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神仏習合と二倍年暦説

 お盆というのは仏教の行事だとふつうは思うかも知れない。たしかに盂蘭盆会(うらぼんえ)は仏教の行事として7世紀ころ中国から日本に伝わったものである。しかし、その根拠となるお経は昔の中国で成立したものでインド伝来のものではない。

 そのお経によれば、お釈迦様の弟子の目連尊者が亡母が地獄(餓鬼道)に落ちてしまったことを悲しみ、夏の修行を終えた僧侶たちにごちそうを振る舞ったところ(施餓鬼会)、僧侶らの功徳によって母を救うことができたと記されているそうだ。

 お経の趣旨は僧侶たちを支援することの功徳を説いているようだが、盂蘭盆会が庶民の間に広まってからは、いつの間にか日本固有の祖霊信仰と習合した。仏壇のイコンたる位牌も仏教ではなく儒教のもので盂蘭盆会が中国由来であることと符合する。

 儒教は日本では道徳や学問を説くもののように考えられがちだが、先祖を子孫が祀ることを中核とする宗教である。ただ、日本にはもともと固有の祖霊信仰があったので道徳や治世の学問の面だけが公家や武家の間で尊重され学ばれたのだろう。

 日本固有の祖霊信仰の内容に立ち入る余裕はないので、行事について概要を述べれば、その中核になるのは小正月とお盆の行事ということになる。民俗学の基礎知識になるが、この二つの行事はよく似ているのである。

  • ともに満月の夜を中心とした行事である

  • 正月の七草に対して盆には七夕がある

  • 16日の薮入も双方にある

  • 臨時の祭壇がそれぞれ設けられる(年神棚と盆棚)

  • 外竃(そとがま)もそれぞれ設けられる(正月竃と盆竃)

  • 火祭りも双方にある(とんどと盆の迎え火・送り火)

  • 綱引きも双方にある

 これだけ共通点があるのだから、私などは仏教以前から小正月と盆と半年ごとに行事があったと考えているのだが、学問的には異論もあって決着がついていないようだ。何か史料が発見されるとも思えないので、おそらく決着はつかないだろう。

 ただ関連して「春秋二倍年暦」説というものがあることに留意しておくとよい。これは、古代の日本社会においては春から夏までの半年間と、秋から冬までの半年をそれぞれ1年と数えていたとする説である(一年で二歳年をとることになる)。

 戦後、初期の天皇たち(特に第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までのいわゆる欠史八代)の事績や実在性そのものが疑問視されるようになったが、これらの天皇は不自然に長寿だったと記録されているのが共通の特徴である。

 これに対して合理的にそうした天皇の実在を説明する仮説として、一部の学者がいわゆる「魏志倭人伝」の注釈に「その俗、正歳四節を知らず、ただ春耕し秋収穫するを計って年紀と為す」とあることを論拠に春秋二倍年暦説を展開したものである。 

 この考古学上の仮説は不自然に長寿な初期天皇の寿命を合理的に補正するものだが、学問的に証明されることは期待できそうもない。ただし、前述したとおり、小正月と盆によく似た祖霊信仰の行事が行われることと、ちょうど符号するのである。

 なお、現在では新暦の8月に盆の行事を行う地域が多いと思われるが、もともと旧暦では7月に行われていたものであり、明治より前の時代では、正月とお盆と半年ごとに祖霊を祀る行事が行われていたことにも注意したい。

(2022年8月)

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