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米津玄師とハチと境界線

((この投稿は、これをあげようと思ったその日に、まさかの音源サブスク解禁があり、嬉しすぎて号泣した過激派がお送りする、米津玄師とハチについてのやたら長いコラムです。))

ファンというよりは、ただの過激派ぶりを署中発揮しているものの、そういやちゃんとまとめて書いたことがない米津玄師について長々と(本当に長い)書いていこうと思う。私のTLではそう話題になることが無いが、今や彼は天下のMV再生回数億越え量産アーティストになっておられる(総再生回数は23億を超えているらしい、化け物か) ので、おそらくメジャーすぎて聞かないという方も多いのではないかと勝手に予想し()、聞かないのは勿体ない、ついでにハチも聞いてくれの意も込めて、いくつか章立てして書いていく。



・米津玄師についての概略

2010年代後半の邦楽メジャーシーンは彼が影でずっと操っていたといっても過言ではない。シングルを出せばヒットし、アルバムを出せばどこでも話題になり、曲を提供したアーティストはバカみたいに売れた。2年前にリリースされた「lemon」は未だにiTunesのシングルチャートで30位にいる。他にも「パプリカ」、「馬と鹿」、「まちがいさがし」、彼が手がけた曲は、リリースから月日が経っていようが、常にチャートの上位にいるのだ。
彼がボカロP・ハチとして投稿していた音源を含め、約6年前から米津さんの音楽を聞いていた私は、売れないわけがないとは思っていたが、ここまで爆売れするとは予想していなかったので、正直驚いている。売れるべくして売れた才能ではあるが、数多くの記録と記憶を作り続けるレベルになるとは……。

彼が好んで聞く音楽には、Asian kung-fu generation、Bump of chicken、Radwimps、スピッツ、平沢進、The Novembers、People in the boxの他、The cure、The weekend、Kanye west、vampire weekend等の海外音楽もある。
これらの他、bauhausや、Animal collectiveのジャケ写をインスタグラムに投稿していたことから、愛聴していると考えられる。
これらの中でも、特に影響を受けたのはバンプやラッド、そして平沢進だとインタビュー等で語るが、たしかにそれらのアーティストの世界観を踏襲しつつも、2010年代のJPOPの中核を成す、時代に合った形に昇華できているのが、米津玄師の音楽の魅力であろう。

・米津玄師の音楽

私が米津さんの音楽を聞くようになったのは、2014年リリースの2ndアルバム「YANKEE」に収録されている「アイネクライネ」がきっかけだった。(ハチを知っているなら、どうして1stがきっかけじゃないのかと言われると、単純に米津さんが1stを出した2012年には、ハチという名前を認識していなかったから、知る由がなかった) アイネクライネは、14年の東京メトロのCMソングに決定したことをきっかけに、さまざまなところで話題になっていた。私は、ケーブルテレビの音楽番組でパワープッシュされていたのを見て、その音楽とMVに一目惚れして、米津さんについて調べ、音源を辿るなどしているうちに、ボカロPハチと同一人物であることを知るに至った。ボカロPハチについては、後半に別項で書く。

米津さんが作る音楽は、彼自身が歌うものと、他人に提供するものとで、大きく様相を変える。
前者が難しい曲であり、彼しか歌えないものになっているのに対し、後者は誰もが歌いやすいような、とても簡単な曲になっている。
例えば大ヒットを巻き起こした「Lemon」でさえも、歌おうとすると難しい、一般人にはなかなか歌いにくい構造になっている。かたや後者「パプリカ」や「まちがいさがし」は、歌いやすく、歌詞も比較的平易でわかりやすい。他人に提供する曲にも自分の色を残すアーティストは多いが、米津さんは、わりと残さない部類であると思う。間違っても、菅田将暉や嵐に、「flamingo」のような初見でファッ?!となる曲を提供することはない。


そして、彼のアルバムについてだが、音楽の雰囲気から、1st2nd、3rd、4thで色を変える。(これは私独自の区分け)


◯1st「diorama」2nd「YANKEE」期

厳密にいえば、ここ2つは、打ち込みと生バンド音源とで曲の作られ方が違う上、インディーズ/メジャーの区分があるため、分けるべきかと思ったが、アルバムの雰囲気は近いので、同じ時期に区分けする。

1st「diorama」は、2012年リリース。このアルバムについては、正直、雰囲気としては、ボカロ曲を米津玄師が歌った、と言ってもいいほど、後述するボカロPとして作っていた曲と同じような感じである。

