モレスキンノートが人々に提供する価値


今日のToDo、感謝リスト、3行日記、将来の目標、、、

私が日課として書き付けるノートは、気付けばいつもモレスキン


ただし、欠点がある

高い

一冊2000円

たった手のひらサイズに2000円

そしてひょっとすると紙の性質は日本製の方が

よっぽど良いのかもしれないのである

何故私はこのノートを知らず知らずのうちに手に取っているのだろう?


そもそもノートとは一体なにものなのか?


自分の心と対話する時

ひとつひとつ書きつける文字は、殴り書きではなく

どこか心のこもった文字になる


まるで自分から出てくる「自己」というカケラを

大切に、大切に、まるで一節のメロディのように紡いでいくような感覚がある


そして書きつけた後は

そっと、優しくノートを閉じて

ハードカバーの感触と温もりを、掌で感じながら

かばんの中へしまいこむ


「書く」という行為は、

自分の心の中を、文字という形で表し、したためる行為であり、

自分という存在の「カケラ」として、分身させる行為でもある


そんな自分のカケラを大切に保管してくれるような気がして

モレスキンを知らず知らずのうちに手に取っているのである


モレスキンが売っているのは、

「心の分身」

なのかもしれない







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