岩尾 俊兵「世界は経営でできている 」(講談社現代新書 2734)を巡って
私は読書を記録するために「読書メーター」という一種のSNSを利用している。読後に要点や感想などを短文にまとめることによって、読書が単なる暇つぶしではなくなる気がするし、後日、どんな本だったかリファレンスするのに役に立つ。そして、既に読んだことがある本を勘違いして買ってしまうような無駄を防止することもできる。完璧にではないが…^^;
また、気になる本が現れた時に、果たしてお金や時間を費やす価値があるかどうか、既に読み終わった方々の感想などを参照することによって、ある程度の判断ができる。Amazonのレビューのような使い方だが、当然に自分が読書メーターに残した読後感も他のユーザーの方々にご覧いただくことになり、コメントを頂戴することもある。
そして、最近、モヤモヤする本を読んだのである。それが表題の「世界は経営でできている」という本で、著者は東大の経営学の先生なのだが、私が読書メーターに残した感想はつぎのとおり。
どうも冗談が多い本だよなぁ、と思ったのだが、補足として次のようなことも書き残した。
このように、本書に対して好意的に感じたのか、批判的に感じたのか曖昧な書き方をしたのだが、それにはそれなりの理由がある。それは後述することにして、そういう曖昧な表現をしたこともあって、私のコメントには、本書に対して好意的な方と批判的な方との双方から「★ナイス」をいただくことになったのである。これは、私にとって意外だったが、この本は人によって、けっこう好き嫌いが分かれることがわかった。
この本はタイトルが何となく魅力的で、けっこう売れているらしい。私は読書メーターの(他のユーザーによる)レビューを読まずに、4月に公立図書館に予約して、つい8月に貸出を受けて一日で斜め読みしてしまった。
つまり前述した「先に読者のレビューを読んでおけばよかった」という言葉にはレビューを読んでいたら借りていなかっただろうなぁ、という含意があるのだ。補足したコメントには、タイトルに釣られて、この本に関心をもたれた方に向けて、多分この本を読むよりも専門書を読んだほうが役に立ちますぜ、という含意がある。
斜め読みしてしまったくらいなので、本書について深堀りする資格も意図もないのだが、そのように読者によって好き嫌いが分かれてしまった原因は本書の性格にあるのだろうと推測している。その点については、後ほどふれるが、その前に、読書メーターのユーザーの方々がどのような読後感をお持ちになったのか、その一部を抜粋し、ユーザー名を伏せてご紹介したい。
【好意的な意見】
①「人生の経営において究極の目的を見極め、そのための手段を見誤らないこと。価値というものは有限でなく、無限であり、だから長期的な視点で手段を考えるべきと、現代の短期視点、奪い合う競争に警鐘を鳴らしている」
②「著者は、各自が「経営」の概念を「価値創造を通して対立を解消し、共同体を運営すること」だとアップデート(もしくは従来の意味に立ち返る)した方がいい、と主張する。困難な状況になっても、「価値創造は無限にできる」ことを忘れず、ユーモアをもって対処したい」
③「今まで学んできた経営学とは何だったのか。収益を上げ効率を高め発展拡大を期すだけが「経営」ではないと岩尾さんはエッセイを通して熱く語る。価値有限思考を経営によって価値は創造できると考える「価値無限思考」に転換すれば、顧客から他企業まですべてが「価値創造を行う共同体内の仲間」に変わる。理想論が現実論になる」
④「本書は価値創造(他者と自分を同時に幸せにすること)という経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれないと説く。自分の行動の目的が明確化されているか?目的に対して現在の手段が適正か?価値有限思考に陥ってないか?」
⑤「経営学や会計学を30代後半から、大学の通信教育や職場の研修で学びました。この本を読んで、改めて「みんな人生の経営者!」に、なりましょう」
【批判的な意見】
①「何でもかんでも経営にこじつけ。さむい文体も読むに耐えない。途中で破り捨てようかと思った」
②「人生を経営する、という名目で細かな章立てがされていて、一定の結論と参考文献が章ごとに挙げられています。が、内容がかなり通俗的というか、通り一遍そのものでした。 なので読書メーター内でも無益な本、といった評価があるのも当然でしょう。 残念ながら私にも全く参考にならない新書で、こういうのは久し振りに読みました」
③「タイトルに惹かれて読んだが、無駄な表現の羅列と中身の薄さで、久々に読んだ何も得られない本だった」
④「たしかにねぇ。世界は経営でできている。すべてのことは経営できているし、誰もが何かを経営しているし、人生を経営している。私の読み方が浅かったのだろうけど、軽い感想しか生まれない」
⑤「久しぶりにこんなスカスカで読みにくい本を読んだ。 くやしい」
かように本書は、学者さんが書いた本としては、よく読まれているのに、その評価というか好き嫌いが、けっこう分かれているという点で珍しいのではなかろうか。私が今、拙文をしたためているのも、この点に面白さを感じ、野次馬気分が昂じたためである。
おそらく本書を読んで好意的に感じた方も、批判的に感じた方も、それぞれ本書の読み方としては的を射ておられると私は思います。好意的に感じた方々は熱い感想を書いてらっしゃるけれど、ポイントは著者が主張している<「価値」は「無限」に創造できるのだから、短期的な視点で奪い合いをするのではなくて、長期的な視点に立って価値を創造することによって価値を共有することができる>というメッセージへの共感でしょう。この共感にご自分の人生を重ね合わせれば、ぐっと胸に来るものがあるというものです。
他方で、批判的に感じた方の最大公約数的な感想は「当たり前のことしか書いてないじゃん」というところではないでしょうか。私自身の感想も実はこれに近くて次のような補足コメントを追加したしだい。
