた留里子夫人が、力なくうなずきました。
「天井から吊されているシャンデリアは、掃除のために床に降ろすための鎖が何本もついています。別室のハンドルを回すなどして、降ろすことができるのでしょう。滑車や歯車を使ったものなら、か弱い女性でも重いシャンデリアを上下させることができます。シャンデリアを支える鎖の一本で剣を吊るしておいて、被害者の源之助氏が剣の下に来たとき、剣を吊す鎖をゆるめたのです」
留里子夫人は無言のまま。それこそが、真実を言い当てられた証拠のようにみえました。
「氏を殺害後は、再び剣を吊り上げ、元の場所に戻したのでしょう。剣を吊しておけば、移動させるのに、さほどの力は要りません。脚立でも使って剣をもどしたあと、夫人は第一発見者を装うために、着ていた寝間着に血をつけて、そのうえで、外に聞こえるような大声で悲鳴を発したのです」
「そうなのか?」
蟹丸警部の問いかけに、夫人は、さらに頭を落としました。武智探偵の推理が当たっていたということなのでしょう。
武智探偵が解決した難事件は、これで二十四件になりました。事件の記録を担当する私は、いずれ、事件の経過を本にまとめるつもりです。そのとき今回の事件は、『機械人形は夜わらう』と命名するつもりです。
○問題
武智探偵、語り手である私こと和智三太、そして、蟹丸警部が洋館の居間に集まったシーンを描いてください。できれば機械人形や留里子夫人も入れてみてください。
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