小説『プロジェクト一寸法師』(2016年度京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコースAO入試問題)
2015年夏に実施された2016年度京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコースAO入試試験に出題された小説さし絵の問題文です。
(この問題文掲載は、京都精華大学入試チームの確認を得ています)
〈小説さし絵試験用問題文(小説の抜粋)〉
『プロジェクト一寸法師』
「ひ、ひ、弘(ひろし)~~っ!」
背後にいた加奈子(かなこ)が、突然、オレの名前を呼んだ。それも、喉の奥からやっとのことで絞り出したような、かぼそい悲鳴に似た声だった。
「どうした?」
振り返ると加奈子は、窓に顔を向けて身体を硬直させていた。両目は限界まで見開かれ、顔面も血の気を失っている。
オレも加奈子が見つめる窓に、視線を向けた。
「ひ、ひええっ!」
こんどはオレが悲鳴をあげる番だった。悲鳴をあげるだけではすまなかった。足が震え、身体はすくみ、オシッコまでちびりそうになった。なぜなら、窓ガラスの向こうには、窓枠からはみ出そうなほどに巨大な人間の目があったからだ。
白目の部分には血管が走り、瞳は明らかにオレたち二人をギロリと見つめていた。
カールした長い睫毛は、ツケマらしい。マスカラも塗られている。まぶたには薄いブルーのアイシャドウ。つまり、女性の目ということか。
しかも、その目の前には、窓ガラスとは別のガラスらしきものがあった。どうやら眼鏡のレンズらしい。
レンズの奥の目は、明らかに笑っていた。それもサディスティックな笑いだ。この目には心当たりがあった。
オレと加奈子は、すくむ足を無理に動かして、じりじりと後ずさりした。
だが、三歩ほど後退したところで足を止めざるを得なかった。廊下の壁に背中がぶつかってしまったからだ。
窓ガラスの向こうの巨大な目は、オレと加奈子を珍しい昆虫でも見るかのように見つめている。
フウ……と窓の外から音が聞こえたと思ったら、ガラス窓が白く曇った。どうやら巨人の鼻息らしい。
――こ、こんなにことになるなんて……!
オレは、高額のバイト代に目がくらんで、この実験の協力者になったことを後悔した。
* * *
オレの名前は、川上弘。京都市内に住む十七歳の高校二年生だ。
高校では、同級生とバンドを組んでいる。担当はリードギターだが、アニキのお古のエレキギターが壊れたのが一ヶ月前。それ以来、友人のギターを借りて練習していたのだが、やはり、いつでも好きなときにプレイしないと腕が落ちてしまう。
そこで夏休みにバイトをして、エレキギターを買うことに決めたのだが、前から憧れていたブランドのギターはアメリカ製で、中古でも三十万円はくだらない。
コンビニあたりのバイトは、時給八百円くらいが相場だ。一日八時間フルに働いても六千四百円では、五十日以上バイトをつづけなければ欲しいギターに手が届かない。でも、夏休みは四十日しかなかった。
――安いギターで間に合わせようかな……。
そう思ってもあきらめがつかず、モノは試しとネットで「時給五千円」のバイトを検索したら、ヒットしたのが「最先端サイエンス学術財団」という団体のWebサイトが掲載していた「実験協力者募集」の案内だった。
募集人員は二名。しかも「男女のぺア」というのが条件だった。年齢は十五歳から二十二歳。つまり高校生か大学生というわけだ。
この団体のWebサイトには、難解な科学用語らしい言葉がズラリと並んでいて、音楽に明け暮れているオレの頭では理解できなかったが、とにかくバイト代が高額なことだけは確認できた。
バイトは、一日八時間で十日間。つまり、たった十日で四十万円も稼げるってことになる。男女のぺアというのが条件だったため、オレは、バンドで、ベースとボーカルを担当している加奈子に声をかけた。彼女も新しいエレキベースを欲しがっているのを知っていたからだ。
加奈子にバイトのことを話すと、最初は抵抗した。そんな高額のバイトは、犯罪に近い危ない仕事にちがいないというのだ。
とにかく面接だけでもと、渋る加奈子を説得して、京都市の郊外にある最先端サイエンス学術財団が運営する研究所を訪問したのが昨日のこと。研究所は、大学かと思うほどの広い敷地の中にあり、前衛的なデザインの高層ビルが何棟も、青空に向けて突き立っていた。
Webサイトからダウンロードし、必要事項を書き込んだ申請書と履歴書、親の同意書を持参したが、同意書は、実は偽造だった。両親に、こんな高額バイトの話をしたら、怪しいからやめろと言われるに決まっているからだ。それは加奈子も変わらない。そもそも彼女は、このバイトを本気にしていなかった。
科学者らしい男性三名の面接を受け、身長・体重・視力などの簡単な身体検査の後、あっさりと合格ということになった。
あらためて、今朝、研究所に来たオレと加奈子は、バイトをする実験室に案内された。
実験室といっても陸上競技ができそうなくらいの広さがあった。巨大体育館といったほうが似合いそうなほど広い部屋だ。部屋の中央には、テーブルほどの高さで、サッカーコートほどの広さを持つ長方形の台があり、その上には、小さな家やビルがつらなる〈街並み〉がひろがっていた。
