ブルゴーニュに住んでいるのにボルドーばかり飲んでいた男
ブルゴーニュ、マルサネ村に住んでいるのに、ボルドーばかりを飲んでいた男の話をしましょう。
フィリップ・シャルロパン、1956年生まれ。
髪は金髪でもじゃもじゃ、眉毛は太く、意思の強そうな目をしています。
信号機のようなカラフルなファッションに身を包み、丸顔で、縦にも横にも大きい彼は、なんでも食べてワインもたくさん飲んだのですが、ただ一つ苦手なものがありました。
それは「すっぱいもの」。
彼の人生のすべては、ここから始まります。
ブルゴーニュ地方の東にある山脈の斜面にはぶどう畑が連なり、合間に点在する村のあれこれを約60kmにわたって結ぶ道は、「グラン・クリュ街道」と呼ばれています。
その街道の始まりの村、Marsannay。マルサネ村。
マルサネの畑の斜面を登るとディジョンの町並みが遠望できます。
車で走れば10分ほどでディジョン駅、たいへん便利な立地ではあるものの、ただし、ワインの生産地という意味では長らく高級ワインの産地のポジションを獲得できませんでした。
どちらかと言えば不遇な扱いを受け続け、マルサネ村のワインは、ただふだんのディジョン市民の喉を潤す飲み物に過ぎませんでした。
いまでは嘘みたいな話ですが、しかしほんとうの話です。
マルサネ村は中世の頃こそ小さな集落でしたが、しかし、いまでは村の郊外までも新築の戸建てが多く見かけられます。
〈ディジョンのベッドタウン〉という言い方もできるでしょう。
村の中心には、少し暗めでほのかな光が差し込む教会があり、その向かいには、カフェレストランがあります。
石造りの階段を二段ほどあがるとテラス席があり、大きな木製のドアを開けると、中は木の床、白い壁、小さな照明がたくさんあって、明るいジャズが流れています。
料理はこれぞビストロというような、パテやテリーヌ、ステーキ・フリット、そしてブルゴーニュの地方料理、コック・オ・ヴァンなど。
週末になるとこのカフェレストランに村の人たちは集まり、夜遅くまでワイン片手におもいおもいの時間を楽しみます。
さて、マルサネ村に住んでいるのに、ボルドーばかりを飲んでいた男の話をしましょう。
若い頃からフィリップはわざわざディジョンまで出向いて、少し大きなワインショップで、コクとタンニンのしっかりしたボルドーワインを買って、満面の笑顔で飲みます。
彼は言い放ちます、
「ブルゴーニュワインなんてただ酸っぱいだけじゃないか。
風味の立体感もなにもありゃしない。
三口飲んだらすべてがわかる。退屈だよ。そこいくとボルドーはまるで違う。
ボルドーはさまざまな表情とゆたかな内面を備え、グラスの向こうで、いつまでもおれの話相手になってくれる。
ワインを愉しむならば、だんぜんボルドーに限るぜ。」
あきらかに偏見まみれの意見です。
マルサネ村の人たちが、どんな目でフィリップを見ていたか、わかろうというものです。
いったいどうして彼は、こんな偏見を持つようになったでしょう?
実はそこにはこんな理由がありました。
なぜって、マルサネ村の上等のワインはほとんど輸出しますから、(試飲会のような特別な機会を除けば)けっして土地の人の喉をくぐりません。
マルサネ村の小さなワインショップには、水より安い酸っぱいテーブルワインか、マルサネ村で造られる等級の低い薄くて酸味の強い安ワインばかり売っています。
したがって、フィリップのワイン愛が偏見まみれで歪んでしまったのも無理はありません。
ただし、彼は誰よりも自分の舌に、自分の美意識に、忠実でした。
そもそもブルゴーニュワインとボルドーワインの具体的な違いはどこにあるでしょう?