では、なぜわざわざ米津玄師としてアルバムを作り始めたのか。

彼がよく用いる有名な言葉に、
"死守せよ、だが軽やかに手放せ"
というのがある。英国の演出家・ピーターブルックの言葉だ。ボカロPという界隈の中で、確固たる地位を築き上げ、死守していた彼が、その場所を手放して、己の名前と声をさらけ出して創り、ボーカロイドという簑をとって、世界と交流しようとしたが故に作ったのではないかと、私は思う。

今作は、あるひとつの「街」をテーマに造られたアルバムであり、構想には3年を要したそうだ。
アルバムジャケットは、巨大なナマズに街が乗っているイラスト、彼自身が描いたイラストだ。
リリースの1年前に東日本大震災が起こった。
米津さん自身は、このアルバムのリリースに際して、こういったコメントを残している。

"去年の3月に地震があったじゃないですか? それが、色濃く出てますよね。最初は震災を意識して作ってなかったんですよ。普通の街を作ろうと思ってました。でも、去年街が壊れていく映像を目の当たりにして、もうそれ以前には戻れないなと思いました。ナマズは、江戸時代のナマズ絵を踏襲してます"
(引用: 米津玄師 『diorama』 - TOWER RECORDS ONLINE)


もう戻れない世界、それは後述のハチのアルバムに収録されている「遊園市街」でも描かれている。この延長にdioramaが存在しているのか、それともdioramaとは別の平行世界で生まれた曲なのかはわからないが、米津玄師とハチとの橋渡し役を担っているのかもしれない。

このアルバムについては、全曲おすすめしたいレベルだが、厳選してレビューしたいと思う。

まずトラック2の「ゴーゴー幽霊船」は、トラック7の「vivi」と合わせて、このアルバムの方向性を示している重要トラックであり、これを聞くだけで、聞く側としては、ハチの色が残っているという不思議な安堵感を覚える。マトリョシカや、パンダヒーローのようなドンチャンやかましいリズムで展開し、中毒性のあるイントロは、そのままだ。彼はこの曲で、UKっぽさと歌のハマり方を重視したと語っている。ギターのリズムなどからして、おそらくはbloc partyやらの辺りを指しているのではないかとは思う。

そして、私がこのアルバムで最も好きなトラック9「恋と病熱」。米津さんの詞の世界を思う存分に楽しめるのがこの曲だ。ピンとくる方は、これが宮沢賢治の詩集『春と修羅』に収録されている詩と同タイトルであることに気づくだろう。
実際、彼は、ライブのMC中に宮沢賢治の詩を暗唱することがあるくらいには、作品を好んでいるらしく、以前Twitterにて、ファンから宮沢賢治との関係を質問された時には、どうしても使いたかったために、タイトルを引用したと答えている。


けふはぼくのたましひは疾み
烏さへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で
透明薔薇(ばら)の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない


上記の宮沢賢治の恋と病熱は、どこか恋を諦めているような内容だが、米津さんの恋と病熱は、恋い焦がれてしまったがために生まれた後悔が歌われている。どちらにしても、恋に苦しまされている様子が描写されているものだ。

この曲の詞で特徴的なのは、矛盾。
"空っぽになるまで詰め込んで"や、"盲いた目に見えた落ちてく陽" 起こり得ない事象をそのまま歌詞にしている。
宮沢賢治関連といえば、トラック13の「心像放映」もまた、宮沢賢治の「心象スケッチ」に近いタイトルであることから、ここからアイデアを得ているのでは、と考えられるし、この曲の詞も秀逸だ。ぜひ、歌詞を検索していただきたい。

最新リリースの「STRAY SHEEP」の1曲目のタイトルにも「カムパネルラ」とあるように、米津さんには、常に宮沢賢治の影響が見られる。ずっと変わらない軸があるのを見ると、長年聞いているファンとしては嬉しくなってしまうものだ。

2nd「YANKEE」は2014年リリース。米津さんの音楽との出会いのアルバムだ。2013年にシングル「サンタマリア」でメジャーデビューを果たしたので、このアルバムはメジャーデビュー後初のフルアルバムとなる。

「diorama」とアルバム全体の雰囲気は大きく変わらないものの、「KARMA CITY」を除いて、打ち込みではなく、生バンド音源になった。
個人的にはこのアルバムが、米津さんのアルバムの中では、音楽の幅が1番広いのではないかと思う。まだポップスに振り切っておらず、ドンチャン騒がしい変テコな曲もあれば、聞きやすいポップスもあり、可能性しかないアルバムである。

