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サービスマンの一日(ぼくの場合)

ぼくはいま、東京・麻布十番のビルの5階にある、14席のちいさなフレンチレストランエルブランシュで、マネージャー、サーヴィス、そしてソムリエをやっています。
そんなぼくのいつもの一日をご紹介しましょう。

麻布十番エルブランシュは3人でまわしているちいさなフレンチレストランで、ランチ営業をやらず、ディナー営業のみです。
兄の小川智寛がシェフ、女性スタッフの奥村がスー・シェフ兼パティシエ、そしてぼく。(ちょっといそがしいときにはアルバイトが一人きます。)
お客様には、スペシャリテの「魔法のフォアグラ」が人気で、おひとり1万5000円~2万5000円くらい使って、ワインと食事を愉しんでゆかれます。

午後2時、ぼくはお店に着くと、まず手洗いとうがいで身を清めます。
そしてワイシャツに着替え、ソムリエエプロンを腰に巻きます。
気持ちが「ピンッ!」とする瞬間で、ぼくのなかで仕事モードのスイッチが入る瞬間です。
まず、5つのテーブルに真っ白なクロスを貼って、一枚一枚、ていねいにアイロンをかけてゆきます。
そしてショープレート、パン皿、カトラリーなどを一つ一つセッティングしてゆきます。
エルブランシュは予約制のレストランですから、ぼくはきょういらっしゃるお客様たちのことをおもいうかべます。
ぼくは、ぼくの心の友、ジョー佐竹の言葉をおもいだします。
「レストランにはいろいろな客が来る。突然夫婦ゲンカを始める年寄り、内心は憎み合っているカップル、財布の心配ばかりで食事どころじゃない男から、どうやってタダ飯喰って逃げようと考えてる女まで。
それでも、このレストランでワイングラスを傾けている瞬間だけは、幸福な気分になれる。そうなって頂ける、するのがソムリエの仕事なのさ。」
ぼくはかれのこの台詞がすごく好きで、ぼくもすこしでもお客様に笑顔になってほしいとおもっています。

なお、ジョー佐竹はマンガ『ソムリエ』の主人公です。

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ひととおりテーブルセッティングが終わると、ぼくは仕込み中のシェフに今日の料理の確認をして、合わせるワインをなんとなく考えはじめます。
もっとも、ぼくはあらかじめかっちりとワインを決めることはしません。
なぜなら、なるほどたしかにワインと料理には相性があって、有名な相性関係もあれこれありますが、とはいえ、「牡蠣にはシャブリ」というようなあまりにスタンダードな相性も、しかし、もしもお客様がシャブリをお嫌いならばまったく意味がありません。
同様に、「フォアグラにはソーテルヌ」なんて言いますが、ただし、お客様のその日の気分は赤ワインかもしれません。
そうなんです、まず、さいしょにお客様の好みがあって、そしてご予算があって、最後に来るのが「ワインと料理との相性」です。
お客様の話をよく聞き、そのお客様に合った、ぼくが感覚的にこれが良い、というワインを考えます。
だからこそ、何回も来てくださるお客様には、その精度があがっていくというもの。
しかし、もしも、飲みたいワインと料理の相性が最悪な場合でも、それでもワインの温度を変えてみるとか、グラスを変えてみるとか、はたまたいっそのことデキャンタするか、などなど方法はいろいろあって、少しでもその料理とそのワインが寄り添うように考えます。
これもぼくは、ジョー佐竹の
「肉に赤というのもある意味正しい組み合わせなのかもしれない。でも本当に正しい組み合わせというのは料理とワインの間ではなく、ワインとお客様の間にあるんじゃないかな。」
という台詞から教わりました。
そうなんです、ぼくは好きになるとすぐに影響されちゃうんです。

午後5時、 大きな窓から差し込む夕日の光で、ピシッと糊の効いたクロスがかかっているテーブルの影が長くなってきます。
ぼくはさきほど届いたワインの箱を開けて、ていねいに検品してゆきます。
きっとぼくの目は輝いていることでしょう、
まるで小さな子供が新しく買ってもらったおもちゃを箱から取り出したときのように。
そして一本一本、ていねいにセラーに収納していきます。

