Christophe Chevaux クリストフ・シュヴォー
ヴォーヌ・ロマネ、クロ・ヴジョ、シャンボール・ミュジニィに囲まれている、約束された村フラジェ・エシェゾー。
この村に住むクリストフ・シュヴォーの話をするには、その父ベルナール・シュヴォーの話からはじめないと、そのドメーヌのことはわかりません。
ベルナール・シュヴォーはDRCの正社員として30年間勤めてきました。
彼の家はDRCの醸造場まで県道974号線をわたり、歩いて10分ほどのところに住んでいて、暖かい晴れた日には愛用の自転車で出勤していました。
彼はとてもまじめな男で、いつもワインのことばかり考えていました。
それはDRCに勤めはじめて4年ほど経ったころ、自らヴォーヌ・ロマネにドメーヌを拓き、休日や夜間にブドウを栽培し、ワイン造りをするほど。
彼にとって、ワイン造りは仕事としてではなくライフスタイルそのものだったのです。
また、彼は、「技術は教えて覚えられるようなものではない、目で見て盗んで覚えろ」という昔ながらの、頑固で職人気質な男でもありました。
1992年にベルナールはDRCを定年を迎えますが、後進育成のためにと頼まれ、その後8年間契約社員として働きました。
ちょうどそのころ、DRCに入社し、ベルナールのもとで働き始めたのが、アンリ・オーディフレッド氏。
しかし、ベルナールはなにも教えてくれなかったと言います。ただ、見て盗め、と。
そんな頑固なベルナールの仕事ぶりは神様のようで、DRCに憧れて入ってくる若者はたくさんいましたが、ほとんどはベルナールのやり方についていけず、やめていきました。
そんな中、毎日怒られながらもあきらめずに必死に食らいつき、ベルナールの仕事を熱心に見て盗みつつ、少しずつ信頼関係をつくり、指導をしてもらえるようになったおかげでオーディフレッドの才能は開花しました。
この経験が現在のオーディフレッドの成功につながっています。
ベルナールは職場結婚で、奥様もDRCの正社員でした。
彼には4人の息子と2人の娘がいますが、長男、次男、三男は現在DRCの社員としてワイン造りに励んでいます。
そして四男がクリストフ・シュヴォーなんですが、彼は24歳になると父の命令でプリューレ・ロックのもとに修業に出されます。
それから10年、しっかりとプリューレ・ロックで修業を終えて現在はドメーヌの当主として父と一緒にワインを造っています。
プリューレ・ロックで学んできた栽培と醸造、それに父から教わったDRCにおける栽培と醸造、この2つにはもちろん共通点もおおく、そのほぼすべてをドメーヌでも採用しています。
ただ、昨今の自然派ワインの流れに完全にのるわけではなく、DRCほどの最新の設備を導入できるほどの資金もない、家族経営で細々とやっているドメーヌなので、身の丈にあったリュット・レゾネを取り入れてます。
SO2もまったく入れないのは醸造中のリスクが極めて大きく、最小限使うようにしている、と彼は話します。
そんな彼の畑は特級畑も一級畑もないものの、DRCと同じように、深々と、ごっそりと耕されています。
「とにかく畑を耕して耕して、土に空気を取り込むことです。それが基本中の基本で、かつ、最も大事なことです。除草剤も殺虫剤も必要ありません。」
クリストフが目指すワイン、それは「doux et souple」(優しくしなやかなワイン)。
彼の造るワインのほとんどは、フランスのレストランや、フランス、ドイツ、スイス、オランダ、ベルギーなどの ヨーロッパのワイン愛好家の手に渡ります。
生産量が少なく即座に完売するため、ガイド誌などには一切出ていない大変稀少なワインです。
このブルゴーニュ・ブランはフラジェ・エシェゾー村に0.05haのブドウ畑で樹齢30~70年のVV。
年間600本のみの限定品です。
このワインはブルゴーニュのシャルドネでも、エシェゾーで造られるシャルドネはモンラッシェとはまったく方向性が違ってて面白い。
ハーブのような爽やかさとヨーグルトのようなまったりした香り。
みずみずしいブドウの酸味を含んだコクのあるうま味。
そこにかすかな甘みが上品で完璧で。
しかもそのバランスが素晴らしく、その姿がエレガントです。
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