彼はこのアルバムの重要キーワードとして、"呪い" を挙げている。呪いと、そして光のあたる場所へ引っ張りあげられる救いのような雰囲気とが混在しているのがこの2ndの特徴であろう。
1stと比較すると、幾分明るい曲調の曲が増えたが、これは彼自身の曲作りに対する意識の変化によるものだと思われる。本アルバムのトラック6「サンタマリア」について、こう語っている。

"自分を引っ張ってくれるような曲にしようと思って作ったんです。「何事においても至らない人間である自分が、明るい、光のある方向に向かっていくために、音楽に引っ張っていってもらおう」と。その曲の歌詞を歌うことで自分もそういう人間になっていこうと思って作った曲なんです。そこがきっかけですね。子供にもわかるような言葉でものを作りたいと思うようになってきたんです。"
(引用: https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi04 )

前作diorama作成後、モチベーションの低下を感じたらしいが、きっと、この意識の変化が無ければ、極端な話、「Lemon」も「パプリカ」も生まれなかっただろう。コンビニでも買えるマンガ本のように、音楽をいつでもよく聴くわけではない大衆の耳にも入るような"ポップス"を作ろう、となっていなかったら、米津玄師の才能は、1stで終わっていたわけである。どことなく、「サンタマリア」と「Lemon」には似たような匂いがある気がしている。

彼がこのアルバムで重要なトラックと位置付けているのが、一番初めの「リビングデッド・ユース」。小中学生の頃を思い出しながら、その時の自分自身を肯定し、許し、過去の自分から許されたかったために作った曲であるらしい。小中学生の子どもでもわかるようなリズムと言葉、彼の子どもの頃の記憶が基準となって、米津玄師が考えるポップスは始まる。

このアルバムの代表曲と言ってもいいようなトラック4「アイネクライネ」。この曲は、東京メトロのCMソングに起用され、各所で話題となり、米津さんの知名度を上げた重要なトラックである。彼のポップスの定義に添えば、最もポップスなのは、このトラックであり、3rdに近い雰囲気が感じられる。彼の自作のMVもまた、温かく、素敵なものに仕上がっているので、ぜひMVを見てほしい。色遣いからセンスしか感じない。

そして、このアルバムの最後には、ハチとして作曲した「ドーナツホール」を、米津玄師としてカバーしたものが収録されている。「ハチ」と「米津玄師」の境目がどんどん薄くなっている、とアルバムリリース当時に彼は語っているが、おそらくdioramaの頃の米津玄師であれば、そういったことはしなかった、いや、したくなかったのではと思う。これも心境の変化故なのか。

兎にも角にも、米津玄師として化ける前の貴重な1枚なので、米津玄師を何から聞いたらいいのかわからない人には、まずこの2枚目をオススメする。


◯3rd「Bremen」期

3rd「Bremen」は、2015年リリース。当時浪人生として、半うつ状態になりながら、受験勉強をしていた私の心を融かした、あたたかいアルバムである() 2ndの「YANKEE」とは繋がっているアルバムではありつつも、それにあったヘンテコ要素が、取っ払われ、米津さんの音楽は、完全に新しいフェーズに入った。

2ndと比較すると、かなりポップスに寄ってきた感じがあるが、このアルバムを一言で表すと、闇の中にある美しさ。各タイトルや、歌詞中には、暗いところで光るものを想起させるものが多い。後半になるにつれてつれて、暗さが増していくが、美しさも増していく、米津さんがリリースした中で1番美しいアルバムはどれかと聞かれたら、迷わず3rdを選ぶし、柔らかいポップスが好きな人には3rdをすすめる。

タイトルは、今作のライブツアータイトルが"音楽隊"だったことからもわかるように、みんなご存知の童話「ブレーメンの音楽隊」からとられている。

このアルバムがリリースされた際のインタビューで、米津さんは、人間が生きていく上で、音楽は必要の無いものと語っているが、作り手側がこれをわかることって、意外と難しいことなのではないかと思っていて、ある意味、このことを知っているからこそ、このアルバムで、米津さんなりのポップスは、さらに精度をあげることができたのだと思う。

