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「石を彫る くにたちの彫刻家 關敏(セキビン)の仕事」を観てきた
關敏氏(1930-2023)は、国立生まれの石の彫刻家です。石という重厚で硬い素材を使用していながら、氏の作品は、そのフォルムや質感にやわらかなあたたかみを纏っています。作品は今でも国立市内や多摩地域などを中心に、パブリックアートや記念碑として多くの場所で出会うことが出来ます。
本展では、關敏氏の石彫作品を紹介すると共に、絵画や雑誌の挿絵、デザインといった幅広い氏の仕事も合わせて紹介します。
關敏と書いて「せきびん」と読むそうだ。作品が展示されている"くにたち郷土文化館"による上の紹介文が簡にして要を得ているので、あまり付け足すことはないのだけれど、まずは国立市に生まれた彫刻家である。そして、やはり国立市の有名な彫刻家だった関頑亭さんの実の弟でもある。そして、この関さんという家は、国立市の地元の方なら皆知っている"せきや"さんという大きな酒屋さんなのである。国立駅南口近傍に"せきやビル"がある。
兄弟そろって彫刻家になられたのは珍しいことだと思うけれども、關敏氏は芸大で平櫛田中(ヒラグシデンチュウ)に師事したそうだ。そして、上記の紹介文にあるとおり、フォルムや質感にやわらかなあたたかみのある石の彫刻を制作した。1963年〜およそ1971年くらいまでは「虚空」というシリーズを制作したそうだ。これは、長細い石をまるく整えて、中央をくり抜いたようなフォルムとなっている。石のお皿または石の舟(水に浮かばないだろうけど)のように見えないこともないが、抽象的なコンセプトの作品である。
もし、これが平櫛田中からも影響を受けた仏教的な作品だとすれば、1970年代の終わりごろから制作した「礎」というシリーズは仏教が伝来する前の日本の土俗的な宗教観を表現したものだという。さらに、中国に旅行に行って彼の地の日本とは大いに異なる自然環境に触発されて制作した「風紋」という作品も展示されていた。砂漠の風紋を観た心象を石で表現したのだろうか。
彫刻に関しては石一筋だったようだが、1960年代に発行されていた趣味の雑誌「酒」の瀟洒な表紙絵を描いたり、地元の文士の記念碑を制作したりと多彩な作品を遺している。国立市を中心とした多摩地区には關敏氏の手に成るパブリックアートや記念碑が多数設置されていることを、この展示会で初めて知ったところである。その中でも、私が最も多く目にしてきたのは、間違いなく谷保天満宮に奉納された座牛の像である。これを制作した方だとは存じ上げなかった。
くにたち郷土文化館での展示は11月13日まで。
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