暗いアイドル
自分は「笑わない」「暗い」アイドルが好きなんだなと、と改めて思ったのは、日曜日に最南端トラックスの3グループを観たからで…。
いわゆる「地下アイドル」で最初にハマったグループの一つが、Maison book girlだった。ブクガの楽曲は基本暗くて不気味で、ライブ中のメンバーは笑顔を見せなかった。ぼくが4年間追いかけている代代代、明るい曲もあるんだけど、死を連想させるフレーズが頻繁に出てくる。ズバリ「死神」という曲もある。最も人気の曲「ワールワイドハピネス」もそのタイトルや明るい曲調と裏腹に、歌詞は極めて暗いものだ(少なくともぼくの解釈では。なお、「明るいのに暗い」というのは、代代代の楽曲を解釈する補助線の一つだと思っているけれど、ここでの話とは若干ずれる)。
日曜日のお目当てだったyumegiwa last girlには、夏がテーマの明るい曲もある(ただし、内容的には「別れ」の曲だけど)。しかし、「死にたい夜のこと」なんて曲はタイトルの歌詞もひたすら暗い。ユレルランドスケープは初めて見てその暗さに驚いた。曲調もライブ中の表情も暗く張り詰めている。新グループのCANDACEもかなり、暗い。
ここまで「暗い」「暗い」と連呼してきたが、言われているグループのメンバーやファンがもしこれを読んで気分を害したら極めて不本意なのだが、僕としてはもちろん、「暗さ」こそ、彼女たちの抗いがたい魅力の一つだと言いたいのだ(注1)。
世間的には、アイドルというと、キラキラ笑顔の元気溌剌というのが典型的イメージだろう(松田聖子から、今年の夏も白い砂浜やプールサイドで水着で笑顔で歌い踊る彼女たちまで連綿と続くイメージ)。でも、「暗い」アイドルも別に突然変異ではなくて、中森明菜以来の「笑わないアイドル」の伝統が続いているのだと思っている。
ここで少し話がデカくなってしまうのだけど、誰にもある、他人には言えない暗い欲望や衝動(例えば、破壊、逃亡、死への憧れ)、社会や政治の「正しさ」の下では表現も伝達もできない暗い欲動まで表現できてしまうのが文学芸術の大きな魅力だと思っている。かって、歌舞伎役者の松本白鸚が「芝居や歌舞伎は観る人の悲しみや苦しみを希望や勇気に変える」と言っているのを聞いて感動したことがある。笑わないアイドル達の暗い歌は、ぼくの悲しみや苦しみを希望や勇気に変えてくれる、あるいは変えてくれると信じて、ぼくは今日もライブハウスにやってくる。
(注1)ここに挙がっていないグループだと、ハミダシステムやじゅじゅが好きでした。最近だと、シンダーエラ、アユスク。