アルバムは、トラック1の「アンビリーバーズ」、夜のハイウェイの場面からスタートし、はじめの方の曲は、何か幸せを求めてもがいているような雰囲気が漂っている。「アンビリーバーズ」の "今は信じない 残酷な結末なんて 僕らアンビリーバーズ 何度でも這い上がっていく" であったり、トラック3の「再上映」の"そんな歌でも僕は歌うさ 何度でも繰り返し その答えを" であったり、トラック4の「Flowerwall」の "目の前に色とりどりの花でできた壁が今立ちふさがる" であったりと、出口が見えない迷いの中でも、わずかな光を探しているような感じ。こういった詞の風味は、BUMP OF CHICKENに近いような世界を感じる。flowerwallは、個人的には究極のラブソングだと思っていて、二人で道に迷えることを嬉しいと、君がいれば絶望さえも色づくと歌う、そして何より君に"出会った"ではなく、"出会えた"という部分はもう言葉にできない() このアルバム的には出会ったのほうがしっくり来るだろうに、出会えたとね。

トラック10「雨の街路に夜光蟲」もflowerwallとはまた違ったラブソング。この曲のサビの1度スネアの四つ打ちが、曲のテンポの割に、不思議な焦燥感を産んでいる。リミットがあるのを知っていながら、嘘をついて強がってでも、二人でどこまでも行けるようにと願う。青い曲……。焦燥感の伴う青い曲に弱いんだよな私は😇

トラック13の「ホープランド」は、このアルバムの根幹を成すといってもいい。タイトルと、その曲調は明るく壮大で、希望に満ちているものの、詞は、すこぶる陰鬱だ。暗い世界を、底抜けに明るくポップに歌うことは、ハチの曲でも見られるので、米津さんの音楽の性質のひとつとも言える。

この曲は、
"誰かが歪であることを 誰もが許せない場所で 君は今どこにも行けないで 息を殺していたんでしょう" と、どこにも行けない、八方塞がりの苦しさに耐える描写から始まる。ホープランドが、この八方塞がりの世界を指すのか、それともその外側の世界を指すのかは、詞を見ると、どちらともとれるので、それは聴き手次第。個人的にはホープランドに語りかけて、君を救おうとしている曲なんじゃないかと思っているので、前者説を推したい()

この壮大なフィナーレでアルバムが終わるかと思いきや、実はまだ終わらない。

"「ホープランド」はすごく広大で、荘厳な響きを持った曲で。すごくいい感じで終わるんですけど、でもそれでアルバムが終わっちゃいけないなと思っていて。「ホープランド」の中で「いつでもここにおいでよね」って言ってるけど、聴く人は「じゃあどこに行けばいいの?」ってなるわけですよ。"
(引用: https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi07/page/3 )


と、着地点で、米津さんと茶をしばいている気分になるのが最終トラックの「Blue jasmin」だ。これまでの曲とは違い、暗い闇の中を彷徨い歩いていたら、いつのまにか光に包まれていたような、もがいていたのがまるで嘘だったように、このアルバムは、なんてことない、お茶を飲む瞬間ですら愛おしく、二人の未来が幸せで溢れていることを当然と信じていることを歌って終わる。

本作中では、"二人"がどこかに行こうとしたり、どこにも行けなかったりするけれど、最後はどこまでも二人で生きてこうとする。後味がすっきりとしたジャスミン茶と同様、このアルバムは心を浄化してくれる。米津さんのアルバムの中では存在感がやや薄めだが、ぜひとも聞いてほしい。2ndからの飛躍を感じていただきたい。


◯4th 「BOOTLEG」期

おそらくここが1番記述が長い。

ついに、米津玄師が完全に化けたアルバムがこの「BOOTLEG」。2017年リリースだが、3rdからわずか2年の間に彼の知名度と、動画再生数は飛ぶ鳥を落とす勢いで高くなっていった。この2年間になにがあったかというと、①中田ヤスタカ氏とのコラボ、②「打上花火」リリース、③菅田将暉氏とのコラボ、➃「LOSER」のヒット……等々あげたらキリがないくらい、米津さんが日本のメジャー音楽シーンの表だけでなく、プロデュースや楽曲提供など裏でも暗躍し始める。正直私も情報を追いきれなくなるくらいの幅の利かせ具合になり始めるのがこの頃。MVの再生回数の1億を超える曲が増えてくるのもこの頃。