エルブランシュのワインセラーは特注です。
温度管理はもちろんのこと、自然加湿によって一定の湿度を維持し、計算されたダクトシステムをそなえ、空気の流れをできるだけ少なくし、温度のムラをなくしてくれます。
竹炭による脱臭、防カビ効果などもあって、どのワインも気持ちよく、微笑みながら熟成してくれます。ちいさいけれど、ワインにとって最高の環境です。

ぼくは毎日、午後6時の開店まえ、グラスワインをテイスティングします。
これはその日のワインの状態をチェックするとても大切な仕事です。
それと同時に、毎日同じワインをテイスティングすることで、その味を舌に覚えさせ、自分の中の基準が生まれます。
そして開店まえにもうひとつ、その日の予約リストをもう一度確認して、来店時間や、お客様からのリクエスト、料理の提供の流れを頭の中でシミュレーションして、一度深呼吸し、気持ちも、お客様を迎え入れる準備をします。

お客様が来店なさったならばぼくは、したしい友人を家に招いたときのような気持ちでお席にご案内します。
ぼくは、そのお客様のご様子を観察します。
エルブランシュはおひとりさま1万5000円~2万5000円くらいの価格帯のフレンチレストランですから、若いお客様のなかには緊張して来店なさる場合もあります。
そういうときぼくはなるべくくつろいでもらえるよう、したしく話しかけるときもありますし、逆に、(多くは二人連れですから)おふたりが自然にくつろがれるのをそっと見守ることもあります。

ソムリエの多くはサービスマンと兼任です。
そしてサービススタイルはレストランによって、価格帯によって、そしてそのサービスマンによって、さまざまです。
きょくたんな話、体育会系の元気な挨拶でお客様を迎える居酒屋みたいな接客をする、そんなフレンチレストランはおそらく存在しないでしょう。
また、イタリアンとフレンチを比較しても、どちらかと言えば、イタリアンのサービスがフレンドリーで、フレンチのそれはいくらか上品系が多い傾向にあるかもしれません。
もっとも、それも大雑把な話で、どのジャンルにあってもサービススタイルは千差万別です。
最近の傾向として、レストランをまるで劇場のように、料理とサービスが主役でお客様を観客に見立てて、そのドラマにお客様を巻き込むような、そんな劇場型レストランも増えていて人気もあります。
もっとも、ぼくは、ロブション時代に先輩から習った、
「サービスマンは黒子であれ」という言葉が好きです。
あくまでも主役はお客様一人一人で、気持ちよく食事とワインを愉しみ、二人の時間を大切にしてほしいとおもってサービスしてます。
なので、できればお食事の間だけでもスマホの存在はわすれてほしいと願っています。

また、ぼくの職場はフレンチレストランですから、おのずとサービスマンはいくらかなりともお客様の恋愛のサポート役である場合もあって。

たとえばこんなお客様がおりました。

若い彼氏は恋人にフォアグラを食べたいと言われて、かれは恋人の笑顔を見たいがために一生懸命お店を探して、うちのレストランに予約を入れました。
ところが来店してみるとかれはフレンチなんて慣れていなくって、マナーだってわからない。
フォークやナイフはなんでこんなに並んでいるの!??
どれをどう使ったらいいの!??
彼女の前で恥をかかせないでくれよ!!!
かれの心のなかの焦りが伝わってきて、ぼくまでドキドキします。
かれはとても緊張して、緊張しすぎて、まるで怒っているみたいに見えます。
そんなときは、料理の説明と一緒に、そっと、
「一番外側のフォークとナイフをお使いください。」ですとか、
「このイチジクはフォアグラと一緒に召し上がるとすばらしくおいしいですよ。」
なんて、使い方や食べ方で迷わないように一言つけたりします。
そうすると、そんなかれも彼女もだんだんと打ち解けてきて、食事が終わる頃にはかれはくつろいで彼女と談笑して、かれは帰り際に笑顔で「美味しかったです」とおっしゃったもの。
お見送りが終わったあと、ぼくも、ほっと胸を撫でおろしたものです。

レストランでは、ご来店いただいたお客様の数だけ物語があり、いろいろなことが毎日のようにおこります。
最後のお客様をお見送りし、なにごともなく無事に一日が終わると、心地よい疲れとともに、ぼくはサービスマンとして無上のよろこびを感じます。

そしてまた次の日もおなじように、しかしまったく新しい一日がはじまるのです。

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