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【自宅出産、その後】 生後3日目の娘との対話 (子どもと一緒に居たい!だなんて、親のエゴでしかないのかもしれない。)

※2022年12月30日 (出産の6日後にメモに残していた、幻の投稿)
当時はいろんなことがありすぎて、語ることができなかった内容です。2年経って、公開してみようかな、なんて思えてきました。

自宅出産までの経緯と想い、まずはこちらからご覧ください。




先日、12月24日、第4子が誕生しました㊗️

それはそれは、すばらしく幸せな時間で、子どもたちにも見守られながらスルンと産まれてくる娘を、旦那が丁寧にとりあげてくれました。
母子共にものすごく元気で、3日間は穏やかに幸せに自宅での時間を過ごしていたのですが…

まさかの、生後3日目の夜、病院に呼び出し。

夜の20時から4時間以上にわたる検査と会議室での話し合いを経て、「医療ネグレクト」と判断され、児童相談所の一時保護になり赤ちゃんだけ入院しているという事態になっています。


(注:わたしの視点で書いているので、事実とちがうこともあるかもしれません。)


自宅で産まれたことが、"不衛生な場所で生まれ落ちてしまった子"として扱われ、「一刻も早く、最低1週間の入院をして抗生剤の点滴を打ち続けなければ、死に至る可能性がある。」と、その時点では元気そのもの(見えないところで何かあるかもしれないけれど)だった娘に対して「いますぐに入院させなさい。拒否するなら、医療ネグレクトとして児相で預からせてもらう。」と、小児科の先生に同意を求められました。

「新生児は全く免疫がないから」と、何度も何度も言われていたのが印象的でした。(その先生は、新生児を救えなかったことが過去にあったのだろうか。)

私たちが説明する間もずっとため息をついていて、寄り添いのような気持ちは全く感じられず、その先生を信用することができなかったので「セカンドオピニオンを求めたい」と言ったところ、児童相談所の偉い人を呼ばれてしまいました。

私たち夫婦の選択肢は、小児科の先生がそう証言している以上
①同意して入院させるか
②同意しないで児相に引き取られて入院になるか
の2択しかなく………

どうしても家でゆっくり上の子どもたちと穏やかな時間を過ごしたくてリスクを承知で自宅出産を選んだのに、ここにきて産後3日で離れ離れにさせられるのは納得がいかず、、、選択を渋っていました。

「お母さんは成人なので、ご自身で選ぶ権利があります。でも赤ちゃんは言葉を話せませんし、親に育てる義務があるため、その義務を放棄するなら、法的対処が必要になってきます」

と小児科の先生が強く言うのでした。

終わらない、話し合い。


小児科の先生、産婦人科の先生、市の担当の方、保健師さん、児相の方2名、病院の偉い人?、、、私が決断しなければ、みなさんをこの年末休み前の最後の日に朝まで付き合わせることになる。
(ちなみに、少し前に里親研修を受けており児相の方々とは多少面識があり、子育て関連の仕事をしているので市の子ども家庭課の方や保健師さんも知った仲であったので、、余計に申し訳なかった。)

でも、赤ちゃんとは離れたくない

というか、
こっちは産後3日目の産婦なんだぞ、ということを忘れそうになる(涙)

話し合いは、続いた。

正義感の強い若い男の先生である小児科の先生が説得してくる、「赤ちゃんの命を救いたい」と。
産婦人科の先生(こちらも若いがある程度実績のある責任者の先生)も、私のことをいたわってくれつつも、彼のいうことはまちがっていないという。
児相は、小児科の先生が言っている以上、それに従うしかないと。

きっとこの時点で、児相権限で、有無を言わさず「一時保護で入院」という形もできたと思う。入院の同意を悩んでいる何時間も、寄り添って待ってくださっていたのは、ありがたく、申し訳なかった。

<提示されている選択肢>

① 入院に同意して、母子セットで入院。
母である私だけは付き添いというカタチで一緒に入院して同室に居られる。この場合、他の人は一切面会できない、上の子たちとも会えない。(※コロナ以降の病院のルール)