中田ヤスタカ氏とのコラボはもう、神と神の頂上コラボだったので、どちらが作詞作曲しても、どう転んでも名曲にしかならないなとは思っていたが、いざ作詞米津玄師、作曲中田ヤスタカの文字の羅列を見て、曲を聞いてみたら、人智を超えた曲(私の語彙の限界)で、今でもよく聞いてしまう。中田ヤスタカは音楽に中毒性を持たせる達人だと思っているので、この「何者」も、例にもれず、さすがとしか言いようがない。米津さんも含め、中田ヤスタカ氏も日本が世界に誇れる名コンポーザーだと思う。

話を戻して、このアルバムのリリースは2017年11月だが、2020年7月現在、未だiTunesのアルバムチャートの20位前後に常にいる。リリースから、3年近く経つのにずっとその位置に居続けているわけで、おそらくは、後述する「lemon」や「パプリカ」やらの影響は大きいと思うが、ロングセラーにも程がある。(ちなみに、2ndのYANKEEが30位前半、1stのdioramaが80位前半、3rdのBremenは120位前半、2ndに人気があるのは納得できる)

先ほど米津玄師が、"完全に化けた"と述べたが、ニュアンス的には、"世間一般に新世代の天才の存在が完全にバレた"という感じ。このアルバムこそ、洋楽好きにおすすめしたい2010年代後半の邦楽ベストアルバムといっても過言ではない。ただ海外音楽を真似ただけではなく、日本人が聞きやすいJPOPに、その要素がしっかり落とし込まれた形の曲が多く、思い入れがまたクソデカなので、なるべく落ち着いてレビューしたいと思う。

そもそもアルバムタイトルの「BOOTLEG」は"海賊盤" を意味する言葉であるが、米津さんとしては、"オマージュ"に近い意味で用いているように思われる。本物とは偽物とは何か、オリジナリティーとは何か、アルバム全体を通して、米津さんが聞き手に投げかけようとしている全てのことは、この"BOOTLEG"という単語に詰まっている。

3rdから、BOOTLEGがリリースされるまでの2年間で、米津さんは、彼一人ではなく様々な人と共同で曲を作ったり、タイアップソングを多く手掛けた。この経験から得られたことについて、インタビューで以下のように語っている。

"そもそも自分の曲の作り方、メロディの構築の仕方も新しくなった。自分が歌って気持ちいいメロディがほかの人にも100%当てはまるわけでもないので、そういった経験を経て新しいメロディや言葉を考えたということが大きいです。今回のアルバムは関係性のアルバムだと思うんです。いろんな関係性、いろんなオマージュが至る所に散りばめられている。"
(引用: https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi11 )


では、その関係性やオマージュ、影響をいくつかの楽曲ごとにみていく。

トラック1の「飛燕」は、米津さんが自分自身のことを描いた楽曲であるようだ。飛燕というと、私はWW2時の日本陸軍の戦闘機の愛称を思い出すが、曲のイメージ元はジブリの名作「風の谷のナウシカ」とのことで、ナウシカの、慈愛性と狂気性を併せ持つ人間性への憧れが曲になったらしい。全然関係無いが、この曲と、平沢進の「mother」のAIによるマッシュアップがめちゃくちゃ良いので、これもぜひ聞いてほしい()

https://youtu.be/GOVM9fV4VA4

トラック2の「LOSER」、これは米津さんの言葉遊びの真骨頂を楽しめる。歌詞を見るだけでも楽しい。個人的には、2番のAメロに出てくる"イアンとカート"が、あのイアン・カーティスとあのカート・コバーンを指し、いずれも20代で早世したミュージシャンなあたりが刺さる。一時期私は、仮に米津さんが27歳で亡くなるようなことがあったらどうしようと考えたことがある。不吉な考えだが、27 clubの存在を知ってしまうと、彼が卓越したアーティストであるが故にそんなことを考えてもしまった。でも無事に米津さんは27歳の峠を越えているので、少し安心している笑。このシングルがリリースされた16年当時は米津さんは20代半ば、もしかしたら多少はそういったことも意識してのイアンとカートだったのかもしれない。

トラック6「かいじゅうのマーチ」は、イントロからすぐに分かるが、80年代ニューウェーブ、特にThe Cureからの影響が強く出ている。

"The Cureとか1980年代のネオアコって、音だけ聴くとすごくキラキラしてるじゃないですか。でも歌詞を見ていると、根底に「どうせ俺なんて」みたいなニュアンスがある。The Smithsを聴いても、すごくメロディアスでメロウできらびやかな音像なんだけれども、実際に歌っていることは、すごくひねくれている。そんな音楽の影響を受けています。" (引用:同上)