小さな家やビルは、ミニチュア模型のジオラマのようなもので、一戸建ての家の窓の中を覗くと、キッチンやリビング、子どもの勉強部屋や寝室の中までもが、精密につくられている。
オフィスビルの中にはデスクやロッカーが置かれ、学校の校舎の中には机と椅子が並んでいた。
すべてが1/10ほどの大きさだったが、どれも模型とは思えないほどに精巧だった。まるでホンモノを縮めたとしか思えないほどにリアルなのだ。
「キミたちの仕事は、この街で暮らすことよ」
案内してくれた若い女性の科学者が説明してくれた。白衣を着た姿は、いかにも科学者だが、髪を茶色に染めて、ツケマ――つまり、つけ睫毛をつけている。
「暮らす……? ここで……?」
オレと加奈子は顔を見合わせた。その言葉の意味がピンと来なかったのだ。
「では、こちらへ」
科学者に案内されて、隣の部屋に行くと、金網の鳥かごのようなものの中に入れられた。
金網のドアが閉じられ、自動的にロックされる。いつのまにか科学者の姿は消えていた。
次の瞬間、室内に激しい電光が走り、オレと加奈子はショックで意識を失った。
* * *
目を覚ましたのは、学校らしき建物の中だった。
一方の壁には教室のドアと掲示板があり、反対側には窓が並ぶ廊下――そこにオレと加奈子は倒れていた。
「ここ、どこ……?」
「オレにわかるかよ、そんなこと……」
オレと加奈子は、ゆっくりと身体を起こし、窓の外を見た。
窓は四階ほどの高さで、眼下には住宅の屋根が並んでいる。その景色には見覚えがあった。広い体育館のような部屋に置かれたジオラマの住宅街だ。
ということは、いまいる学校の校舎は、ジオラマの中にあった校舎ということか。
オレと加奈子は、廊下を進み、別の窓からも外の様子を探ることにした。
窓の外は夕暮れになっているが、この空の光も人工の照明で作り出されているような印象がある。
――ということは、つまり……。
オレの大脳が結論を出す前に、
「ひ、ひ、弘~~っ!」
という加奈子のか細い悲鳴が聞こえてきた。
加奈子が見たのは、窓の外から覗く巨大な目だった。ツケマをつけ、マスカラを塗った目。おまけに眼鏡をかけている。まちがいない。あの女性科学者だ。
「1/10のサイズになった気分は、いかが?」
壁に背中を貼り付けたオレと加奈子を見て、女性科学者の目がニヤリと笑った。
「じゅ……じゅうぶんのいち……?」
なんとなくそんな気がしていたが、やはりそうだったのか。
「弘……」
加奈子がオレの背後に潜り混み、両手でオレの両肩をつかむ。その指先が震えているのがわかった。
「心配しないで。ここの暮らしにも、一日もすれば慣れるから」
女性科学者が優しく言った。
でも、そんな言葉、信じられるわけがない。
「逃げるぞ!」
オレは加奈子の手を引くと、思いきって床を蹴った。
ダダダッと廊下を駆け、階段を探す。下りの階段を見つけて駆け下りようとしたとき、
「逃げようたって、そうはさせないわ!」
怒気を含んだ声が上空から聞こえてきたと思った次の瞬間、ガラガラッと天井が崩れ落ち、上から伸びてきた肌色の棒のようなものが二本、階段に突き刺さった。
指だった。爪には赤いマニキュアが塗られている。あの女性科学者が、指で天井を突き破ったらしい。
「せっかく高額のバイト代を払って、私たちが進める『プロジェクト一寸法師』の実験台になってもらおうと思ったのに、逆らうと、元の大きさには戻れなくなるわよ!」
天井に開いた穴から、あの女性科学者の声が振ってくる。
「『プロジェクト一寸法師』?」
オレは、思わず声を出した。
「ふふ、そのとおりよ。いま人類は、人口が増えつづけ、このままではエネルギー資源も食料も足りなくなる。そうなったら、人類同士が生き残るために、凄惨な戦争を展開することになる。その戦争を避けるには、エネルギーや食料の消費を減らすしかない。そのためには人類を小さくするのが一番なのよ。ここは、小さくなった人間が、どのように生活していくかを探る実験施設なの。でも、わたしたちの実験から逃れようとしたら、もう、元の大きさには戻れない。あなたたちは、このまま、ここで暮らし、この世界のアダムとイブになるのよ」
女性科学者は、一気に話すと指を天井から引き抜いた。
天井に開いた穴から女性科学者の顔が見えた。その顔は笑っている。オレたちが困っているのを楽しんでいる顔だ。
「くそ!」
オレは、再び加奈子の手を取ると、一気に廊下を駆けた。
廊下の突き当たりにドアがある。そこには〈非常口〉と書かれていた。
ドアを開き、外階段を一気に一階まで駆け下りる。
「逃がさないわよ!」
上空から声が聞こえてきた。
オレと加奈子は、振り返らずに走った。
校舎の裏手は住宅街になっている。
「きゃっ!」
加奈子が足を滑らせ、転倒した。
「加奈子!」
オレが手を伸ばしたとき、
「二人とも、それまでよ!」
校舎の向こうにそびえ立った女性科学者が、ヌッと手を伸ばしてくる。
「捕まってたまるか!」
オレは、無理に加奈子の手を引き、走り出した。
(以下、略)
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