②  入院に同意して、子だけ入院。
1日1回母乳を与えるために私だけ面会できる。産後すぐの私が毎日母乳を絞って病院に届けるのは、結構つらい。

③ 入院に同意せず、児相の一時保護となり、入院。
入院に同意しなければ、一切会うことはできない。いつ帰ってくるかもわからない。

という条件があったのですが、

まだまだゆっくりしたい産後3日目の私が、まともに療養できず病院に閉じ込められて付き添うのもイヤ、毎日1回だけ授乳のために病院にくるのもイヤ、 「とにかく家で一緒に過ごしたい」が本音でした。

赤さんからの言葉 「置いてっていいよ〜」

(※ 私は敬意を込めて、赤ちゃんではなく"赤さん"と呼んでいましたw)

筋道が見えてなかった話し合いのなかで、なにかヒントをもらえないかと、旦那が抱いていた娘を、わたしが抱き直して、本人に聞いてみました。

(※私は妊娠中から赤ちゃんとよくテレパシーのように意思疎通をしていて、生まれてくる時も「あと2回の陣痛で生まれるよ!」って教えてくれたほどよくコミュニケーションをとっていました。)

赤さんにテレパシーで聞いてみたらね、
👶「置いてっていいよ〜!ママはゆっくり家で休んで。」
ってあっけらかんと言うのです。

そこで初めて、私の中で選択肢になかった 「児相に預けて離れる」という選択が浮上しました。

病院にいる間、娘は、ずーーーーっとスヤスヤ堂々と寝ていて、 寝ながらウンチを噴射したり、そのタイミングで臍の緒を取ったり、 後から考えると、【大丈夫】ってどっしり構えてくれていた気がします。

娘が「置いてっていいよ」と言ったことで、道が見えたような気がしました。

🤱「え?本当にいいの?寂しいんだけど」
👶「別にいいよ、3日間幸せだったし。
 だってそっちのほうがオモロいじゃん!」 って….!

まじかーーー!なんて軽さ。 
さすが完璧な存在の新生児。

そこからふっとわたしのエネルギーも軽くなって、旦那はあんまりいい顔はしてなかったけど、「いいです、同意しません。児相に預けます。」 と、話を進めさせてもらいました。

その時、思ったこと


そのとき、ふと思っていたのが……
「あぁ、、、 "一緒に居たい" だなんて親のエゴでしかないんだな」ってこと。

大人は、赤ちゃんや子どものことを「守るべき存在」としてみなしてしまうけれど、本当は「守らせてもらっている」「育てさせてもらっている」んだ!!!

大人は勝手に「守らなきゃ」「育てなきゃ」ってしんどくなったりするけど、本当は「守らせてください」「育てさせてください」が正位置なのでは。
そんな葛藤さえも、子どもたちが用意してくれている学びの機会なんだなぁと。(伝わるだろうか?)

つまりは、
親「育てたい」→「育てさせてもらう」
子「育ててもらいたい」→「育ててもらう」
が、成立しているのであって

今回の場合
親「一緒に連れて帰りたい」→どうしても実行したい
子「どっちでもいい」→入院すればよくね?
みたいな感じで、成立しておらず、「一緒に連れて帰りたい」を押し通すことがエゴの押し付けになってたのでは?と。

だから、もしかしたら「この親に育てられたくない」という意思を持った子を、親の「育てなければ!」というエゴや使命感で育てようとすると、うまういかないことが起こるのかもな〜 なんて思った次第です。

子を尊重する


子どもはお母さんが大好きで、一緒に居たいと願えば必ず一緒に居てくれる。 だから親子というものが成立する。

でも、ある一定以上の愛情で満たされている子は、 必ずしも一緒に居る必要はないのかもしれない。場合によっては、一緒に居ること自体が、価値観の押し付けになり、 子どもの成長にとって邪魔になってくることもよくある。

話せる年齢の子たちには、意見を聞いて、その意見を尊重しつつ、私の意見を述べる、対話で決める、 ってことをしてきたけれど、、新生児でもやっぱ意思があるんだよなーー!