これですよ。ルーツにしっかりいるわけですよ、そのラインが。それっぽい響きのキラキラとしたギターのメロディが良いんですよね、この曲。心地良くて。

これと同じように、"本物なんて何もない"と歌うトラック7の「Moonlight」は、フランクオーシャン以降のR&B、トラック8の「春雷」は、楽器の使い方にPhoenixのようなフレンチインディーポップ、トラック9「fogbound」は、トラップミュージックからの影響を受けていると語っている。
そう聞くと、たしかにどれもそう納得できるような曲調であるが、このどれもが1人の人間の脳内から生み出されたものたちだと思うと、恐ろしい。

また、このアルバムには、トラック3「ピースサイン」とトラック5「orion」とトラック13「打上花火」のアニメタイアップや、マジカルミライ2017テーマソングのトラック4「砂の惑星」(ハチとして作成し、米津玄師としてセルフカバー)、2016年に開催された美術展覧会ルーブルNo.9テーマソング、トラック10「ナンバーナイン」と、タイアップソングがとにかく多い。

トラック4「砂の惑星」については、2ndのYANKEE収録「ドーナツホール」以来のハチと米津玄師の邂逅である。この曲は、初音ミクボーカルのものが、ニコニコ動画にも投稿がされたが、とんでもない速度で100万再生を突破し、久々にニコニコ動画が活気付いていたことを思い出す。


かつて、ハチとして、ニコニコ動画=砂場で自由に遊んでいた米津さんが、17年当時のニコニコ動画とボーカロイド界隈を俯瞰してできた曲だろうことが歌詞から伺える。ハチ自身の曲も含め、往年のボカロの名曲たちのフレーズも盛り込まれ、2010,11年くらいまでの、"あの頃"のボカロ好きとしては、思わずグッとくるわけだが、そこからわずか6年。ボカロひいてはニコニコ動画を取り巻く環境は、大きく変わり、あの頃の隆盛は昔のことと語られるようになってしまったように思う。ハチは、この曲の途中で、"あとは誰かが勝手にどうぞ" とぶっきらぼうに初音ミクに歌わせながらも、最後には"風が吹き曝しなお進む砂の惑星さ" と希望を持たせる。初音ミクver.では、バックコーラスに米津さんの声、本アルバム収録のセルフカバーver.には、初音ミクのバックコーラスが入っているところにも注目して聞いて頂きたい。

この砂の惑星と同じように砂漠が登場するのが、「ナンバーナイン」だ。個人的に、本アルバムで一番好きな曲。メロディラインの耳馴染みがとても良い。
米津さんは、砂漠が好きであるらしい。たしかにこの曲と砂の惑星と、飛燕のイメージ元の「風の谷のナウシカ」にも砂漠が登場する。米津さんが好きなフランスの漫画家・メビウスは、砂漠をモチーフとした絵を描くことが多かったとのこと。
このナンバーナインでは、着想の時点で以下のようなイメージが浮かんだと語っている。

"情景として、砂漠になった東京っていうのがまず最初に浮かんできたんです。そういう風景って、客観的に見たら、希望も何もないみたいな状態だと思うんですよね。でも、めちゃくちゃになっちゃった状況でも、そこにへばりついて生きている人間って、わりと明るいんじゃないかと思うんです。いくらめちゃくちゃな状態でも、住んでる人にとってそれが当たり前だったら疑問を持たないじゃないですか。"
(引用: https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi08 )

客観と主観の差で、砂漠の見方は変わってくる。私は砂漠に対して永遠と同じ景色が続き、終わりのない暑さの地獄というイメージがあるが、仮に自分が元から砂漠に住んでいたら、それが普通なわけで、何も悲観することは無いのだと思う。普通に生きて普通に死んでいく。

米津さんは砂漠に対して、ネガティブなイメージを持ちつつも、同時に救いのようなポジティブなイメージも持つらしい。おそらくこういったことから、ナンバーナインは、あくまでポップな曲調になっているのだろうと思う。

最終トラックの「灰色と青」は、俳優そして歌手としても活動する菅田将暉氏をゲストボーカルに迎えた楽曲。
どうやら米津さんにとって、菅田将暉は、米津さんの人生中に度々関わってくるため、無視できない存在であるらしく、声をかけたらしい。