ブルゴーニュの赤はピノ・ノワールというぶどう単体で造るワインです。
このため、ぶどうは同じでもテロワールや造り手の個性などでさまざまなワインができ、繊細さ、豊かさ、ミネラル感。それらは喩えようもなくエレガントな表情を持ちます。
いろいろな要素が絡み合ってできるワインではあるものの、ただし、ブルゴーニュワインの本質は酸味のニュアンスではないでしょうか。
すごく暑い年は果実味が強くなり、酸味はぼやけます。
逆に、雨が多く寒い年はぶどうが水っぽくなり、果実味もコクもない、ただ単に酸っぱいだけのワインになってしまいます。
ブルゴーニュワインに、果実味、タンニン、余韻などはもちろんとても重要な要素ではありますが、いかに上質な、エレガントな酸味を出せるか、これこそがその年のワインを大きく左右し、ブルゴーニュの生産者はそのことをいつも考えています。
対照的に、ボルドーの赤は、芯が通った凛としたしなやかな強さがあって、堅牢さとエレガンス。
この相反する要素がうまく融合したときに素晴らしくおいしいボルドーワインができます。
単一品種のブルゴーニュと違って、ボルドーはカベルネ・ソーヴィニョン、メルローを主体として何種類かのぶどうをブレンドすることによってそのワイナリーの個性をだします。
良い年は素晴らしくおいしい、しかも悪い年でさえもそれなりにおいしい。
これを目指し、どの年もできるだけ同じ味わいに近づくように、ブレンドの比率を調整して造るのです。
ある日フィリップ・シャルロパンの父アンドレ・シャルロパンは、子供の頃からの夢だったワインを造るために、ディジョンで会社勤めしながらも少しずつおカネを貯め、そのおカネで小さなぶどう畑を買いました。
彼は本業が別にあることを忘れそうなほどワイン造りに精をだしました。
彼は栽培の方法は近所の生産者に学び、醸造については手当たり次第に本を読み、ぶどうの苗木を植え、毎日のように畑に通い、ぶどうの樹を眺める。
息子への愛情と同じくらいぶどう畑にも愛情を注ぎました。
その後、彼は道路を挟んで隣り合った土地も購入し、いつしかサッカーコート2面ほどのぶどう畑を所有するようになりました。
この頃からフィリップも、父親の手伝いをするようになります。
フィリップはピノ・ノワールにはまるで関心なかったのですが、しかし、畑で見る父親の熱心な姿に少しずつ興味をもつようになります。
もともとオタク気質な彼は父親と会話しながら手伝ううちに、いつのまにか父親よりも勉強熱心で、畑にいる時間が長くなります。
フィリップはワイン造りに少しずつ熱中するようになっても、やはりどうしても酸味は苦手なままです。
彼はなんとか自分の好みの味にならないか、そればかりを考え、独自の方法で試行錯誤をします。
しかし、なかなか上手くゆきません。
時にはぶどうの収穫時期を見誤り、雨が降ったせいでぶどうが水分を含んで水ぶくれし、色の薄い、フィリップ自身が苦手とする酸っぱいワインが出来上がったもの。
また別の年は、うどんこ病でぶどうがほとんど使えなかったり。踏んだり蹴ったりの繰り返しでした。
しかし、ある日、ある出会いが、彼の運命を変えます。
それは友人の家で飲んだアンリ・ジャイエのワイン。
アンリ・ジャイエといえば当時から「ブルゴーニュの神様」と呼ばれていました。
濃い色合いが特徴で、しかも香りは華やか。
酸味が鮮烈で果実味に溢れた味わいをしています。
若いうちでさえも、赤い果実味に富んでいて、酸味の中の繊細な甘味と複雑さで奥深い味わいを表現しているのです。
この酸味が熟成すればするほどまろやかになり、弾けるようなみずみずしい果実味との調和が他のワインとは一線を画すのです。
実は、彼のワインには秘密がありました。
彼は、低温マセラシオンという、ぶどう果皮を低温で数日間果汁に浸漬する、醸造に最適な方法を発見し、この技法を使いこなしていました。
フィリップは狼狽します、おれはブルゴーニュで育ってきたというのに、ブルゴーニュワインのことをなにも知らず、
しかも、ただ酸っぱいだけのワインだ、とバカにしてきた。
なんてこった、バカはおれの方じゃないか!
そうか、ワインの酸味は、酸味で片付けられてしまうようでは意味がない。
酸味は、そのワインの属性であるのみならず、上等のワインであるならば、酸味の質、そしてその酸味の内側に、無限にゆたかな世界が潜んでいるのだ。
それにしても、なんてすばらしいんだ!
同じピノ・ノワールがどうしてこんなにも違う仕上がりなのだろう??
田舎娘と貴婦人みたいな違いじゃないか!
この日からフィリップはアンリを師と仰ぎ、ワインを造ってはアンリに意見を乞うようになります。
ワインを造ってはアンリに意見を乞う。
そうしていくうちに彼はアンリの哲学を学び、模倣するばかりでなく、自分なりの解釈と理論を育て、それにしたがってワインを造るようになってゆきます。
何年も試行錯誤の歳月が続きます。
そんななかいつしかフィリップはアンリに認められるようになりました。
こうして、ブルゴーニュに生まれブルゴーニュで育ったにもかかわらず、ブルゴーニュの酸味が嫌いでボルドーばかり飲んでいて周りから異端者扱いされていた男は、いつのまにかアンリ・ジャイエにも認められる「天才」と噂され、彼のワインの評価は上がり続けていったのです。
フィリップ・シャルロパンのワイン造りは徹底的に自然に忠実に行われています。
自然の力を妨げないよう、過度な人為的ケアは好みません。
農薬もできるだけ少なく(リュット・レゾネ)、除草剤や化学肥料も使用していません。
アンリ・ジャイエの醸造技術「低温マセラシオン」が受け継がれており、注意深く選果されたぶどうを低温でじっくり醸すことで、ワインは香り高く、濃厚な味わいになります。
樽についても昔は新樽100%使用してましたが、現在は樽のロースト香やバニラ香はあまり好まれないと考え、新樽の使用率を少しずつ引き下げています。
サッカーコート2面ほどの小さな畑から始まった父とのワイン造りは、父の意思を受け継ぎ、少しずつ畑を買い足し、現在では20倍ほどの広さになりました。
そして彼は現在、ジュヴレ・シャンベルタン村に拠点を移し、モダンで立派な建物で、近代的なワイン醸造を行っています。