エゴを押し付けたらいかんな、、とちょっぴり反省したのでした。


「置いてっていいよ〜」の時の顔。
それまで私はずっと涙が止まらず入院に同意できなかったのに、
ここにきてこの写真撮りながら微笑みはじめて
頭がおかしくなったと思われたと思うw


置いて帰ってきたはいいものの…


結局、「あー、もう上の子たちとあそびつつ、ゆっくり休も!!」だなんて、自宅に帰ってきたけれど、、、

赤ちゃんと過ごすはずだった部屋に戻ってきては泣いて、
赤ちゃんの顔を思い出しては泣いて、
みんなで晩ごはん食べる時も「ここに赤ちゃんが居てくれたらハッピーなのになぁ」と思っては泣いて、
人ってこんなに泣けるんかってくらい泣きすぎて頭痛がやばい。

そして、おっぱいが順調に出始めた時に引き離されちゃったので、
乳腺炎になり発熱も39度ちかくで意識朦朧。
母乳を自分で絞らないといけないけど、
絞ったら子宮の収縮と頭痛が一緒に来るし、
ホルモン刺激されて、訳わからんくらい悲しくなるし、寂しくなるから…

看護師さんとかは、「3時間おきにおっぱい絞っていればまた再開できるからね」なんて安易に言うけど、おっぱい絞るのも辛すぎるんよ。
毎回涙止まらないんよ。

もう、ほんと、こんなに辛いなら病院に缶詰されとけばよかった〜と、早くも心が折れかけています……(産後うつメンタル)


とはいえ、年末最後に家庭訪問のあと夜遅くまで病院同行してくれた、子ども家庭課の方や保健師さん、児相の若い女性が、気持ちに寄り添ってくれていたので……申し訳ないなと思いつつ、だいぶ救われていて、

何より、旦那も家族もみんなも本当に優しく付き添ってくれているので、、
年明けまで、【信じて待つ】を貫きたいと思っています。


赤さんのいない、元日の朝。
目が腫れすぎ。笑
すっごい深い部分でたくさんお世話になったちあきちゃんと。
ずーっと撮ってもらってたから、一緒に写ってる写真が少なくてちょっと悲しい。




追記: その後、どうなったか。


その後、1月6日(一時保護から9日目)に、
病院へお迎えに行くことができました。

児相の一時保護は、一般的に30日程度と言われていますが年明けすぐに児相の皆さんが動いてくださり、新生児ということも配慮していただいて、9日間で手元に戻していただくことができました。

それから、定期的に保健師さんや児相の方の面談がありましたが、いつも他愛もない話をしたり、人生相談をしたり、熱く子どもの権利について語らせてもらったり、いい時間を過ごしました。

今はすくすくと何事もなかったかのように成長しています!!
日頃の行いがよかったからかな。笑

愛知から義母が手伝いに年末年始で来てくれたのに、
来てくれた当日すぐに一時保護になり、赤さんと会えずに帰るところだった。
無事に会ってもらえてよかった!


ここ最近、コロナ以降、全国的に病院の規制が増えたこともあり、同じように自宅での出産を選ぶ方が増えてきているようです。
私も、前もって病院とのやりとりをしっかりしておけば、こんな大変な事態はならなかったと思います。価値観が合わない人との対話はできる限り妊娠中はしたくないなーという感覚で過ごしてしまい、結果的にこうなったのですが。

世のママたちが、病院であっても、助産院であっても、自宅であっても、心穏やかに気持ちがいいお産をすることができますように。

何かあれば、SNS等で、ぜひご連絡いただけたらと思います。




以上、この内容をこの形でここに残していいのかは疑問なのですが、私の視点で起きた出来事と私が感じたことを綴ってみました。

長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました!!


カメラマンのちあきちゃんの記事も素敵なので、ぜひご覧ください。




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