曲全体的に施されたハーモニーエフェクトと、菅田将暉の声と米津さんの声の絶妙な温度差。無駄が一切削ぎ落とされたAメロ。MVでは決して一緒に映ることのない2人。どことなくこの曲は、曲調がハチの「Persona Alice」を思い出させるので、ラストサビ前は、2人分の息継ぎが聞こえてきそうな雰囲気もある。幼い頃のなんて事のないくだらない思い出と、街中の喧騒に追われる現在。誰しも、ふと昔のことを思い出して、あの時一緒に遊んでいた子だったり、公園だったりは今どうなってるのかなと思うことがあるだろう。私の場合は、昔遊んでいた地元の公園は、土地の再開発でみんな無くなってしまっていて、少し寂しかったりする。

私が気になるのは、この曲の主人公は、はたして"すれ違うように君に会えた"のかどうか。おそらく会話をするわけでも、顔を合わせるわけでもなく、すれ違って、なんとなく確信を持って君を振り返るようなレベルで、「秒速5センチメートル」のラストシーンのようなイメージ。

歌詞の考察は、好きな人はめちゃくちゃ考察するし、雰囲気で理解して終わる人はそれで終わる。それも人それぞれでおもしろいし、聞き手によって考察は全然違うものになるのもおもしろい。
米津さんの曲は、どれも考察しがいのある歌詞になっているので、考察が好きな方はぜひとも、歌詞を見ながら曲を聞いてみることをおすすめする。


ここまでは、米津玄師名義の旧譜アルバム4枚について、だらだらと書いてきたが、ここからは、米津さんのボカロP時代の作品についてまただらだらと書いていこうと思う。


・ボカロP・ハチの音楽

ハチの音楽との出会いは、正直、確かな記憶がないので、省く。おそらく高校生のあたりに、多少聞いていたかもしれないが、ハチというよりは、ボカロを色々聞いていたうちのひとつくらいの認識だったためか、当時聞き込んだ覚えはあまりない。

ハチの音楽の特性としては、
・音の情報量の多い曲調
・ボカロと思わせないような神調教
(ボーカロイドの機械音のような棒読み声を、人間が歌っているように調整することを調教という)
・基本的に曲の雰囲気は暗い
・草野マサムネに通ずるような常人には理解しづらい世界観を持つ詞

の4点が挙げられる。

また、彼が作ったボーカロイド楽曲のMVは、ほとんどが彼自身が作成している。このMVの世界観もまた、常人では作ることができないような不気味な格好良さがあり、曲と合わせて、妙な中毒を引き起こす。米津さんが、ハチという名義で主に活動していた時期は、高校生の時だったというから、何ともセンスのズバ抜けた高校生である。前述の「パンダヒーロー」や「マトリョシカ」に代表される狂った世界観は、ある意味、18,19歳のあたりという、精神が子どもから大人へと移り変わる時期、子どもでも大人でもない、ぐちゃぐちゃな時期だったからこそ描けたものなのかもしれない。

以下に、アルバム2作のオタクによるレビューと、おすすめ曲を記載していく。

①花束と水葬 (2010年自主制作盤リリース)

ハチ18歳時にリリースされた1stアルバム。


次作official orangeと比べると、ドリーミーでお伽話のような世界が広がるトラックから構成されているが、とにかく暗いお伽話が、トラック1の「Persona Alice」から始まる。不思議の国のアリスを題材とした曲だが、Alice(アリス)を逆読みしたecila(エシラ)の登場により、かなり考察しがいのある曲になっている。前述もしたが、ラストサビ前の仕掛けには注目して聞いていただきたい。
またトラック2の「world's end umbrella」は、アルバムリリース前にニコニコ動画にあげていた「The world end umbrella」のリテイク版であり、MVも新調されている。が、個人的には元のバージョンの方が好きで、MVも元のが好き。音がザラザラしていて聴き心地が良いし、綺麗で暗いMVだしで素晴らしい。ハチによると、この曲の軸は「疾走感」と「均衡」。なるほど、わかりそうでわからない。

