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優しいは難しい

今週は少々考えさせられる出来事がいくつかあったのですが、それらがいずれも「優しさ」というキーワードで繋がる気がするなぁ、と思いました。

1円玉募金

 多くの方がご存じの「1円玉募金」。
 私の住む町の町内会では定期的(1年に1回かな?)に募っており、今回も町内に住むみなさんの善意のおかげで、多くの募金が集まったようです。

 この1円玉募金、元々は「財布やタンスの中などに眠っている1円玉を福祉などに役立てましょう」というところから始まったと教わった記憶があります。
 確かに買い物の際にお釣りとして受け取る小銭、特に1円玉は財布に溜まりがちでしたし、何よりも「1円」という金額が募金という行動へのハードルを下げていたように思います。

 ただ、昨今では銀行・郵便局などが相次いで硬貨の預け入れに手数料を課すようになりました。
 また、バーコード・電子マネーなどのキャッシュレス決済が広く浸透したこともあり、最近は現金を使用する機会も圧倒的に減少したのではないでしょうか。 

 「困っている人たちのため、少しでも力になりたい」という目的は素晴らしいと思いますし、私自身それを否定するつもりは全くありません。
 ただ、世の中の現状に鑑みると、「多くの労力を費やして1円玉を集める」という手段に対しては少々疑問を感じてしまうところです。
 当初の目的はそのままに、手段は時代に合わせて適宜変えていけると良いですね。

知人

 私の知人で、世話好きな方がいらっしゃいます。私も若い頃から随分と助けていただいたものです。

 この方、本当に色々と世話を焼いてくれて、その度に非常に感謝しているのですが、時として少々深いところまで踏み込んできてしまうことがあり、それゆえ世話を焼いた相手との間で、小さなトラブルが生じてしてしまうことがままありました。

 もちろん本人は善意でやってくれておりますので、それを責めるような真似はするつもりもありません。
 ただ、トラブルになってしまうまでの経緯やその原因を考えてみると、その方の考え方に一つ思うところがありました。

 その方、「これが正しい」と思うと迷わず突っ走ってしまう人なんですよね。
 また、相手がその「正しい」に反していると真っ向から否定してしまうんです。どストレートに。
 相手にもさまざまなバックボーンがあること、踏み込むべきではない境界があるというところまでは気が回らないようなのです。

 ですが、昔から何事にも積極的で、かつ多種多様な友人に囲まれている方でしたので、多くの方から魅力的な人物と見られていたことは間違いありません。

 人とは常に一定の距離を置こうとしてしまう私からすれば羨ましい限りです。
 (実際、お客様から「数十年来の付き合いなのにいまだに他人行儀だねぇ (笑)」と言われてしまうくらいです) 

いやはや、優しさを形にするのは難しいものです。

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