まず好意的な読者が共感した著者のメッセージについて、私は丸ごとは受け入れられないものの、そりゃそうだよね、と理解できるところではある。市場競争の末にレッドオーシャンのゼロサムゲームの状況に陥って顧客や利益の奪い合いをするのは企業経営としてはしんどいのです。
なので、ポーター教授が述べたように完全競争市場で戦うことを避けて差別化やニッチの方向に行ったり、W・チャン・キムとレネ・モボルニュが提唱したように競合のない新たなブルーオーシャン市場を創造することが推奨されている。レトリックとして、それを価値の創造と言い換えることもできるかも知れない(岩尾教授の意図は知らないけど)。
また、企業経営者の姿勢としても一時期のように、競争に勝ち抜いてシェアを伸ばして株主価値を増やすことを優先するだけではなく、企業を取り巻くステークホルダーを重視することや、従業員のワーク・ライフ・バランスを尊重することも最早言い古されているくらいである(実際にどの程度、実現されているかは別の話だが)。
だが、そこから先が問題である。経営の理念としては、現在の経営学で共有されていることを著者も述べているのであり、ことさら新しいことを述べているわけではない、と私は思う。批判的な読者にとっては、この理念的な主張を含めて「当たり前」と感じたのだろう、と私は思う。
そして、そんなことはわかっているから、経営学の発想なり、方法論なりを人生の局面にどう活かせるのか、に私の関心はあった。だが、実はその点については具体的に書かれていない。むしろ、経営学風のエッセイになってしまっている(と私は感じる)。だから、批判的な読者の感想は「なんでもかんでも経営にこじつけ」、「通り一遍そのもの」、「何も得られない」、「軽い感想しか生まれない」、「スカスカ」といった厳しいというか寒い言葉が並んだのだろう。
私が自分自身のコメントへの補足として、「ピーターの法則」やドラッカーやロジカル・シンキングや論理療法などの本を読んだ方が有益ではないか、と書いたのも類似の感想を婉曲に述べたものである。
おそらく、もともと著者はエッセイを書いたつもりだったのではなかろうか。なにしろ、本書の扱う範囲は、恋愛や芸術や歴史にまで及ぶのである。一人の経営学者が、個人的な意見をエッセイで述べることは、まったくかまわないが、それらは経営学が扱う対象ではない。明らかに(笑)。
ところが「世界は経営でできている」なんて、カッコいいタイトルを編集者が考えついてしまったので、本のタイトルと内容に<ズレ>が生じてしまったのではなかろうか、と私は思う。その結果、タイトルに釣られた一部の読者はがっかりして批判的な感想を胸に抱くことになったとも思うのだ。
だが、私は本書に関して、もう一つの<ズレ>があるのではないだろうか、と感じているのである。それは、好意的な読者において生じていると私は見ている。それは<価値>という言葉についての意味の<ズレ>である。
経営学と経済学は文字面は似ていても、対象と方法が異なっているが、いずれも経済活動に関する社会科学の分野であることは共通している。そして、経済学の大前提は資源は有限(希少)だということである。空気は人間を含む生物にとって無尽蔵だから取引の対象にはならず、価格もつかない。反対に、空気以外のほとんどのモノやサービスに価格がついているのは、それらが有限だからである。
企業活動の成果を測定する上で重要な概念に<付加価値>があるが、それは経済的な概念で、売上高と仕入高の差として計算される。つまり、お金で測られる価値であり、それこそが企業が経済活動で生み出した<価値>なのだ。それは、従業員の給与への支払い、店舗や設備の賃料の支払い、銀行から借り入れた金利の支払い等に当てられて、残りは企業の利益になる。さらに、そこから税金や株主への配当が支払われ、残りが企業の内部留保に積み立てられる。そして、個々の企業や個人事業主が生み出した付加価値を国全体で合計した金額に相当するのが国内総生産すなわちGDPである。
このように、付加価値は企業が経済活動で生み出した価値である。それは価格を元にお金で測った金額だが、有限な資源を活用して産み出された価値なのだから当然だ。ならば、本書の言う価値は無限に創造できるとはどういう意味なのだろうか?資源が有限なのに、ありえないではないか?
くどくどと付加価値の定義について述べたけれど、この言葉には別の意味もあるので、先に経済学的な意味を説明したかったのである。もう一つの意味とは、商品や製品、サービスを購入する買い手側から見た価値であり、競合する製品などから差別化された、あるいは、旧型タイプの製品に対して新たに付加された価値(と評価できる機能など)のことである。
これは、レッドオーシャンのゼロサムゲームに陥らないように経営者が頭を悩ませる重要な課題である。経営学の一分野であるマーケティングでは、<顧客価値>と言う言葉で、顧客が製品やサービスに支払うコストに見合う、もしくはそれを超えると感じる価値を表現する。ちなみに、経済学では、こういうややこしいことにならないように、買い手が、いわば主観的に評価する価値は<効用>または<選好>あるいは<消費者余剰>という言葉を使って区別している。
私は斜め読みしてしまったので、著者の岩尾教授が<価値>という言葉をどのような含意で使ったのかわからない。が、短期的な奪い合いの競争を避け、長期的な視野に立って、無限に創出できる価値を追求すべきだと言明した時には、顧客価値のことを指しているのだと理解すべきである。
価値は無限に創造できると表現するとグッと来るけれども、顧客価値は質的には無限に差異化(差別化)できると言うこともできるし、イノベーションの種は尽きないと言うこともできる。でも、差異化とかイノベーションとか言ったら、本書に対して、あんなにたくさんの好意的な感想は寄せられなかったろうし、岩尾先生も恋愛や芸術や歴史にまで風呂敷を広げる、もとい、自由闊達な随想を経営学風に表現できなかったことだろう。本の書き方、売り方として、いろいろ勉強になる本だった。