そして、特筆したいのは、トラック4「バウムクーヘン」や、トラック5「clock lock works」のThe cure感。米津さんのルーツにcureがいることは確かだが、ハチ名義の頃に聞いていたかまではわからない。しかし、これを聞けば、音の使い方、曲調から「six diffrent ways」のような雰囲気が感じられ、この頃から影響を受けていたのではないかと推測される。また、bauhaus等の他のゴシックロックバンドからの影響も、インスタの投稿を見ると伺え、この頃にtalking headsを聴いていたとのインタビュー記録もあるので、おそらく、ハチの世界観には70年代末〜80年代中盤あたりの、ポストパンクから派生した音楽ジャンルたちが、大きく関連しているのではないかと考えられる。そのジャンルにある、どこか不気味で、終わりを連想させるような陰鬱的な曲が最後2曲である。最終トラックの「花束と水葬」は、トラック1の「Persona Alice」とリンクしており、曲中の詞も同じような言い回しが登場する。ハチそして米津さんの詞には"神様"がよく登場するが、この曲もそのひとつ。以下はこの曲の最後の歌詞。

"ねえ神様 私の事殺して お願い
明日になる前に
この上ない愛で私の形も歪み色も
葬り消してよ"

明日を生きることを諦めた少女が、神様に殺して消してよ、と頼んで終わる本アルバム。
各曲のストーリーが合わさって、アルバム全体がひとつの大きな物語を成しているような、陰鬱的な曲が織りなすストーリーはなぜかとても温かい。聞き終えるとどうしてか、とても落ち着く。不思議な温かさをまとうのがこの作品の特徴だと思う。


②official orange (2010年自主制作盤リリース)

ハチ19歳時にリリースされた2ndアルバム。


私が知っている音楽の中で、2010年代中、このアルバムを超える作品には出会えていない。おそらく1番聞いていると思う。それだけアルバムとしての内容が良い。ボカロの最高峰の作品なのではないかと思う。前作と同様に、ポストパンクや、ゴシックロックに影響を受けているのではないかと推測される曲調に、ハチのバックグラウンドにシューゲイザーやノイズがいるのかどうかはわからないが、そういった轟音要素も加わって、より非現実的世界観に奥行きができ、ハマったら抜け出せない、なかなか現実に帰ってこれない、何ともおそろしいアルバムに仕上がっている。

特にトラック6の「白痴」は、これはもう2010年代邦楽のベストトラックと言ってもいい。こんなにも真っ直ぐで、美しくて、真っ暗で、煌びやかな曲を、私は知らない。この曲はネットでは公開されておらず、本アルバムにのみ音源がある。

"約束しようよ この狭い地下牢で
密やかに誓うのは
何でもないように死んでしまった二人の
細やかな夢と逃避"


決して難しい言葉を使っているわけでも、言い回しを使っているわけでもないのに、どうしてここまで壊れた世界を描けるのか……。
この曲を初めて聞いたときはもう、感嘆して虚無に陥り、趣味のひとつである詞を書くことを辞めようと思ったくらい。また、曲中では歌われない詞が、歌詞カードには記載されているあたりもポイントが高い。この曲の歌詞の最後には、以下の一文が添えられている、

"今度は一緒にいい夢を見ようね"

前作と比較すると、幾分曲調が明るくなっていたり、騒がしくなったりとの変化はあるが、暗い雰囲気は残ったまま。というより、曲調自体は明るくなってものの、陰鬱度合いは増しているように思う。

そしてこのアルバムには、ハチ自身がボーカルをとったトラック「遊園市街」が一番最後に収録されているのが印象的だ。
捨てられた街にいる二人の物語。ファンの考察の中には、チェルノ●イリのあの事故後の周辺の街の様子を描いたものなのでは?というものがあり、曲中の歌詞に出てくる "もう動かない観覧車 その中で君は泣いた" であったり、廃墟を想起させるような表現が散りばめてあったりと、たしかにそのような考察もできる曲ではある。
今と比べるとまだ荒っぽいボーカルで、壊れた街の様子を、"きっと僕ら死にながら生まれて来ただけの 何でもない小さな街灯" と寂しく歌い上げ、ボカロPとしてリリースした最後のアルバムを締める。
そして、ここから約1年半後に、全編自らがボーカルを持ち、本名である米津玄師という名義で、ひとつの街をテーマとした「diorama」をリリースすることとなるのである。


よく書きました()
卒業論文並みの分量……
カウントしたら約15,000字ありました……
普通に特集レベルの文字数じゃないか……
読んで頂いた方もお疲れ様でした……
ぜひ……新譜の「STRAY SHEEP」も
聞いてください………
サブスク解禁で聞きやすくなったと思いますので………
通しで何回も聞いておりますが、今年私が聞いてきた邦楽作品の中では、やはり1番しっくりきています……自信を持っておすすめしたいです……


新譜レビューも後日上げられたらまた上げます。がんばりましょう()


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