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ヴォーヌ・ロマネに生まれた、ある少女の闘い。

一見すると、そのちいさな村にはとくに見るべきものはなにもなさそうです。
なぜって、とんがり屋根のちっぽけな教会とこぢんまりした石造りの郵便局、オレンジ色の屋根の民家、そして一軒の、見かけはいたって普通のワインショップがあって、あとはベンチと滑り台のある小さな公園があるくらいです。
いたるところにぶどう畑が広がり、その周りを子供達が走り回っています。
村人たちはみんな顔なじみ、道で顔を合わせば世間話をして、相手や家族の健康を気遣います。
そんな村に毎年多くの観光客が世界中から目を輝かせてやって来ます。
村人たちはけっして驚きません、毎年のことですから。

村の名前は、Vosne Romanee。 ヴォーヌ・ロマネと読みます。
ロマネ、その名前には、このちいさな村が古代ローマ帝国となんらかの関係があったことが察せられます。




ある種の人たちは、その村を「神に愛された土地」と呼びます。
ある種の人たち、それは根っからのブルゴーニュワイン愛好家たちのことで、実は、この村は、村全体が日当たりの良い東南向きで、しかもその土は粘土質と石灰質が混ざっています。
これがまさにワインを作るための土で、この土地だからこそ、あの「ロマネ・コンティ」が生まれうる。
しかも、ロマネ・コンティ以外にも素晴らしいワインができる畑がいくつもあります。
なんという夢のような土地でしょう。
もちろん名門と呼ばれる優れた生産者の方々もたくさんおられます。
なにしろこの村の9割はワイン生産者ですから。




たとえばグロ家。かれらは名門中の名門で、古くは1830年にアルフォンス・グロから始まり、その後も代々、ワイン造りにおいて、名声を勝ち得てきました。
しかし、そんな由緒正しいグロ家も、代が替わり、20世紀に入ると、一族の土地がメンバーのなかで分割相続されてゆきます。
ベルナルド。ミシェル。アンヌ・フランソワーズ。そしてアンヌ。
とうぜん同じ土地であっても、辻がひとつ違えばぶどうの品質は変わります。
また作り手の手法によってもさまざまな違いが生まれます。
「グロ一族のワインで、あなたは誰の造ったワインが好き?」
これはブルゴーニュを愛する人ならば、おもわず盛り上がる質問です。
ここでは、三男フランソワーズの娘、アンヌさんの話をしましょう。





アンヌは子どものころ、目がくりっと愛らしい少女で、そんな彼女の笑顔は誰もを魅了しました。
子どもの頃はそれこそリシュブールやロマネ・コンティの畑の周りを駆け回り、背の低いぶどうの樹の影に隠れてかくれんぼをして遊んでいました。
時には収穫直前のみずみずしいぶどうを黙って食べたりも。

しかし、後にみんな知ることになります、そんなアンヌはおもいがけず、とても意思が強いということに。
なにしろ彼女は名門グロ一族、ルイ・グロの三男、フランソワーズの娘です。
当然将来は父フランソワーズの跡を継ぐことが約束されていました。
子供のころはお転婆だったアンヌも十代半ばには、ドメーヌを引き継ぐことを自分の責任と考え、18歳になるとボーヌとディジョンでブドウ栽培とワイン醸造を学びはじめます。
しかもアンヌはそれだけでは飽き足らず、外の世界に興味をもち、当時としては珍しい、まだまだワイン新興国であったオーストラリアのペンフォールズまで、ワイン造りを学びに行きました。
アンヌは最新の醸造学を学び終え、ブルゴーニュへ戻ります。
ときどきは父親と栽培や醸造の考え方でぶつかりながらも、しかしアンヌは真剣にワイン造りに取り組んでゆきます。




そして27歳。ついにアンヌは父親からドメーヌを引き継ぐことになります。
しかしここでひとつの苦難が彼女を待ち構えていました。

ワイン造りとはまず最初に農業です。
100パーセント農業と言っても過言ではありません。
この当時、ブルゴーニュは基本的に男社会、女性の当主はまだまだ珍しく、ましてや若い女性など誰も認めてくれませんでした。
いくら名門グロ家の跡継ぎとはいえ、しかしこの小さな村では、女の造ったワインじゃないか、と、冷ややかな目で見られてたもの。

いまでは彼女は、この頃のことを多くは語りません。
彼女はただ言葉少なに語ります、
「わたしはつねにワイン造りに全力でとりくんできました。」
けれども事情を知っている人は誰でもわかっています、彼女のこの言葉に、けっして言葉にできない、万感の思いが詰まっていることを。

彼女は、女性の立場の向上を願って、ファム・エ・ヴァン・ド・ブルゴーニュと呼ばれる女性醸造家団体に所属します。
彼女は、ブルゴーニュにおける女性ドメーヌの地位向上を、誰よりも願っています。




彼女は自分のドメーヌでは、「健全で成熟したブドウを収穫し、無傷のありのままのブドウを重んじて、ベストを尽くす。」と語っています。
彼女はそれをドメーヌの信念としていますが、またそれと同時に、彼女は好奇心旺盛で、固定観念や先入観にとらわれず、つねに可能性を追求しています。
「伝統の尊重と改革への欲求」という哲学がそこにあります。
彼女はまわりから何を言われようとけっして自分のスタイルを曲げません。
それが良いワインを造るために有益な可能性があるならば新しいことも積極的に取り入れ、すべてを自ら実践して試し、いつもそのなかで最適な手段を選択します。
これによって彼女の造ったワインの評価はどんどん上がり、今ではブルゴーニュ屈指の女性醸造家と呼ばれるようになりました。




彼女が造るワインはまるで彼女そのもの。
天真爛漫という言葉がぴったりでとても明るく華やか。
そのワインの香りだけで笑顔がこぼれます。
いま、彼女は長女のジュリーと 、畑とセラーで長い時間を過ごしています。
2015年からはジュリーが本格的に醸造に参画し、次期当主へ向けて道を歩み始めています。

彼女はそんな娘の姿をにこやかに見守っています。

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