小学校をどうしよう 公立?私立? そもそも、小学校の設置形態だけをもって公立・私立の二項対立の比較対象とするべきなのか、ある種の方々にとっては議論が別れるところかも知れない。私立っぽい公立やら、私立のなんたるかを見失ってしまったような学校やら、設置母体の問題ではない議論の方が重要のようにも見える。 そんな中にあっても時間の流れは止まらないので、至って小市民的な我が家にとって次なる「親として成長する過程」で立ち塞がったのは、娘が保育園を卒業したら「次に通う場所」問題だった
最初の社会資源利用=保育所 保育所の利用は産まれる前から既定路線 世間では「保活」なる言葉が跋扈して既に相当の時間が経過している。 当時のその活動を「保活」とは自称していなかったと記憶しているが、とにもかくにも、20年前の我が家も例に漏れず子育てにおける保育所利用は必須要件だったので、保育所入園戦線に参加して、可能な限りの活動を展開した。 保活参戦の理由は、自分もパートナーも仕事を辞める気は無かったからだ。 加えて、自分の中には「自分の娘には、保育園という場所で
最初で最後の娘の誕生(一人っ子という決定) 一人の子どもにのみ集中するという生き方 今から長々書き連ねるが、この項目の最終結論である「自分たちの持てる愛情の総量を一人に全て注ぎ込む」というスタンスは、他の項目にも底通する根源的テーマとして頻出するはずだ。 初投稿ゆえの拙さや、テーマの矮小性から、最後まで読まれる事も少ない記事の筆頭になるのではないかと危惧しているが、自分にとっては避けて通れない必須の記述となる確信があるために一番最初に書き記す。 自分たちは子どもが何
生物的分類 戸籍上:男性 / 身体構造:男性 / 脳内自認:男性 循環器系に問題無し 消化器系は数十%(自覚的比率)の臓器を摘出して既に喪失。 脳みそは、未調査。脳ドック受診の勇気と財源捻出が近年の課題。 社会的分類 社会的立ち位置:給与所得者(被雇用者) ジョブのレベル:定年退職まで指折り数えられる年限に到達 スキル・主属性:見えないふり・事なかれ主義事務屋 家庭内での立場:父親(妻にとっては娘以外の「もう一人の子ども」かも…) ※ 娘の成人に伴