結晶の魔女サンドリヨン:「魔法」とは何なのか?【#一般性癖コンクール 2024】
本記事は、2024年12月31日 RAM氏主催の「一般性癖コンクール2024」にて採用された『遊☆戯☆王 オフィシャルカードゲーム』のカードに関する考察に、例としてのカードイラストを加えたものです。(配信内1:28:50から)
「魔法」と言われて、皆さんは何を思い浮かべますか?
剣に炎をまとわせたり、神の怒りたる雷を降らせたり、死者を蘇らせたりする様子を思い浮かべるかもしれません。
ですが、私にはそれだけだとどこかありきたりで、味気なく感じてしまうのです。
私にとって魔法とは、例えば食材がひとりでに料理になったり、先程までいなかった場所に人を出現させてしまうような「『あり得ない』を現実にしてしまう」ものなのです。
そして、マギストスの四賢者の一人として、サンドリヨンも同じ見解だと、私は考えています。ゆえに、私は彼女にシンパシーを感じるのです。
《結晶の魔女サンドリヨン》での彼女の服装をご覧ください。本来硬いはずのガラスが、彼女の動きに合わせてしなやかに揺れるドレスになり(《魔法名-「解体し統合せよ》」のイラスト右上など)、スカート部分は本人の頭身に対して足のつかない大きさ(イラストをよく見ると足元部分は透けているのに足が見えません)で、その上、一般にこのような衣装の中にはパニエやペチコートといった物体を下に入れて膨らませるのですが、中が透けていてもそれが確認できません。
硬いガラスがドレスになり、足がつかない程の大きな衣装を引きずらず、支えもなしにあの形を保つ。私からすれば、これを魔法と言わずして何になるでしょうか。
英語名(Rilliona, the Wondrous Magistus Wardrobe)から個人名やカテゴリ関係を抜いた”the Wondrous Wardrobe”も「驚異の衣装」と訳せます。
OCGストーリーズ・マギストス編発表の際の解説によれば、資質がある者しか魔法を使えなかった時代、マギストスの四名は儀式によって人と神々の世界を繋いだそうです。
その際、エンディミオンは後の妻、月の女神であろう人物(《聖魔の乙女アルテミス》→《神聖魔皇后セレーネ》)を、クロウリーはおそらく召喚獣を操るための技術(《聖なる法典》 →《法の聖典》)を手に入れました。どれも伴侶や技術など、実利的な物です。
ですが、サンドリヨンが神の力を使って行った事は、不思議で綺麗なガラスのドレスを作り出し着飾ることだったのです。
他にニンアルルの力は使えるかもしれませんが、これ単体では人々の語り草になるのが精いっぱいでしょう。
さらに、変身前の姿である《結晶の大賢者サンドリヨン》はどこに繋がっているのかもわからない魔法のブランコに乗っていますし、のちの姿であろう《ウィッチクラフトマスター・ヴェール》を含め、エンディミオンやクロウリー(アレイスター)が杖を手に持っているのに対して(おそらく魔法で)浮かせています。
面倒くさがりでその方が楽なのかもしれませんが、まるでこれ見よがしに魔法を使っているように見えるのです。
思うに、サンドリヨン(そしてマスター・ヴェール)にとって、魔法とは不思議で素敵な世界を作り出せるものであり、サンドリヨン自身としてはそんな魔法が使える事に日々心が躍って ― まさに彼女の魔法のように心もまた、「キラキラ」していたのではないでしょうか?
ウィッチクラフトの時代にはエンディミオンや魔導書院は魔法を管理すべきかどうかで争っていましたが、ウィッチクラフトは立場上中立とはいえ、魔法を生活を便利にする道具などと考えているであろう両者とは思想が別軸で、内心相容れなかったのだと思います。
彼女が《ウィッチクラフト・コンフュージョン》で商工会の人々を置いて消えた事も、無関係ではないのかもしれません。
ディズニー版の『シンデレラ』における、主人公を助けた魔法使い(妖精)は私の魔法像の権化であり、そのカボチャを馬車に、ボロボロのドレスをきらびやかに変えるような魔法像こそ、私の性癖なのです。
そして、シンデレラのフランス語名を名乗る彼女がこのような魔法を操るのも、偶然ではないのでしょう。
皆さんの好きな「魔法」は何ですか?考えてみるのも面白いと思います。
(追伸:OCGストーリーズはあまり読めていません)